米津玄師が4月8日に新曲「さよーならまたいつか!」を配信リリースした。
「さよーならまたいつか!」は、4月1日に放送がスタートした伊藤沙莉主演のNHK連続テレビ小説「虎に翼」の主題歌として書き下ろされた楽曲。さわやかな聴き心地のポップソングでありつつ、歌詞には「口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く」など、思わずハッとするような表現も織り込まれている。
「虎に翼」で描かれるのは、法曹の世界に飛び込み、のちに日本初の女性弁護士となった1人の女性の実話に基づくオリジナルストーリー。そのストーリーを米津がどう捉え、どのように曲に落とし込んでいったのか。楽曲制作の裏側について語ってもらった。
取材・文 / 柴那典撮影 / 山田智和
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「俺でいいのかな」という気持ちはありました
──「虎に翼」の主題歌の話を受けての第一印象はいかがでしたか?
「俺でいいのかな」っていう。曲を作っていると当たり前のように「夜」という言葉を使う人間なので、自分の意識としてはあまり朝が似合う人間ではないと思っていたんです。だから、ありがたいんですけど「俺でいいのかな」という気持ちはありました。
──朝にテレビから流れる曲、しかも老若男女に聴かれる曲を作るにあたって、どういう発想から制作が始まったのでしょうか。
朝ドラは自分にとってあんまり馴染みのないものだったので、「朝ドラってどういうものなんだろう」というところから始まりました。過去に主題歌を担当してきたミュージシャンがどういう曲を作ってきたのか聴いたり、名作と言われているものがどういう物語で、どういうテンション感だったのかを知るところから入らなきゃなと思って。その結果、やっぱり毎朝聴けるものじゃないといけない感じがしたんです。よくも悪くもさらっと流れていくようなものを作るべきだろうというところから始まりましたね。
キレることが必要な気がした
──楽曲制作の取っかかりはどんな感じでしたか?
朝に聴くさわやかなバラードが求められてもいるんだろうなと思うと同時に「『虎に翼』ってそういう話だっけ?」という思いも抱いて、ゆったりとしたテンポではないなという感じがしたんですよ。主人公の寅子がエネルギッシュにずんずんずんずん進んでいく感じがあるんで、そこから四つ打ちみたいな小気味いいテンポで作っていかなきゃいけないんじゃないかと思ったのは覚えていますね。
──朝ドラの曲はしっとりした大らかな曲調や切ないメロディを持つバラードが多いように思います。一方で飛び抜けて明るい曲もありますが、この曲はそのどちらでもない。どういう温度感がドラマにしっくりくる感触があったんでしょうか。
この曲を作るにあたっては“キレ”が必要だと思っていたんです。キレというのは「ブチギレる」とか「怒る」という、強いエネルギーを表す意味でのキレ。
──というと?
