天野天街と小熊ヒデジが語る“演劇でしかできないこと”を詰め込んだ「りすん」、キャストが明かす稽古の様子 (2/3)

観る者の感受性がブンブン振り回される

──今回、初演から13年ぶりの上演となりますが、天野さんにとっては再演というお気持ちが強いですか、それとも新たな作品として挑まれていますか?

天野 両方ですね。カットはしましたが土台となる台本は同じで特に書き直したりはしていないので、そういう点では再演には違いない。でも役者が違うとやっぱり違います。これから稽古の中でさらにその気持ちは強くなっていくと思いますが。

──また今回は公演に先駆けて三重・名古屋・高知でワークショップもされました。天野さんがワークショップをされるのは非常に珍しいことですよね?

天野 小熊さんに誘われてしか、やったことがない気がする(笑)。

小熊 そうそう、僕が何回かやってもらってるんです。でも(天野さんが)あまり好んでやるほうではないので……(笑)。

左から天野天街、小熊ヒデジ。

左から天野天街、小熊ヒデジ。

天野 無理矢理やっているうちに大丈夫になってきた気がします(笑)。

小熊 特に今回はツアー先各地との交流という意味合いもあったので、最初からワークショップはやろうと提案していました。三重と名古屋と高知と、それぞれ楽しかったですよ。三重と名古屋は公募で演劇経験は問わず集まった人たちを対象にしたワークショップで、天野天街の演出に対する興味が高い人が多いと感じました。高知は高知県の中学・高校の演劇部の人たち60人を対象にやったんですけど……。

──60人!

天野 若い人が60人ってエネルギーがすごくて、けっこうきつかった(笑)。

小熊 王者舘は20年前くらいに高知で公演をやっていて、数年前にダンス公演もやっているんですけど、高知の中高生で王者舘や天野さんのことを知っている人はいなかったですね。でも公演する高知県立県民文化ホールの方や地元の人に話を聞いたら、最近高知には面白い人がいるそうで、これから演劇の場所としてすごく楽しみだなと思いました。

天野 うん、楽しみだなって感じました。

──今お話を伺っていても、天野さんと小熊さんのゆったりと掛け合うようなお話しぶりや距離感が素敵だなと感じます。これまでも作品を一緒に作られてきたお二人ですが、今回改めて同じ作品に向き合う中で、お互いに感じる信頼感はありますか?

天野 僕は(小熊さんが)近くにいると安心する。永年2人で培ってきたアレコレは半端ではないんです。

小熊 僕はさっきも言いましたが、改めて今回天野天街の脚本と向き合って、かなりの衝撃を受けていますね。壮絶な、と言えばいいのか。すごい壮絶な戯曲がここにあるなと。自分が役者として関わっているときはやることがいっぱいありすぎて、そのように客観的に作品を見るのが難しいところがありますが、今回は俳優の稽古を見たり台本を読んだりしながら、「このセリフはすごいな」とか「この流れでこう来るなんて面白いな」と改めて……本当に改めて、感じますね。言葉をどう扱うかということに対する諏訪さんの手触りと、それを脚色して演出する天野天街の言葉に対する手触りが鮮烈に響いてくる感じがして、これを再演することができて良かったと、本当に強く思います。

「りすん」稽古の様子。(撮影:羽鳥直志)

「りすん」稽古の様子。(撮影:羽鳥直志)

「りすん」稽古の様子。(撮影:羽鳥直志)

「りすん」稽古の様子。(撮影:羽鳥直志)

──宮璃さんが言い出してくださって良かったです。

小熊 本当ですね。

一同 あははは!

──天野さんご自身は、「りすん」に対して何か特別な思いはあるのでしょうか?

