東京バレエ団 創立60周年記念シリーズの第12弾として、モーリス・ベジャール版「くるみ割り人形」が2025年2月に上演される。ベジャールの少年時代の母への思慕とバレエとの出会いをイメージ豊かに描いた自伝的作品だ。
本公演で振付指導を担当するジル・ロマンは、ベジャールの主要な作品を30年以上にわたって踊り続け、創作にも深く関わってきた。2007年から2024年2月まではモーリス・ベジャール・バレエ団の芸術監督としてベジャール作品の継承に尽力してきたことでも知られており、東京バレエ団でもたびたび指導に当たっている。
また今回の「くるみ割り人形」で初めて“M…”の大役を演じる柄本弾は、「ボレロ」をはじめ「ザ・カブキ」の由良之助など東京バレエ団の主要なレパートリーのベジャール作品で主演を務めてきたが、ベジャールの直接指導を受けていない世代となる。
ステージナタリーでは、2024年10月末にロマンと柄本の対談を実施。2人に「ベジャールの『くるみ割り人形』」はもちろん、モーリス・ベジャールという巨大な存在であるアーティストが亡くなったあとも作品を踊り継いでいくことへの思いについても語ってもらった。
取材・文 / 乗越たかお撮影 / 平岩享
ベジャール作品を踊り継ぐ2人
──まずはお二人にとって、モーリス・ベジャールというアーティストに対して抱いているイメージや思いを伺えますか。
ジル・ロマン 私がモーリス・ベジャール・バレエ団(当時は20世紀バレエ団)に入団したのは1979年でした。当時、男性ダンサーには常に女性ダンサーのパートナーとしての役割が求められていました。しかしベジャール作品の中では男性が男性らしくいることができ、男性ダンサーの存在感がすごく大きかった。そこが最大の魅力でした。モーリスは天才的かつ偉大な人物で、知識も豊富でしたし、何より振付を通してさまざまなことを発見する人でした。私は彼のそばにいて多くのことを学び、彼と共に成長し視野を広げることができ、本当に感謝しています。
柄本弾 ベジャールさんの他文化を理解しようという情熱は本当にすごいですよね。僕が由良之助を演じさせていただいた「ザ・カブキ」に関して言えば、原典である歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」全編を観ようと思ったら、早くても2日間ぐらいかかるじゃないですか。これをフランス人であるベジャールさんが休憩込みで2時間ちょっとの内容に凝縮できるのは、本当にすごい。それが多くの人から愛されるポイントなのかなと思います。
──本当にそうですね。柄本さんはベジャールさん本人との生前交流がない世代で、作品についてはジルさんや先輩ダンサーたちから受け継がれているわけですが、ベジャール作品についてはどのように受け止められていますか。
柄本 ベジャール作品は東京バレエ団にいたら誰しも憧れる作品です。やはり本当に良い作品は、古くならないですよね。ジルさんが指導に来られると、わくわくする部分もありつつ、自分の中でピリッとするような緊張感もあります。実は僕が東京バレエ団に入って、初めてジルさんの指導を受けたのが「ギリシャの踊り」のコール・ド(・バレエ)だったんですが、ものすごく怒られた記憶しかないんですよね(笑)。でもベジャールさんが直接指導されていたジルさんに習える僕たち東京バレエ団のダンサーはすごく恵まれているなと思いますね。
ロマン 弾はモーリスの作品をよく理解して上手に踊りますし、いつも集中していて存在感も素晴らしいですよ。私はたびたび東京バレエ団で指導する機会に恵まれてきましたが、ダンサーたちがモーリスのスタイルについて理解して、それぞれの踊りを深めていく様を見られるのは、本当にうれしいことです。
──ベジャールさんを直接知らない世代に対してジルさんが教えるときには、どんなことを重視して伝えているんですか?
