Bunkamura、そしてシアターコクーンの30年にわたる軌跡を振り返るべく、Bunkamura執行役員で舞台芸術事業部事業部長の加藤真規氏に話を聞いた。加藤氏はBunkamura開館の前年である1988年に株式会社東急文化村に入社。その歴史を肌で体感している人物でもある。串田和美芸術監督時代、蜷川幸雄芸術監督時代、そして今。舞台表現の可能性を追求し、その魅力を発信し続けてきたシアターコクーンのこれまでと今後について、広く語ってもらった。
取材 / 市川安紀 文 / 熊井玲 撮影 / 宮川舞子
立ち上げからソフトを重視したBunkamura
──1989年9月に開館したBunkamuraは、2019年に30周年を迎えます。総客席数2150席のオーチャードホール、747席のシアターコクーン、単館ロードショースタイルの映画館であるル・シネマ、自由形美術館のザ・ミュージアムと複数の文化施設を併せ持つBunkamuraですが、その立ち上げから教えてください。
渋谷の再開発計画は80年代の中頃から始まっていて、当時の東急グループ代表・五島昇は「3C戦略」を掲げていたんですね。「3C」とは、CultureとCredit card、そしてCATVのことなんですけど、これらが「この先重要な事業になるからこの3つを始めましょう」と。そして、iTSCOMとTOKYU CARDができ、“Culture”のための施設であるBunkamuraができました。渋谷の駅前からBunkamuraまでの文化村通りには当時、十代向けの109のほかに、二十代向けのONE-OH-NINE(ワンオーナイン)、三十代向けのONE-OH-NINE30's(ワンオーナインサーティーズ)もあって、その先に“大人向け”のBunkamuraがあった。“大人”を意識していたので、オーチャードホールの演目はクラシックやバレエ、オペラが中心でしたし、ル・シネマではフランス映画をロングランで上映したりしていました。
──当時渋谷にはミニシアターがたくさんありましたが、中でもル・シネマはヨーロッパの香りがするものが多かったですね。
実際にオープン当初のBunkamuraはフランスを意識しているところがあって、フランス人のデザイナーが内装を手がけていたり、パリに本店のあるドゥ マゴ パリがあったり、多分にフランス色が強かったんです。その頃、企画運営のトップだった田中珍彦(うずひこ)元・代表取締役社長がよく言っていたのは、「多目的ホールじゃなくて、目的を持ったコンバーチブル(変換可能な)ホール。ただの貸し小屋じゃない、もの作りをして情報発信する劇場、ソフトを持つ劇場にしましょう」ということでした。それでオーチャードホールは東京フィルハーモニー交響楽団(編集注:現在、K-バレエとも)、シアターコクーンはオンシアター自由劇場(編集注:75年から96年まで活動した串田和美を中心とする劇団)とフランチャイズ契約を結びました。というわけで、Bunkamuraでは開館前から施設と中身を同時に考えていったのですが、それは当時の劇場としては珍しい取り組みだったと思います。
──串田さんはシアターコクーンの設計やコンセプトを考える段階から関わっていたそうですね。
Bunkamuraはオープン前の計画の段階から、演出家や指揮者などから成るプロデューサーズ・オフィスと専門家によるアドバイザーグループを設けていました。オーチャードホールの第1期プロデューサーズ・オフィスには岩城宏之さん、冨田勲さん、前田憲男さん、佐藤信さん、シアターコクーンには串田さんと音楽プロデューサーの金子洋明さんが当時名を連ねていて、一方のアドバイザーグループには舞台照明家の吉井澄雄さん、舞台美術家の妹尾河童さんといった方たちがいました。彼らは定期的に会議を開き、アイデアを出し合っていたんです。その頃、僕はまだ新人すぎてその会議にはそんなに出た記憶はないんですけど(笑)、僕が88年に入社し、その翌年にBunkamuraがオープンしました(編集注:現在は、オーチャードホール芸術監督に熊川哲也、シアターコクーン芸術監督に故・蜷川幸雄、ザ・ミュージアムプロデューサーに木島俊介)。シアターコクーンは当初、「音楽はより演劇的に、演劇はより音楽的に」というコンセプトを掲げていました。たぶん、オンシアター自由劇場がフランチャイズ劇団になった時点でそういうコンセプトになったんじゃないかと思うんですけど、オープニングラインナップに「中島みゆき『夜会』VOL.1」や「ティンゲルタンゲル '89」が入っていることが、それを象徴していると思います。