天野 なんか、とても大切で隠微な秘め事を出し惜しみしながら、見せびらかしているような心地になりますね、練習とかしてると。

──「りすん」文庫版のあとがきに追記として、諏訪さんが舞台版について、また天野さんについての思いを書かれていたのが印象的でした。諏訪さんは“優れた演出家であり我が盟友である天野天街”と天野さんを読者に紹介しつつ「天野氏は、僕が小説に対して抱く問題意識を、そのまま自身の問題意識として現劇に対して問い、僕らはそれぞれがそれぞれの仇とするもの、芸術の『枠』あるいは『函』と闘った」と書かれていて、舞台版がとても気に入っていらっしゃるようだなと思いました。

天野 多くの人に原作もちゃんと読んでほしいですね。

小熊 僕はもちろん原作も読んでいますが、舞台から原作の世界観がちゃんと立ち上がっていると思います。それも天野さんと諏訪さんの相性が良かったからかもしれませんが。

天野 確かに諏訪さんの小説は、これだけ歪めても本質がそんな簡単には崩れないという安心感がある。だから自分のやり方でやってみても崩れない、壊れないという信頼感があるからできたんだと思います。

左から天野天街、小熊ヒデジ。

左から天野天街、小熊ヒデジ。

──原作を先に読んでいる人には、舞台版がまさかそこから始まるとは!という驚きがあるとは思いますが、小説の構成とは違っても、最後に至る感覚は一緒になるのが不思議です。

天野 そうだといいなと思います。

──特に後半の言葉のやり取りがすごいですね。台本で読んだだけでは、脳内でセリフの音が再生できませんでした。

天野 あははは!

小熊 確かにすごいですよね。稽古を観ていても、観る者の感受性をブンブン振り回されているような感じがします。KUDAN Projectで天野くんと海外に行ったりすると、現地の言葉とどうすり合わせるかということをやるんですけど、そういったところで天野天街という人の言葉というか、言語に対するアプローチとか理解の仕方、変換の仕方やそれを用いた表現の仕方を目の当たりにすることがあって。今回もそういったことを感じますね。原作の言葉が、天野天街を通してどう立体化されるか。そのことに今回もびっくりしています。

──天野さんの演出では、音としての響きもそうですが、例えば“雨”という漢字が実際に舞台上にわーっと降り注ぐなど文字で投影されることもあり、セリフが視覚的にも聴覚的にも表現されます。台本を書かれているときには、天野さんの脳内でセリフは音で聞こえてくるのですか? それとも文字で浮かび上がっているのですか?

天野 音やコトバや匂いや味が実体化したら面白いなあ、とは思いますね。音も文字も視覚も聴覚も、全て、ごっちゃに、いっしょくたになって、もう一つのものとして浮かび上がってくるとワクワクします。

──さらに前述の「りすん」文庫版のあとがきにもありました、“函”という感覚について、登場人物の朝子と隆志は自らが小説という“函”の中に閉じ込められそうになっていること、作者の作為から逃れられない存在であることに気付き、もがきます。この“函”は、読み手によって、例えば“時間”や“身体”などさまざまなものが思い浮かぶのではないかと思いますが、お二人はどんなイメージをお持ちですか?

天野 函の中に函があり、函の外に函があるという。最後には、地球という枠から宇宙の果てのそのムコウという、どれだけ行っても果てがない無限大、または量子的な無限小のことになって、とても厄介です。「りすん」という作品には、果てのないアサッテにそのムコウの果てを垣間見てクラクラメマイする、そんな感覚をもよおす惑乱があると思います。

小熊 僕は“函”と聞いてピンとくるものがなぜか何もないんだけど(笑)、ただ「弥次喜多」もまさに壁の中にいるとか壁から出るという話で、そこにゾクっときたなと思いました。

天野天街

天野天街

小熊ヒデジ

小熊ヒデジ

劇場がうしろめたさの坩堝に化せばいいなと

──本作のチラシには初演について「小説そのものの作為性に果敢に斬り込んだ芥川賞作家・諏訪哲史の実験小説を、天野天街が『エンゲキでしかできないアレヤコレヤにオモイキリ変換』した」と紹介されています。改めて小説と演劇の違いを天野さんはどうお感じになっているか、そしてその違いのうえで、舞台版でも変わらず大事にしたいと思っていらっしゃる部分を教えてください。