「虎に翼」はフェミニズム的なトーンが全体にある物語で、女性がどういうふうに社会と関わってきたかという視点は避けて通れない。だから、まずどうやって自分がここに関わるべきなのかを考えざるを得ない。そもそもなぜ男性である自分に話が来たのかも疑問だったので、制作統括の方に打ち合わせで尋ねたんですよ。女性の地位向上の物語の主題歌を歌うのが男性の自分であるのはなぜなんですか?という話をしたら「米津さんなりに、俯瞰した目線で、広がっていく世界を描いてほしい」ということを言われた。この物語の女性たちからは一歩離れたところで、俯瞰の視点で普遍的な曲を作ってほしい、そのためには米津玄師がいいのではないかという話になったらしくて。「なるほど」と思ったものの、実際に自分がこの物語に曲を当てはめるためにどうしたらいいかを考えていくと、およそ客観的に曲を作るのが不可能だと思ったんです。客観的にやるとどういう形になるかを考えると「がんばる君へエールを」みたいな曲になると思う。「あなたはがんばってる、あなたは素晴らしい、私は応援してるよ」という言い方にならざるを得ない感じがした。これはすごく無責任じゃないかなと思って。
──なるほど。
女性の地位向上については、自分が男性であるがゆえにより慎重に見つめなければならないというか、自分の身ぶり手ぶりがそこになんらかの不利益をもたらすようなものでありたくはないと思うんですね。なので、どういう形であればそれが可能になるのかを考えたときに浮かんできた「がんばる君へエールを」という方法だと、逆に女性を神聖視するような形になるんじゃないかと思った。自分の性質上、対象をある種のミューズのように扱う形になりそうな気がしたんですよね。でもそれは、結局“裏返し”でしかない。神聖視するのも卑下するのも根っこは一緒な気がする。なので、少なくとも自分にとって客観的になるのはおよそ不可能で。あくまで私事として、主観的に曲を作らざるを得ないと思ったんですよね。違う属性のものと自分を同一視するのも、それはそれで暴力的だとは思うんですけど、どちらかを選ぶと言われたら主観的なほうを選ぶしかない。そこは腹をくくってやるしかないなと思ってこういう曲になりました。
──「キレる」こと、つまり朝に聴かれる曲としての軽やかさに加えて、強さが必要だったと。
そうですね。強さとは何ぞやと考えたとき、そこはキレなきゃいけないよなって。どうあがいてもキレる必要がありますよねということを、この曲に宿すべきだと思ったんですよ。初の女性弁護士として、獣道をかき分けながら、先頭に立っていろんな道を整備してきた人たちの生き様を振り返ると、そこには並々ならぬエネルギーがあったんだろうと思うんです。お行儀よく、誰の気分も害さないような、優等生的に機会を待って様子を見ながら生きてきた人では決してないと思う。むしろ「知るか!」と言って、「私はこうありたいんだ」ということを人に示す力がある人たちが、そうやって道を切り拓いてきたような気がするんです。その大きなエネルギーの1つが“キレ”だという。そのエネルギーはこの曲に宿すべきだと思ったんですよね。
あの“ゲイン感”をこの曲に宿したい
──サビの「口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く」というフレーズに、特に強さが表れているように思います。ここはがなり声の歌い方も含めて、聴いている人の耳に留まる曲の力点になっているように思うんですが、このフレーズについてはどうでしょう?
そこもいろんな紆余曲折があるんですけど、まず主演の伊藤沙莉さんの声がすごくいいなと思ったんですよ。すごくゲインの効いた声というか、1回聞いたら忘れない独特な声をされている。そこがすごく好きで、あの“ゲイン感”をこの曲に宿したいなというのを無邪気に考えていました。それと同時に、さっき話したようなキレというものを表現するためにこういう形になった感じです。
──なるほど。主人公・猪爪寅子のキャラクターに共感した部分や、ドラマのストーリーで印象に残ったポイントはありましたか?
この曲の歌詞にも直接的な影響を及ぼしているんですけれど、寅子が母親と対面して「あなたのことを思って」と言われるシーンがあるんです。母親は「あなたを思ってこうしたほうが生きやすいんだ」ということをとうとうと説くんですけれど、それを受けて、寅子は半泣きになりながら、苦虫を噛み潰したような顔で、あなたにとってはそれが生きやすいだろうし、それがこの社会を生きていくうえでは正解なんだろうけれども、それは私にとっては地獄でしかないんだと言う。私には私の生き方があって、それを遵守したいという。そこはすごくいいシーンだと思ったし、すごく共感も覚えました。この物語の本質的な部分だと思ったし、すごく影響を受けましたね。
──「人が宣う地獄の先にこそ わたしは春を見る」というフレーズは、まさにそこからのインスピレーションがあった。
そうですね。人間誰しも、自分にしかわからない地獄みたいなものがあると思うし。それは常日頃自分が考えていることだし、そこはすごく寅子と自分がリンクする部分だったなと思います。
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“ものすごく遠い未来”に抱く憧れと希望
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