何かを求めて旅をしてきたし、
あらゆるものを燃やして進んできた
──「月を見ていた」という曲名についても聞かせてください。タイトルは迷いなく決まった感じでしたか?
いや、タイトルは制作の終盤まで決まっていなくて。ずっと仮タイトルで呼び続けていたんです。ちゃんと考える段階になったときにも、何か短くパッと表現できる単語がないかなと思ったんですけど、やっぱりこれ以外にないと思った。そういう感じでした。
──サビでは「何かを求めて月を見ていた」「全てを燃やして月を見ていた」と歌われています。このフレーズはどういう由来でしょうか。
これも非常に強く物語と結び付いている言葉で、ゲームをプレイしたら一発でわかると思います。ずっと主人公は何かを求めて旅をしてきたし、その旅の途中であらゆるものを燃やして進んできた。そういう軌跡を言語化したという。「全てを燃やして」というのは自分の業のようなものと見つめ合うことで、そういう瞬間を入れなければフェアじゃないという感じがしました。
──月はゲームの印象的なモチーフにもなっています。米津さんは月というものに、どういうイメージを抱きますか?
月は太陽の光に反射して輝く。自ら光を発するのではなく、光を受けてそれを反射する。どこかオルタナティブな印象があって。自分は、月と太陽では、どちらかというと月のほうが好きだと思います。それとやはり夜が好きですね。寂寥感みたいなものもあるし、自分は暗闇でしか生きていけない人間のうちの1人だという感じがあります。岩をどけたら虫がいっぱいいるような、そういう部分を持って生まれてきた人間である。そこに共感を覚えるところはあります。
──ジャケットのイラストについても聞かせてください。これは作中に登場する狼のキャラクターをモチーフに描いたものでしょうか。
そうですね。トルガルという名の狼です。さっきは基本的に2人で旅する物語だと言いましたけれど、実際は2人プラス1匹で、2人の中間にずっといるのがトルガルである。最初は王国の飼い犬みたいな小さな姿で、時の経過とともに成長してこの姿になるんです。ジャケットを描くにあたって、どういうものを描こうかと思ったんですけど、例えば主人公のクライヴやジルの顔や体が写ってしまうと、どこか具体的になりすぎてしまう。そこでいろんな情報が限定されてしまうような感じがあったんです。どうしたものかと思ったときに、その2人を一番間近で見てきたトルガルの姿がふさわしいんじゃないかと思いました。
──トルガルをどういうふうに描こうと思いましたか?
トルガルの眼差しですね。横顔にしようかと思ったりもしたんですけど、何かを訴えかけるようにこちらを見つめる姿がいいんじゃないかという感じがしました。
お互いのパーソナリティを確認する時間
──「月を見ていた」のミュージックビデオについても聞かせてください。非常に情報量が多い、壮大なストーリー性を感じさせる映像に仕上がっていますが、どういうアイデアから制作が始まったんでしょうか?
まずは監督を誰にお願いするかというところから始めました。「月を見ていた」は「FINAL FANTASY XVI」のために作った曲なので、そのMVをどうするかは非常に難しいところで。できることならゲームのラストシーンを出せたら一番いいんですけど、それは流石にネタバレが過ぎるし、ゲームの流れがあったうえでのものなので、そこだけ切り取っても意味がない。ゲームのムービーシーンをつないで1つにするというのもあまりしっくりこなくて。だとすれば、“FINAL FANTASYっぽさ”というか、ファンタジックな文脈を踏まえたうえで、まったく新しい別の物語を構築してくれる人は誰なんだろうと。そこからPERIMETRONのOSRINが一番いいんじゃないかということになりました。
──MVを作るにあたって、ゲームのために書いた歌詞からまた別のストーリーを翻案しようという意図があった。
そうですね。最初にOSRINと曲についての話をして、彼なりにいろいろ考えてもらって。今までのMVで一番多く監督と話をしたような気がします。OSRINがそういうタイプの人間だったのもあるんですけど、打ち合わせのみならず、半分友達みたいな感じで、サシでざっくばらんに話したりもして。MVの話だけではなく、お互いのパーソナリティを確認する時間が今まで一番長かったというのはありますね。
──米津さんとOSRINさんで共通する感性、重なり合う部分はありました?