シアターコクーンは演出家のための劇場
──串田さんの芸術監督時代は演劇と音楽が不可分だったんですね。「夏の夜の夢」を毎年、さまざまな演出家で上演するという企画もありました。
あれも串田さんのアイデアですね。串田さんの芸術監督時代は、演劇文化を外に向かって発信しようという気持ちがすごくあったので、1つにはそういった演出家で魅せる企画があったり、あるいはシアターコクーン戯曲賞を設けて、受賞作品は必ずシアターコクーンで上演するというプロジェクトがあったりしました。劇場としての独自性を打ち出し、劇場からもっといろいろなことを発信していこうという時代だったと思いますね。
──串田さんは96年まで芸術監督を務められました。その後、99年に蜷川幸雄さんが二代目芸術監督に就任されるまで少し間があります。
その頃を僕は勝手に“暗黒の時代”と呼んでるんですけど(笑)、そのときにレギュラーディレクターボート(RDB)シリーズが立ち上がりました。串田さんの退任により、フランチャイズ劇団がなくなったことを受けて発足したRDBは、吉田日出子さんを中心とする5、6人の固定キャストと、海外の演出家で公演を作るというプロジェクトだったんです。そのシリーズから、ポーランドの演出家ルドルフ・ジョーウォさんの演出作が3本、フィリピンの演出家ノノン・パディーリャさんの演出作が1本生まれました。ただそれはなかなか難しかったですね。
──蜷川さんの時代になると、ラインナップがガラッと変化します。
蜷川さんにはシアターコクーン戯曲賞の審査員をお願いしていて、そこから関係ができ始めていました。それで芸術監督をお願いすることになったんですが、蜷川さんの芸術監督就任会見ではSTUDIOコクーン・プロジェクトのことを同時に発表しています。蜷川さんが「かもめ」(99年)、串田さんが「ゴドーを待ちながら」(2000年)を、当時宮下公園の近くにあった稽古場・STUDIOコクーンで上演する企画だったんですけど、それが蜷川さんが芸術監督として最初に担当した公演でした。ちなみにシアターコクーンで最初に手がけたのは「パンドラの鐘」(99年)です。
──野田秀樹さんと蜷川さんが、同じ作品をまったく別のキャスティングで演出、上演するというプロジェクトでしたね。「上演を社会的な事件にする」という蜷川さんの気概を感じさせる企画でした。
蜷川さんが芸術監督に就任してからは、“旬の演劇を見せる”という時代になりました。蜷川さんの演出作品数も多かったので、僕も蜷川さんの作品にたくさん携わるようになり、その中でお客さんを呼び込むにはどうしたらいいかというプロデュースの方法が浸透してきた。その点で蜷川さんから学んだことは大きいです。またシアターコクーンはどういうものをやっていくかと考えるうえで、小劇場というかアンダーグラウンドな演劇の存在は非常に意識しました。周りからどう見えているかはわかりませんが、串田さんの時代から脈々と、シアターコクーンでは商業的な公演であっても小劇場の前衛的なもの、とんがったものをやってきましたし、それがシアターコクーンのラインナップとしても重要だと思っています。ですので、シアターコクーンの自主事業では小劇場の出身の劇作・演出家の書き下ろし作品を上演することが多いんです。実は一番苦労するのですが……(笑)。
──NODA・MAPの旗揚げ公演「キル」の初演(94年)は、シアターコクーンで上演され、大きな話題を呼びました。
