米津玄師|あの頃の気持ちで、軽やかな自分で 今解き放つ2つのアニメ主題歌

米津玄師の2つの新曲「Plazma」「BOW AND ARROW」が、それぞれ1月20日と27日に配信リリースされた。

「Plazma」は、劇場先行版「機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス) -Beginning-」の主題歌として制作された1曲。一方の「BOW AND ARROW」は、テレビアニメ「メダリスト」のオープニング主題歌として書き下ろされたナンバーだ。この2曲に通底する疾走感に満ちたハイパーポップ的なサウンドは、ここ最近の米津の作風とは異なる“新たなモード”を感じさせる。

米津はガンダムシリーズにも「メダリスト」の原作マンガにも、かねてより強い思い入れを持っていたことを明かしている。2曲のリリースに際し、音楽ナタリーでは米津にインタビュー。それぞれの楽曲の制作背景について、そして2025年の抱負について語ってもらった。

取材・文 / 柴那典撮影 / Kento Mori

あの頃の気持ちに戻ったらどうなるだろう?

──「Plazma」と「BOW AND ARROW」を聴かせていただきました。どちらにも新しいモードを感じましたが、この2曲を作ったのは同じ時期なんですか?

大きく言えば同じ時期です。以前インタビューしてもらったときに「アルバム曲のレコーディングが終わった翌週に、また次のレコーディングがあった」という話をしましたが(参照:米津玄師「Azalea」インタビュー)、それがまさに「BOW AND ARROW」のワンコーラス分のレコーディングだったんです。その2カ月後くらいに「Plazma」を作って、そのあとに「BOW AND ARROW」のフル尺を作りました。

──アルバム「LOST CORNER」を作り終わったあとに「もう少し軽やかさがあってもいいと思った」というお話を前回の取材ではされていましたよね。今回の2曲にある“新しいモード”に向けて、意識の切り替えみたいなものはありましたか?

まさに、アルバムを作り終わったので次のモードに行きたいという思いはありました。ここ数年の自分の流れみたいなものを、ここで1回断ち切りたいという強い意志があったのは間違いないです。

──では、どういうものを変化のきっかけにしようと思ったんでしょうか。

実際のところは「新しい」と自分で言っていいのかどうか、よくわかってないところがあるんです。また新たなフェーズに向かったというより、自分の感覚としては「あの頃に戻ろう」みたいな感じのほうが強いんですよね。ここ数年は編曲を人に頼んでその人のエッセンスを求めることを続けていて。でも、アルバムも作り終わったことだし、自分が音楽をやり始めた頃の喜びみたいなものを再び取り戻したいという気持ちが湧いてきたんです。

──なるほど。ではこの2曲のアレンジは米津さん1人で完結させたということでしょうか?

はい。この2曲は完全にDTMで、全部自分で打ち込んで作りました。中学生の頃、自分の部屋で1人の時間に耽溺していた頃のことを振り返って「こういうの、楽しいよな」と思い返しながら曲を作っていったという。

──それこそ米津玄師名義で活動する前、ハチ時代やそれ以前の原点に戻るようなイメージがあった。

そうですね。もちろん、あの頃とまったく同じようなことをやってるかと言われたらそうではないし、歳もとったので考え方も幾分変わっているとは思うんですが。

──この2曲を音楽評論家的に分析すると、いわゆる2020年代のボカロシーンの潮流に近いものも感じるし、海外のハイパーポップに通じるようなテイストもあるように思います。一方で、ルーツをたどると確実にハチ時代のエッセンスに突き当たる。同時代的なサウンドとしても、米津さんの原点回帰としてもとらえることができる。そういう曲調だと感じました。

そうですね。とにかくごちゃごちゃと音を積んで、どれだけ情報量を多くできるかみたいな曲調ですね。それはここ数年のモードからすると、やっちゃいけないことなんじゃないかという気持ちがあったんです。でも、曲を作れば作るほど、やっぱり自分はそういうことをやってきた人間だよなという意識が湧いたりもしていた。先日「ドーナツホール」の新しい映像を作っていただいたことも「俺ってここからやってきたよな」と改めて振り返るタイミングになったんです。なんだかすごく懐かしい気持ちになると同時に、あの頃やっていたようなところには戻らない自分もいた。自分の感覚も、時代も変わっているので。そこも含めて、決して懐古主義的なものではなく、歳をとった今の自分があの頃の気持ちに戻ったらどうなるだろう?ということを考えながら作りました。

米津玄師

ガンダムとの思い出、人格形成の“大きな礎”

──「Plazma」はガンダムシリーズの最新作「機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-」の主題歌として書き下ろされた曲ですが、オファーが来てまずどう思いましたか?

