米津玄師|“変わり映えしない日々の倦怠感”を軽やかに歌にして

米津玄師が新曲「LADY」を配信リリースした。

「LADY」は日本コカ・コーラ「ジョージア」の新しいCMソングとして書き下ろされたナンバー。シンプルでさわやかな曲調と明るいメロディが印象的なこの1曲には、米津自身の今のモードが色濃く反映されており、彼は制作に際して「いかに倦怠感をまといつつ、しかし晴れやかに、軽やかにいけるか」という思いを念頭に置いていたという。

「倦怠感」という言葉で表現される、今回の楽曲制作におけるテーマの真意とは。音楽ナタリーのインタビューに応じた米津は、「LADY」制作の背景について、自身が今巡らせる思いについて、これからの歩みについて、じっくりと語ってくれた。

取材・文 / 柴那典撮影 / 奥山由之

缶コーヒーに動かされた心、生まれた新しい視点

──「LADY」は春らしい、軽やかな楽曲という印象です。この曲はCMタイアップのオファーがあって書き始めたんでしょうか。

そうですね。時期は定かではないんですけれど、ジョージアのCMの話をいただいて。そのときちょうどコーヒーがマイブームで、缶コーヒーを飲みまくっていたんです。それまではエナジードリンクを飲みながら作業するのが常だったんですけれど、それがコーヒーに置き換わった。エナジードリンクは景気付けというか、飲むことによって「よし、やるぞ」と1つのきっかけを作るようなところがあって。でも、コーヒーはガンと背中を押してくれるというよりは、寄り添ってくれる感じがある。そういうところが非常にいいなということを思っている最中の出来事でした。

──いいタイミングでのオファーだった。

「最近コーヒーにハマり始めたから、これは何らかの巡り合わせかもしれない」と思いました。そういう巡り合わせを大事にするタイプでもあるので、何らかの必然性があるようにも感じて。身を投じれば、自分にとって面白いものが生まれるんじゃないかという予感がありました。

──コーヒーをよく飲むようになって、楽曲制作時のムードや日常生活の感覚は何か変わったりしましたか?

自分はコーヒーの中でも缶コーヒーが好きなんです。缶コーヒーって、コンビニコーヒーが出てきたことによって、少し古いものになったような感じがしていて。自分の中で、缶コーヒーをノスタルジックなものとして捉えるようになったんです。タブを開けて飲む、その行為自体にどこか心動かされるものがある。どれだけ制作に影響を及ぼしているのかはわからないですけれど、そういう新しい視点が自分の中に生まれたという変化はありました。

──そういう変化が意外に大きなことだったりもするんじゃないでしょうか。

歳を取ると、自分の中に新しい視点が生まれるということがどんどんなくなってくるんですよね。新しいものに出会ったとしても、よくよく考えるとこれは以前経験したことの反復なんじゃないか、今まで見てきたことの何らかの亜種というか、形だけ変えても質は同じものなんじゃないかと思うようになって、どんどん真新しく感じるものがなくなってくる。そういう中で、「缶コーヒーっていいな」と思った。ノスタルジックになった缶コーヒーというものを見つけて、それがほんの少し愛おしくなった。自分の感覚としては、人生が変わるような大それたものではないとしても、そういう些細な発見を1つひとつ慎重に愛でていくことって、すごく大事になっているような気がします。

米津玄師

いかに倦怠感をまといつつ、しかし晴れやかに、軽やかにいけるか

──クライアントからは「こんな曲を作ってください」とか「こんなワードを入れてください」とか、そういう指定はありましたか?