そうですね。貸館のラインナップを含めて小劇場のメッカのような存在になりたい、という思いもあったかもしれないです。蜷川さんはメジャーなイメージのある演出家で、スターが出演する作品が多かったからそうは見えないかもしれませんが、実は考え方にも作品選びにもアンダーグラウンドなところが多分にあって、そのバランスがすごく上手だった。そんな蜷川さんのケレン味ある作品群と、コクーン歌舞伎という、これまたケレン味たっぷりな(笑)人気演目がシアターコクーンにはありまして、この2本柱がシアターコクーンに“ケレンの箔を付けた”と言ったら変かもしれませんけど(笑)、印象付けたところはあると思います。だからケラリーノ・サンドロヴィッチさんがコクーンで演出することになったときに「コクーンって雨が降らせられるんでしょう?」と言ったり(笑)、松尾スズキさんが「キレイ」初演(00年)のときに「上海バンスキング」(編集注:オンシアター自由劇場の代表作の1つ。出演者が楽器を生演奏し話題を呼んだ)の影響か、休憩中も役者にロビーで歌わせたりして、それは面白いなと思いました。シアターコクーンは、スタートが串田さんだったということもあると思いますが、演出家のさまざまなアイデアを実現させる、演出家のための劇場であることは確かなんですよね。
「DISCOVER WORLD THEATRE」シリーズの立ち上げ
──蜷川さんの芸術監督時代は、99年から亡くなった2016年までと長かったですが、蜷川さんが亡くなられる前年の15年に、フィリップ・ブリーンさん演出で「地獄のオルフェウス」が上演されました。この作品はのちに“シアターコクーンが海外の才能と出会い、新たな視点で挑む演劇シリーズ”、「DISCOVER WORLD THEATRE」シリーズの芽となり、その後ジョナサン・マンビィ演出「るつぼ」(16年)、リチャード・トワイマン演出「危険な関係」(17年)、フィリップ・ブリーン演出「欲望という名の電車」(17年)と続きます。
実はもともと、蜷川さんの演出でテネシー・ウィリアムズの2本立て上演をやる予定があったんですよ。ただ蜷川さんの具合が悪くなって、どのタイミングだったか、蜷川さんから「2本立て上演をやる体力が俺には残っていない」と言われて、蜷川さん演出で上演することを諦めたんですね。国内外の演出家からピンチヒッターを考えました。で、いろいろなツテを頼って演出家を探していく中で、日本人のキャストの作品を演出することに興味がある演出家として、フィリップ・ブリーンさんが浮上してきた。それまで、蜷川さんはあまり外国人の演出家を起用することに積極的ではなかったので、コクーンではあまり外国人の演出家とやってこなかったんですけど、そのとき僕は「ここが海外の演出家の起用どころなんじゃないか」と思って。そこで蜷川さんに提案するにあたり、ブリーンさんを若い頃からよく知っているセルマ・ホルト(編集注:蜷川と長年協働してきたイギリスの演劇プロデューサー)さんに推薦文を書いてもらいました。それを持って入院中の蜷川さんのところにお話に行ってOKが出て。ただし作品を同じテネシー・ウィリアムズの「地獄のオルフェウス」に変更することにしました。
──では最初は必要に迫られて、海外の演出家を起用したんですね。
そのときはそうですね。ただその公演が非常にうまくいき、作品のクオリティも集客も俳優たちの反応もよかったので、外国人の演出家とやるのもいいなって改めて思ったんです。くだんの“暗黒の時代”に(笑)、海外の演出家とやってうまくいかなかったことがいっぱいあったので、僕も外国人の演出家を起用することにネガティブな部分があったんですけど、20年ぶりにやってみたら実にスムーズにいった。今や海外の演出家と協働することは珍しいことではないし、俳優たちの受け取り方もだいぶ変わってきました。特に今コクーンで起用している海外の演出家たちは三十代から四十代と若い人たちなのでいろいろなことに対してフレキシブルだし、いろいろな国の人とクリエーションしてキャリアを積むことが大事だと考えています。演出家たちは自国での仕事と日本での仕事とでスタンスを変えずに取り組んでいるのだと感じました。