ロマン まず作品の意味を説明します。やはりモーリスの作品はその辺りが独特ですから。そして感情面での部分を説明して、できる限り私が動いて見せることを心がけています。しかし私の動きをそのままコピーしてもらいたいわけではありません。私の振りを通して、各ダンサーがそれぞれの音楽性や表現の仕方を探してほしいのです。
柄本 言葉だけじゃなく動きで見せてもらえるのは、ダンサーにとってはすごく大きなことですね。
“完璧”は存在しない
──僕はジルさんが21歳という若さで「アダージェット」の主役を務めたとき(1982年頃)のインタビューをすごく覚えているんです。ジルさんが「ベジャールはダンサーを解放するように振り付けていた」と言っていたのが印象的でした。具体的にどんな感じなんでしょうか。
ロマン ちょっと説明は難しいんですけれども、たとえば音楽家の場合、楽譜や楽器をリスペクトしつつ、自分だけの音が自然に内側から出てくるものですが、ダンサーも同じなんです。私はダンサーたちになるべく多くの情報を伝えます。身体にたたき込んで消化して「舞台のうえで、その作品を生きてほしい」と伝えるようにしています。
柄本 舞台は踊るたびに新しい発見があって「今回の舞台は完璧だったな」ということはまずない。多分ほかのダンサーも同じだと思いますよ。
ロマン “完璧”は存在しないですよね。ダンサーは踊りながらいつも頭のどこかで自分を批判しているものです。絶えず研究というか、より良いものを探し求める。私は今まで数え切れないくらい「アダージェット」を踊ってきましたが、まだ踊りたいですよ(笑)。
空想要素も盛り込んだ、モーリス・ベジャールの「くるみ割り人形」
──今回上演される「くるみ割り人形」はベジャールさんの自伝的な作品と言われています。幼くして母を亡くしたビム(ベジャールの幼少期の呼び名)の孤独や母への思慕といった自分の弱さまでをも描き出しつつ、作り手としての距離を保たれていますね。本作の創作でジルさんが覚えていることはありますか?
ロマン 確かに自伝的な作品ですが、空想的な要素もふんだんに盛り込まれています。モーリスは最初に構成を徹底的に考えるんです。スタジオに入ったときには、ほとんど必要な役も音楽も決まっていて、ダンサーを見ながら作っていきます。そのときに発生するさまざまな問題を解決すると、また別の問題が発生する。その繰り返しですが、それがまさにクリエーションだと思うんです。私はモーリスと親しく、よく話し合いました。「くるみ割り人形」では、あとから映像を付け足したりしましたね。
──そういえば東京バレエ団の「くるみ割り人形」は、映像でベジャールさん自身が日本語を話して解説する特別バージョンなんですよ。日本のファンを大いに喜ばせています。
ロマン そうなんですか! 私はまだ日本版を観ていないので、楽しみですね。モーリスはちゃんと日本語を話せていますか?
──チャーミングな話し方で、意味はちゃんと聞き取れますよ(笑)。さて今回柄本さんは、初めて“M…”の役を踊られますね。ドロッセルマイヤー(編集注:主人公クララの理解者となる人物)的な役どころで主人公を大人の世界に導いていく重要な役割です。
柄本 正直かなりのプレッシャーを感じています。僕にとってベジャール版「くるみ割り人形」といえば、“M…”役はジルさん、フェリックス役は小林十市さんという映像を繰り返し観ているので、そのイメージしか浮かばない。最初僕に“M…”役のオファーが来たときには「できない。無理です」と即座に断ったくらいです。
ロマン まさか(笑)。弾はできるよ! 大丈夫。
柄本 僕がこの役をやるとは想像したこともないくらいなので、本当にプレッシャーが大きい役ですね。でも発表された以上、がんばります。
ロマン まあプレッシャーを感じるのは当然のことですよ。私が指導に伺うので、作品の意味や役の意味をしっかり伝えて少しずつリハーサルを重ねていけば、自信を付けてくれるでしょう。大丈夫ですよ。目的は私のように踊ることではないですし、私と彼とでは踊り方も役の解釈も違うでしょうから。
柄本 そうですね。
ロマン “M…”という役はイニシャルだけですが、これはマリウス・プティパのMであり、メフィストのMであり、モーリス自身のMなんですね。その3つの側面があるんです。ご想像の通り私はメフィストの部分を掘り下げていきましたけれど、もしかしたら弾はプティパの部分を深めていくかもしれない。プティパであれば、すごく重みのある存在であることが求められますが、弾にはそれだけの存在感があるから大丈夫です。