特に大きな制約はなく、好きなようにやってくださいという感じでした。CMのコンセプトや、何曲か自分の過去の曲のリファレンスを受けて向こうの温度感みたいなものはわかったので、そこから遠く離れもせず、ただ、それじゃないものを作ろうという感じではありましたね。ここ最近は、がっつりタイアップ先の作品と向き合って、物語と密接になって、それをいかに再構築するかという作業が非常に多かったので。今回はそうではなく、ふわっとしたワードだけがある状態から何が書けるのか、という。ある種、一筆書きというか、あまり肩の力を入れすぎずに作った感じではありました。

──タイアップということに関係なく、米津さん自身の今のモードとして、こういう曲を作りたい、もしくはこういう感じの曲を作ると何か新しい足がかりになるのではという、そのあたりの直感はどうでしたか?

ここ最近は本当に暗い曲しか作っていなくて。自分の悪癖の1つではあるんですけど、何も考えずに曲を作ると、舞台設定が夜になってしまう。それにほとほと疲れ果てたという思いはありました。あとは凝り性なので、どんどん曲が複雑怪奇化していく。転調に転調を繰り返して、複雑にして、情報を詰め込んでいく。「KICK BACK」(2022年11月発表のアニメ「チェンソーマン」オープニングテーマ)はその典型でしたけど、最近はそのモードが強かったので、今回はとにかくワンループでどこまでいけるかを考えました。結局転調しちゃってはいるんですけど、ピアノのシンプルなリフで、ワンループの繰り返しの中で、いかに倦怠感をまといつつ、しかし晴れやかに、軽やかにいけるか。そういうことを考えながら作っていきました。

──「倦怠感をまといつつ、軽やかに」というムードは、確かにこの曲にありますよね。言葉にするとシンプルですけれど、この感覚をもう少し噛み砕くとどういうものなんでしょうか。

倦怠感って、自分の今のモードと近しいところがあって。それなりに長く……自分の名前でやり始めてからは11年、Vocaloidを含めたら15年弱くらい音楽をやり続けてきた中で、やっぱり同じことの繰り返しになってくるんですね。曲を作って、インタビューを受けて、発表して、ある程度曲がたまってきたらアルバムを作って、ライブをする。やっていけばいくうちに、同じことの繰り返しになる。最初は新たな挑戦もあったし、今まで見たことのないものが周りにあふれていたけれども、それもだんだん固定化されていって、“いい具合の距離感”が固まってくる。それは安穏な生活ではあるけれども、刺激的ではない。そういうある種の倦怠感というのが、最近の自分の中に1つ、大きなものとしてあって。

──ここ最近は新しいこと、今までやったことのなかったことに意図的に挑戦してきたようにも思いますが。

「新しいことをやる」というのも、それもまたルーティン化していくんですよね。最近はピエロのように、落語家になってみたり、車に轢かれてみたり、いろんなことをやってきたんですけど、それもまた「新しいことをやる」というルーティンの1つになってしまっているんではないか、と。そういうふうに自分の活動を客観的に見ていると「果たして刺激的とは何だろう?」と、どんどん倦怠感を抱えていくようになっていって。

──ただ、倦怠感があるということを突き詰めていくと、ニヒリズムに走りがちだと思うんです。でも「LADY」は、明るく晴れやかで、軽やかである。そこが曲の重要なポイントであるし、米津さんが意識したところとしても大きいんじゃないかと思います。そのあたりはどうですか?

この曲は、時間で言うと朝の10時くらいをイメージしていて。朝の10時って、寝てる人はまだ寝てるし、起きている人間は働き始めるくらいの頃で、倦怠感とさわやかさが同期した時間帯という感じがするんです。自分は夜型の人間なので、朝に寝て夕方頃に起きることが常なんですけど、ときどきそれが1周回って一般的な生活リズムに戻る瞬間があるんですよね。朝の7時くらいに起きて、しばらく作業して時計を見たらまだ朝の10時だった。この幸福感ってすごいな、と。自分は会社に勤めたことはないですけど、学校に通っていたときは、朝の10時頃って「帰りてえな」とめちゃくちゃ思ってたんですよ。だから、そういう自分の倦怠感を表現するにもいい時間帯だな、と。さわやかさもあれば倦怠感もある時間帯に設定して、その時間の上で、どっちつかずにうろうろするような感じが出せればいいなと。