話してみて思ったのは、OSRINもインナーなタイプというか、内にこもって頭の中でいろんなものを構築していくことが好きな人間だったということで。自分の幼少期もまさにそういう感じだったので、根っこの部分で共通している、重なり合う部分が多分にある人間なんだなという感じがしました。
芯から格好いい何かを求めてもいいんじゃないか
──MVでは米津さん自身が兵士や僧侶など3役を演じ、多様な人生をファンタジーの多元世界で生きていくという筋書きが描かれます。このアイデアはどのように組み立てていったんですか?
そこはOSRINの発案でした。お互いがどういう人間なのかを話し合ったうえで「好きに作ってください」とお願いしたら、こういう形になったという。
──「POP SONG」(2022年)のMVでは「変身したい」という考えがあり(参照:米津玄師PlayStation CMソングインタビュー)、「KICK BACK」(2022年)のMVでは「どれだけウケるか」みたいな方向性に突っ走ったと(参照:米津玄師「KICK BACK」インタビュー)、米津さんはそれぞれのインタビューでおっしゃっていました。今回のMVは、米津さんの中でどんなことをやりたいという思いがあったんでしょう?
「POP SONG」も「KICK BACK」もそうだし、あとは「感電」(2020年)もそうだけれど、ここ数年は“ちょける”という……つまりいかに笑えるユーモアを持つか、それを映像や音楽において意識するかという思いが強くあったと思うんです。でも「KICK BACK」を作ってMVを撮り終わったあとに「これ以上はないな」という感じがしたんです。これ以上やっても、自己模倣やセルフパロディのような形になってしまう気がして。自分のマインドがだんだん変わってきたのもありました。要するに、自分は客観的な視点を求めて2、3年やってきたんです。自分なりに思う「ユーモア」は、対象との距離の取り方が大事で。その対象を裏から見たり、本来のイメージと違う見せ方をすることによって、それが面白おかしくなったりする。そういうユーモアを自分は求めていたんです。そういう形でやってきたんですけど、そろそろ、もう一度真正面からぶつかっていくようなことをしてもいいんじゃないか。客観的な茶化した視点で何かを見るんじゃなくて、自分の主観的な目線から見た、芯から格好いい何かを求めてもいいんじゃないかという話をOSRINに話したのは、すごく覚えています。
想像だにしないようなところに行かないことには、やっぱり面白くない
──MVの撮影はどれくらいかかったんですか?
3日間くらいですね。富士山に行ったりもしました。
──撮影を振り返って、いかがでしたか?
毎回思うんですけど「なんでこんなことしてるんだろうな」って。「POP SONG」も「KICK BACK」もそうだけど、MVでここまで体を張っているのは、少なくとも日本の中では自分くらいなんじゃないかなと思いました。今回も3役あって、その役ごとにいかに演じ分けるかを考えたり、甲冑を着たりと新しい経験があって。OSRINが発案してくれた物語に対して自分の解釈をどう乗せていくかを考えていくのは楽しかったですね。
──MVでここまでいろんなことをやっているアーティストはほかにいないと思います。
なんでこうなったんだろうなって、ふと思うんです。別にこんなことをしたいがために音楽を始めたわけじゃないんだよなって。バンドに影響を受けて音楽の道を志したけれど、気が付いたらバンドがうまくいかなくて、1人でやることになって。1人ならどうするかを考えていくうちに、だんだん当初の予定とはかけ離れた存在になっていって。でも、これは自分が望んでいたことのような気もするんですよね。想像だにしないようなところに行かないことには、やっぱり面白くないし。望んだ形であるんですけど、ただ、「なんでこうなったんだろう?」と思わざるを得ないという。
──1つ言えるのは、やはり曲の持つパワーゆえのことだと思います。この「月を見ていた」はそれこそ「FINAL FANTASY XVI」の制作チームがCGを作るのと同じくらいの熱量で音楽に映像を付けないと釣り合わない。それゆえに1曲のMVには過剰な、映画のようなアイデアとストーリーとルックを込める必然性があったという。曲の持つ力がそうさせたとも思ったのですが、どうでしょう?
自分が作った曲の力は、作った人間なので信用しているけど、それが傍からどう見えるかは、最終的に自分にはわからないので。MVがこういう形になって、ものすごい熱量高く仕上がったという状況から見ても、そういうものがあったのかな、そうであってほしいなという気はします。OSRINも大変だったと思います。「FINAL FANTASY XVI」のそもそもの物語があったうえで、これを作らなければいけないという制作には熾烈なものがあったと思うので。そこは感謝しています。
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いい意味で、細かいことを考えなくなってきた
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2023年8月25日更新