スタジオカラーとサンライズがタッグを組んで新しいガンダムをやりますという話を最初にもらって。「それはやるしかないっしょ!」という感じでした。いろんな仕事が立て込んでいたんですけど、そんな話が来たなら、もうやりますよという。自分としては二つ返事でした。

──ガンダムには小学校時代から親しんでいたそうですが、出会いはどんなふうに?

最初はゲームでした。「SDガンダム GGENERATION-F」というPlayStationのゲームをずっとやってましたね。歴代のガンダムシリーズをゲームで追体験できる仕様だったので、アニメ自体は見たことないけどストーリーは知ってる、という不思議な状況が長らく続きました。そこから100円のガチャガチャをやったり、ガンプラを作ったりもしていました。

──ガンダムシリーズにはそれぞれの作品の世界観がありますが、どういうところに魅力を感じていましたか?

小学生の頃にはテレビで「∀ガンダム」をやっていたんですけど、田舎だったのでそれは映らなくて。中学生くらいのときに観た「機動戦士ガンダムSEED」が初めて観たガンダムのアニメシリーズでした。自分はそこまで強火のガンダムファンではないんですけど、テレビで放送していたものは毎回楽しみにしていましたね。一番好きなのが「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」というOVAシリーズで。10代後半か20代前半くらいのときに観たんですけれど、すごく面白かった。子供の頃はあまりよくわかってなかったけれど、ガンダムシリーズに共通しているテーマとして「何らかの運命のいたずらで戦うことになる2人」みたいなものがある。勧善懲悪では測りきれない、無情な感じが思春期の自分にすごく刺さるものがありました。

──「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」を手がける鶴巻和哉監督の作品にも親しんできたということですが、そのあたりは?

親しんできたと言うとこれも強火のファンに恐縮なんですけど、「フリクリ」がすごく好きでした。これも田舎から出てきていろんな文化に触れていくうちに出会ったアニメの1つで。当時の自分からすると「なんじゃ!? このアニメ」みたいなビジュアルイメージで。あのケレン味には大きな影響を受けています。昔の自分の絵を見返しても、わりと近い方向性だったような気もするし。特にリッケンバッカーを振り回すハル子のキャラクター像は、自分がボカロ曲を作るうえでの土台の1つになっていたと思う。人格形成の大きな礎の1つになっているんじゃないかなという気はします。

有り得たかもしれない可能性、選び取らなかった選択肢

──今回、曲を書くにあたってはどんなオーダーがありましたか? ストーリーやキャラクター設定については詳細に示されていたんでしょうか。

最初に全話の詳細なコンテをいただきました。そのうえで鶴巻さんと打ち合わせをさせてもらったんですが、そのときにわりと詳細な内容を話してくれたんですね。それを一度全部受け取って「さあどうするか」と。鶴巻さんとしては、主人公のマチュとニャアンの関係性、クランバトルにおける2人で1つみたいな関係性を主軸にしてほしいという話だったんです。そういう形で書こうとは思ったんですが、それだけではいけないんじゃないかと思って。何かを取りこぼしてしまうのではという不安があったんです。

──というと?

これは物語の根幹に関わるような話ですが、「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」は鶴巻さんのオリジナルガンダムであると同時に、「機動戦士ガンダム」から続くシリーズの“有り得たかもしれない世界の話”なんですね。なので、ここにどう収拾をつければいいんだろうと思って。1曲でそれを全部表現するのは不可能に思えました。どちらかを取れば、どちらかがおろそかになる。その板挟みのような感じになったんです。なので、この曲を作るにあたっては「もしもこうだったらどうなったんだろう」という、有り得たかもしれない可能性、選び取らなかった選択肢に対する想像を根幹に据えました。主人公のマチュとニャアンとシュウジは高校生くらいの年齢なので、そういう子供たちの狭い世界というか、ごく限られた小さな視野から大きな視野に飛躍するダイナミズムみたいなものがこの曲に宿ってくれたらうまくいくんじゃないかなみたいなことは考えていましたね。

──歌い出しに「もしもあの改札の前で 立ち止まらず歩いていれば」という歌詞がありますが、人生の選択のようなものを意識させるような曲にしようという考えがあった。

そうですね。あくまでこの曲の視線としてはマチュとニャアンとシュウジの3人を頭に浮かべながら作っていましたけれど、決してそこだけに限らない作り方にするべきだなとは感じていました。