──「地獄のオルフェウス」の稽古場を見学したときに、俳優さんたちが皆さんすごく生き生きと稽古していたのが印象的でした。
そうですよね。かつてTPTが外国人演出家を起用し、近現代戯曲を何作品も上演していた時期がありましたが、今はそこからさらにもう一歩進んで、外国人の演出家とクリエーションすることが当たり前の時代になってきた。それをもう少し推し進めたいと思いました。と同時に、これまで蜷川さんがシアターコクーンでやっていた仕事を改めて考えたとき、3つの柱があると思ったんです。1つはいわゆる海外戯曲とか近代古典をやるライン。それから若手の劇作家の書き下ろしをやるライン。それから唐十郎さんや寺山修司さん、清水邦夫さんの時代のものをやるライン。この3つが、今のシアターコクーンの柱なんですよね。それって演出家が4人がかりで2年かけてやるような働きで、蜷川さんはそれを1人で1年でやってしまっていた。これはすごいことなんです。蜷川さんが亡くなってからも、岩松了さん、長塚圭史さん、三浦大輔さんや赤堀雅秋さんといった劇作家たちの書き下ろしは変わらずやっていこうと思っていて、実際に先の計画は進んでいます。また60年代から70年代の唐さん、寺山さんの戯曲の再構築については、「ビニールの城」(16年)を演出するはずだった蜷川さんのピンチヒッターとして演出してもらった金守珍さんに、今後もお願いしようと。唐さんの作品でやりたいものはいくつもあるけど、なかなか唐さんの作品に挑戦できる人は少なくて、でも金さんはずっと自分の劇団でやられているし、あの時代の空気を作ることができる人、唐さんの戯曲を解釈できる数少ない演出家なのではと思っています。そのうえで、蜷川さんが亡くなって一番考えたのは、海外の古典を一般のお客さんが観られるようなエンタテインメントにできる演出家を探さなくては、ということ。「地獄のオルフェウス」を経て、古典を若手の海外の演出家たちにお願いしてみようと思い、そこから生まれたのが「DISCOVER WORLD THEATRE」なんです。
「民衆の敵」「罪と罰」で30周年の幕開け
──そしてシアターコクーンの30周年記念公演として、「DISCOVER WORLD THEATRE」シリーズvol.4「民衆の敵」とvol.5「罪と罰」が上演されます。「民衆の敵」は、温泉の発見に盛り上がるノルウェー南部の海岸町を舞台に、水質汚染という“不都合な真実”を告発した医師の孤独な闘いを描いた物語です。イプセンの中でも日本ではそれほどメジャーな作品とは言えませんが非常に戯曲が面白くて、ぜひ今やるべき作品だと思いました。
「民衆の敵」は、アーサー・ミラー作品の「るつぼ」を演出したジョナサン・マンビィと次回作は何にしようかと話している中で、候補作の1つとして挙がってきました。演出家って一番やりたいものが一番力が入ってるんですよね(笑)。やりたい度具合が見えると言うか、ジョナサンは圧倒的にこの作品がやりたいんだなと感じました。その後、作品について調べるうちに確かにかなり面白い戯曲だと思ったのと、イプセンの「民衆の敵」はアーサー・ミラーも翻案しているくらいなので、「るつぼ」を成功に導いたジョナサンならこの作品も、と思いました。ジョナサンも稽古場で、福島の原発事故のことやトランプ政権のことを引き合いに出して語っていましたが、例えば築地市場と豊洲の問題のことだって本作のテーマに近いですし、中国では上演中止になったりするような社会派の戯曲で、現代の観客にも響くのではないかなと。
──フィリップ・ブリーンさん演出の「罪と罰」についてはいかがでしょうか。
この作品はドストエフスキーの同名長編小説をもとにフィリップ自身が脚本を書いて上演した作品をベースに、シアターコクーン用にアレンジしたものです。フィリップの演出は本当に細やかで、1日の中で稽古があまり先に進まないタイプ(笑)。日本の俳優には「こういう演出を受けたかった!」とよく言われますが、観客にとっても見やすい作品になると思います。
──「DISCOVER WORLD THEATRE」シリーズについて、意識していることはありますか?