柄本 そう言ってもらえるのはすごくうれしいですけど……。
ロマン 現在東京バレエ団にベジャール版「春の祭典」の指導をしていますが(参照:東京バレエ団がイタリア4都市で海外公演、カリアリ・バーリ・ボローニャ・リミニで5作品披露)、弾は私の言うことをすごくよく理解しています。カンパニーの中でも存在感や重みがあり、作品の中にちゃんと自分の居場所がある。だから「くるみ割り人形」の“M…”も、絶対大丈夫だと思っています。
柄本 自分では多分一生「大丈夫」とは思えないでしょうけど。
ロマン 存在感や重みは、外側の人が見て言うことなので、自分ではわからないものです。とにかく自分なりの“M…”を探してほしい。そのためにはしっかりと想像力を育み、何よりも自分が自分らしくいられるようにすることです。
柄本 ありがとうございます。がんばります。
──今回の「くるみ割り人形」に、急きょジルさんも出演されることになったそうですね。マジック・キューピー役で人気だった故飯田宗孝(東京バレエ団前団長)へのオマージュだとか。
ロマン はい。今回そのようなお話をいただき非常にうれしく思っています。マジック・キューピーは初演時、アコーディオニストのリベットの代わりに作られた役でした。私がそのパートをどう演じるかは、現段階で何も決まっていませんけど。
──では最後に、東京バレエ団60周年に際して何かお言葉をいただければ。
ロマン 東京バレエ団は、モーリスにとっても私にとっても長い時間を共に過ごした日本の家族のような存在です。東京バレエ団の皆さんと一緒にステージに立つことを非常に楽しみに、うれしく思っています。今の私にできることは、あらゆることを惜しみなく伝えていくことです。それが私の喜びでもあります。東京バレエ団はいつも私のことを温かく迎えてくださり、ダンサーたちともとても良い関係を築けています。これからもできる限り、東京バレエ団の皆さんと充実した稽古を送りたいなと思っています。
柄本 僕らダンサーとしては、常に本当に100%良いものが出せるように努力するだけですね。ましてや今回ベジャール版の「くるみ割り人形」で“M…”をやるうえで、ずっとこの役を踊ってこられたジルさんからご指導いただけるのは奇跡みたいなことです。本当に光栄です。自分自身も少しは成長できるかなと思います。もちろん自分が習ったことは、将来次世代に伝えていきます。が、今は目の前の舞台に集中して、練習していきます。
──ありがとうございました。舞台芸術の場合、作品そのものに時代を超えるだけの力があったとしても、それを踊り継いでいくダンサーたち、あるいは上演するバレエ団がなければ、やはり残っていくのは難しいことだと思います。その最も重要な過渡期を、ジルさんと柄本さんはまさに今、ベジャール作品を未来に手渡していくためにご尽力されていると思います。「くるみ割り人形」を楽しみにしています。
プロフィール
ジル・ロマン
マリカ・ベゾブラソヴァ、ロゼラ・ハイタワー、ホセ・フェランに学んだ後、1979年にモーリス・ベジャール率いる20世紀バレエ団に入団。30年以上にわたり、ベジャール作品の主要な作品を踊る。2007年にベジャールにより芸術監督に任命され、2024年2月まで新たな作品の創作とベジャール作品の継承に務めた。ダンサーとして40年以上のキャリアを重ね、2005年には「ブレルとバルバラ」のジャック・ブレル役でダンツァ&ダンツァ賞最優秀ダンサー賞を受賞。その後も近年にわたるまで数々の賞を受賞している。
柄本弾(ツカモトダン)
京都府出身。2008年に東京バレエ団に入団。2010年に「ラ・シルフィード」、「ザ・カブキ」で主役を射止め、2013年よりプリンシパルを務める。これまでに「ドン・キホーテ」、「ジゼル」などの古典、「ボレロ」などのベジャール作品他、数々の作品で主役を踊る。バレエ団初演作品にベジャール「第九交響曲」、ノイマイヤー版とクランコ版の「ロミオとジュリエット」ロミオ役、ブルメイステル版「白鳥の湖」ジークフリート王子役、「海賊」コンラッド役、金森穣「かぐや姫」道児役、「眠れる森の美女」デジレ王子役、カラボス役などがある。2023年、ハンブルク・バレエ団の〈ニジンスキー・ガラ〉に招待され、「バクチⅢ」を踊った。