米津玄師が5月27日に新曲「毎日」を配信リリースした。
日本コカ・コーラ「ジョージア」の新たなCMソングとして書き下ろされた「毎日」。「毎日毎日毎日毎日 僕は僕なりに頑張ってきたのに」という印象的なフレーズで始まるこの曲には、米津自身の“毎日”──今現在の生き様が色濃く反映されているという。
この楽曲の完成に至るまでに、米津はいったいどんな思いを抱いていたのか。音楽ナタリーでは米津にインタビューし、楽曲制作の背景について語ってもらった。
取材・文 / 柴那典撮影 / 水谷太郎
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毎日毎日何やってるんだろう、俺はけっこうがんばってるつもりなんだけどな
──「毎日」は高揚感と切迫感のようなものが同居している曲だと感じました。この曲はジョージアの新しいCMソングですが、タイアップのお話をいただいてから書いた曲だったんでしょうか?
はい。昨年に引き続きCMソングを担当させていただくことになって、それがきっかけで作り始めました。とはいえ「毎日って、けっこうドラマだ。」というCMのキャッチコピーは変わらない。同じテーマで違う曲を書くのは難しいと思ったのは覚えていますね。
──昨年にはジョージアのCMソングとして「LADY」がリリースされました。CMは長らくオンエアされてきましたが、新しく曲を書くにあたって「LADY」とどう差別化するかということは意識しましたか?
そうですね。“LADY 2”のような曲は作りたくなかったので。ただ、いろいろやっていても、基本的にほぼ同じ空気感のものに対して曲を当てていくと、どうしても“LADY 2”になってしまう。「なんか違うな」と思って、書いては捨てて、書いては捨てて、みたいなことを何度も繰り返しました。自分の仕事量的にも切羽詰まっているタイミングだったので、そうしているうちに「何やってるんだろう……」と思って。自暴自棄というか、家に1人でこもって、デスクの前から一歩も動かずにうんうん唸ってるだけの毎日を過ごしている。「毎日毎日何やってるんだろう、俺はけっこうがんばってるつもりなんだけどな」と感じて。そこから「これを曲にすればいいや」と思ったんです。
──なるほど。曲の歌い出しに「毎日毎日毎日毎日 僕は僕なりに頑張ってきたのに」というフレーズがありますが、これは米津さんの心の中にあった正直な叫びだった。
そうですね。魂の叫びというか。そういうテンション感でした。
「でもこれが俺の人生だ」って、開き直って言うしかない
──「LADY」のときは“倦怠感”がキーワードとしてあったとおっしゃっていましたが(参照:米津玄師「LADY」インタビュー|“変わり映えしない日々の倦怠感”を軽やかに歌にして)、この曲はそれとは違うアップリフティングなムードがあるように思います。そういう曲になったのはどういう由来なんでしょうか?
自分も30代になって、いろいろ思うことや感じることも変わってきて。30歳になった節目のあたりで人生ゲームの司会者みたいな人が降りてきて「あなたの30年間の人生はこんな感じでした。さあ引き続きどうぞ」って、いろんなパラメーターがパッと示されたような感覚があったんです。自分なりにがんばってやってきたけど、それによって成功した部分もあれば、失敗した部分もある。大きく育った部分も全然育たなかった部分もある。そうやって自分が今まで生きてきた人生を振り返って、どうあがいても、どうがんばっても自分は自分でしかないなっていうあきらめがついた。よく言えば受け入れた、悪く言えば開き直った感じがあったんです。それによって浄化された部分もあったけれど、とはいえできなかったことができるようになるわけじゃないから、依然として目の前に困難もある。そうなってくると「落ち込んでる時間なんてないな」という感じがどんどん大きくなってきて。
──なるほど。自分は自分でしかない。
近年、そういうことに自覚的な人が増えたと思うんです。ちょっと前に「親ガチャ」って言葉が流行ったり、マイケル・サンデルも言っていたりしましたけれど。そもそも生まれた環境とか、遺伝子とか、親の資本とか、そういうものによって自分の適性や能力みたいなものがある程度決まってしまっている。でも「とはいえ、どうしようもなくない?」って思うんです。自分の才能、適正、性格みたいなものが運によってある程度決まってしまっていて、何らかの生きづらさを抱えていたとしても、今さら取り返しがつかない。これからの社会を是正することはできたとしても、今生きている我々はどうしようもない。それは本当に由々しきことだと思うんですけど、ならどうすればいいのかと言われたら、身も蓋もない話だけど、がむしゃらにがんばるしかない。がんばれるのも才能だったとしても、それでもがんばるしかない。勉学でもスポーツでも何でもいいですけど、毎日毎日手が痺れるまで反復する。サッカーだったらボールをずっと蹴ったり、勉学だったらペンを走らせる。社交性がないなら社交の場に赴く。毎日毎日地味なことを反復する。たとえ意味がなかったとしても反復する。自分なりにがんばる。それを努力と呼ぶのであれば、そういう努力でしか自分を地獄から救うことはできない。本当に身も蓋もない話ですけれど、その身も蓋もない現実をどう生きるのかというと「でもやるんだよ」っていう。
──ある種の開き直りみたいなものが、この曲のモチーフになっている。
そうですね。毎日毎日同じようなことの繰り返しだけど「でもこれが俺の人生だ」って、開き直って言うしかない。破れかぶれの開き直り、破れかぶれの空元気。そういう感じです。
──「毎日って、けっこうドラマだ。」というCMのキャッチコピーから触発されたところはありましたか?
そんなに意識はしなかったです。ただ、確かに「毎日」ってタイトルだし、「毎日毎日」というところから曲が始まる。曲を作り終わったあとにタイトルをどうしようか考えたんですけど、「毎日」としか言いようがなかった。脳味噌の表層には意識がなかったですけど、影響はあるかもしれないですね。
勢いでゴリ押そうと思ったんですよ。そういう曲にしようって
──曲調についても聴かせてください。曲のムードにはEDMに通じるものを感じますが、サウンドのテイストや曲の構成については、どんな意識で制作しましたか?
EDM的というのは自分としてはあまり自覚がなくて。今回はYaffleと一緒に編曲をしたんですけど、なんなら自分が作ったデモ段階はもう少しオーガニックなものだったんです。制作していくうちにYaffleが返してきたものがこういう感じだった。「ああ、そういう感じでいくんだ、いいねOK」と続けていったら偶発的にこうなりました。最初と最後に「毎日」ってフレーズが入るのも、頭から順に作っていって、気が付いたらこうなっていたという感じです。こういうものにしようと意図して作っていったわけじゃなくて、順繰りにやっていった結果ですね。
──曲を作っていくにあたって、一番苦心したところとか、ここのフレーズが出てきたことで道が開けたと感じたところはありましたか?
やっぱり最初の1行ですね。「毎日毎日毎日毎日 僕は僕なりに頑張ってきたのに」というところをヤケクソになって書いて。そっからは半ば自動書記みたいな、スルスル紐解かれていくようにできていった。勢いでゴリ押そうと思ったんですよ。そういう曲にしようって。コードも基本的にワンループだし、変にこねくり回すんじゃなくて、勢いでテンポよくポンポン進んでいって帰ってくる感じですね。
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“抗えない土台”の上でどう生きていくか
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2024年5月29日更新