海外の演出家たちには自国でも一緒に仕事をしている美術家とセットでオファーするようにしています。演出と美術プランって密接な関係になっているので切り離すことがなかなか難しいと思いますから。あとは日本で上演するからと言って、ことさらに日本らしさを入れ込む必要はないということをお願いしています。演出として必然性があるかどうかを精査をしてもらっていますね。あとはシリアスな作品をチョイスしてやるようにしています。純然たる喜劇を外国人の演出家とやるのはハードルが高いと感じるのと、悲劇やシリアスな作品はテーマが普遍なので、日本人にも伝わりやすいと思うからです。
──「DISCOVER WORLD THEATRE」はこのあとも続くのでしょうか。
今のところはそうですね。演出家の顔ぶれも可能性があればどんどん広げていきたいと思っています。来年5月から6月に上演する「ハムレット」はロイヤル・ナショナル・シアターのアソシエイトディレクターで、19年8月からはワシントンD.C.のThe Shakespeare Theatre Companyの芸術監督に就任するサイモン・ゴドウィンの演出ですし、このあとも新しい海外の演出家との企画があります。そうそう、「DISCOVER WORLD THEATRE」シリーズでイギリスの演出家と仕事するようになったことで、イギリスの演劇界でシアターコクーンが知られるようになってきたんです(笑)。この間もロンドンに行ったら、新しい若い演出家の売り込みを受けたんですが、みんな若手といっても重鎮たちの助手をしているような人たちなので実力があるんです。そういった人たちと関係性ができてきたのはよかったなと思いますね。ジョナサンによると、シアターコクーンで仕事したことのある演出家たちは“Bunkamuraボーイズ”って言われているそうです(笑)。
──開館から30年。観客や演劇界の傾向について変化を感じるところはありますか?
最近感じている変化は、2.5次元ミュージカルや声優さんの台頭、映像やプロジェクションマッピングなどの使用方法や技術がだいぶ進歩してきたことですね。Bunkamuraはここ20年近く変わらない価値観でやってきましたが、それも少しずつ変わっていかなければ、と思います。その意味で、新たな芸術監督の必要性も感じていて話し合いを始めています。が、それまでは前任の蜷川さんの流れを踏襲しつつ、「DISCOVER WORLD THEATRE」シリーズなどを軸に、新たな可能性を探っていきたいと考えています。
- 「シアターコクーンが海外の才能と出会い、新たな視点で挑む演劇シリーズ」として、2016年にスタートした新プロジェクト。作品、プランナー、俳優などを固定せず、劇場が世界の演劇を幅広く出会うことを目的としている。
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1989→2019 シアターコクーン主催公演ラインナップ
- Bunkamura30周年記念
シアターコクーン・オンレパートリー2018
DISCOVER WORLD THEATRE vol.4「民衆の敵」 - 2018年11月29日(木)~12月23日(日・祝)
東京都 Bunkamura シアターコクーン - 2018年12月27日(木)~30日(日)
大阪府 森ノ宮ピロティホール
- スタッフ / キャスト
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作:ヘンリック・イプセン
翻訳:広田敦郎
美術・衣裳:ポール・ウィルス
演出:ジョナサン・マンビィ
出演:堤真一、安蘭けい、谷原章介、大西礼芳、赤楚衛二、外山誠二、大鷹明良、木場勝己、段田安則
内田紳一郎、西原やすあき、本折最強さとし、目次立樹、西山聖了、石綿大夢、四柳智惟、中山侑子、木下智恵、穴田有里、安宅陽子、富山えり子
阿岐之将一、香取新一、島田惇平、竹居正武、寺本一樹、中西南央、石川佳代、滝澤多江、田村律子、中根百合香、林田惠子
池田優斗、大西由馬、松本晴琉、溝口元太
※池田優斗と大西由馬、松本晴琉と溝口元太はWキャスト。
- Bunkamura30周年記念
シアターコクーン・オンレパートリー2019
DISCOVER WORLD THEATRE vol.5「罪と罰」 - 2019年1月9日(水)~2月1日(金)
東京都 Bunkamura シアターコクーン - 2019年2月9日(土)~17日(日)
大阪府 森ノ宮ピロティホール
- スタッフ / キャスト
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原作:フョードル・ドストエフスキー
上演台本・演出:フィリップ・ブリーン
翻訳:木内宏昌
美術・衣裳:マックス・ジョーンズ
出演:三浦春馬、大島優子、南沢奈央、松田慎也
真那胡敬二、冨岡弘、塩田朋子、粟野史浩、瑞木健太郎、深見由真、奥田一平
山路和弘、立石涼子、勝村政信、麻実れい
高本晴香、碓井彩音ミュージシャン:大熊ワタル(クラリネット)、秦コータロー(アコーディオン)、新倉瞳ほか(チェロ)
2018年11月26日更新