天野 違いなんてあり過ぎて挙げきれませんが、小説は読者=客の思惑、気まぐれに“時間”がゆだねられますが、演劇は客の“時間”を強制的に奪います。縛られた“限界時間”をどれだけねじったり、ゆがめたり出来るかが面白味の1つ。「りすん」の場合、客に観られている、聴かれている、覗かれているという状態が、ものスゴくわかりやすく現前します。そのドキドキする共鳴震動で、劇場がうしろめたさの坩堝に化せばいいなと。

──“観る / 観られる”は、まさに演劇の話ですね。

天野 わかりやすく、そうですね。……小熊さんは舞台に立っているとき、どうなの?

小熊 観られている意識は当然ありますよ。役者として舞台に出ているときはおそらく演じつつも観客の意識は探っているし、そのレールは途切れることなく続いていて、意識的にどういう演技をするかとか、どんな声の大きさや間合いにするかということを調整していると思います。

──“作為”という視点も、本作の芯にあるテーマです。演じているとき、小熊さん自身の思い、“我”はどこにあると思いますか?

小熊 どこにあるんだろう? 役を演じている意識と観客を気にする意識の中央にあると思う。バランスこそが“我”かもしれないですね。

──同じ質問ですが、今回のように原作がある作品を手がけられるとき、天野さんご自身の“我”はどこにありますか?

天野 “我”は刺激を入射する受容体かな。この文列がきたらコレ、このセンテンスを立ち上げるならこうだ、というふうに目先の生理的反射で変換していくので、原作の刺激が私に反射してこの脚本ができました。だから俺なりにこうしてやろう、というような意味での“我”を差し込むようなココロや頭の余裕はなかったかもしれない。

──中には原作の作者が憑依したような感覚で書くという人もいますが……。

天野 乗り移るとかそういう感じではないですね。原作の細分化されたいろいろなエキスを1個ずつ“エンゲキ変換バット”で打ち返していく感じです。

──小説の延長ではなく、小説からの刺激で編まれた脚本だからこそ、舞台版「りすん」は新たな変化を遂げ、独自の輝きを放っているのかもしれませんね。

天野 どうだろう、変化しているのかな……。変わったようで変わっていない、という、本質が立ち現れる瞬間に立ち会いたいのかもしれません。

左から小熊ヒデジ、天野天街。

左から小熊ヒデジ、天野天街。

プロフィール

天野天街(アマノテンガイ)

1960年、愛知県生まれ。劇作家、演出家。1982年に少年王者舘を旗揚げ。劇団公演のほか、映画、人形劇、イラスト、デザインなども手がける。KUDAN Projectでの、アジア10都市公演をはじめ海外公演も多数。主な作品にKUDAN Project「真夜中の弥次さん喜多さん」(2002年~ / 脚本・演出)、「百人芝居◎真夜中の弥次さん喜多さん」(2005年 / 脚本・演出)、パルコプロデュース「レミング~世界の涯までつれてって~」(2013、2015年 / 松本雄吉と共同で上演台本)、「1001」(2019年 / 少年王者舘・新国立劇場)など。12月にITOプロジェクト「高丘親王航海記」を愛知・メニコンシアターAoiにて上演。

小熊ヒデジ(オグマヒデジ)

1985年に劇団《てんぷくプロ》旗揚げに参加。1998年にKUDAN Projectを始動し海外公演を行なう。2008年に地域演劇文化活性化を目的とした名古屋演劇教室を発足させる。11月に四日市市文化会館・三浜文化会館 プロデュース公演「ミュージカル『回転木馬』」に出演する。

2023年9月9日更新