米津玄師|ただただ物語のために── 「FINAL FANTASY XVI」に捧ぐ 空想の音楽

後編では「月を見ていた」の制作の裏側について、映像作家のOSRIN(PERIMETRON)が監督した壮大なミュージックビデオについて、そして全国ツアー「米津玄師 2023 TOUR / 空想」を終えての感慨について、たっぷりと語ってもらった。

「月を見ていた」は「FINAL FANTASY XVI」のストーリーと密接にリンクした楽曲であるため、以下に記載されているインタビューには「FINAL FANTASY XVI」に関するネタバレを含みます。

「月を見ていた」インタビュー後編

最後は救済があってほしい

──ゲームをプレイし終わって、初めてピースが全部ハマるものになるよう意識して楽曲を制作したということですが、実際に米津さんが「FINAL FANTASY XVI」をプレイし終わった際には、どんな余韻が残りましたか?

「FFXVI」は非常にシリアスなゲームでした。主人公クライヴの過酷な環境に、コントローラーを通じて同一化して、「この人たちが幸せであってほしい」という気持ちがプレイしていくたびにどんどん増していく。そういうゲームなんですね。主人公は厳しい環境で生まれて、そこからずっと過酷な戦いを強いられる。「なんてかわいそうなんだろう」と感じながら、最後くらいは救済があってほしい。最後のシーンに流れる音楽を自分が作るにあたっては、そういうことを考えました。

──ゲームの主人公が物語の中でどういう結末を迎えるかを踏まえて書いていった。

基本的に、主人公のクライヴと、彼と同じような境遇で生まれて同じように過酷な人生を歩まざるを得なくなったジルという女性の2人を軸に物語が進んでいくんです。過酷な物語だからこそ、輝くような幸福な瞬間も途中にはあるんですけれど、とはいえ一般的に見て、ものすごく不幸な人生だった。物語の許す範囲の中で、それをいかに楽曲で救済するか。そんな思いが一番大きかったと思います。とはいえ、主人公は非倫理的な行いもするんですね。

──どういうことでしょうか?

簡単に言うと、世界を救うために世界を1回滅ぼすという、そういう選択を取るんです。主人公の目線からするとそうせざるを得ないのは確かなんですけれど、しかし、この物語に出てこない市井の民からしたら、そんなことは知ったことじゃない。世界を滅ぼすというのは、つまりインフラを全部ぶち壊すということで。平穏に生きていた市井の民たちは、多大なる損害を被り、主人公のやったことについては「あいつのせいでこうなった」というような情報だけがおそらく伝わっていくんです。これもまたすごく悲しい話ではあるんですね。とはいえ、そこで彼が世界を滅ぼす選択をしたというのもまた事実で、それは客観的に見て、人をひどく傷付ける行為につながっている。主人公に救済があってほしいと思う反面、彼が残したそういう傷跡みたいなものも、同時に1曲の中に込めなければならない。じゃないとフェアじゃないという感じがした。救済を感じつつ、いつまでも癒えることのない遺恨のようなものを感じる、そういう曲にしたいと思いました。

「私」と「あなた」

──歌詞の中には「私」と「あなた」という言葉が出てきます。これは先程おっしゃった主人公のクライヴとジルを表していると捉えてもよいでしょうか?

そうですね。それは言い切ってもいいです。

──どちらがどちらということは言えますか?

そこを自分が限定する必要はないのかなと思います。これは個人的な感覚でしかないんですけれど、最近、「僕」とか「俺」とか、一般的に男性しか使わない一人称を曲の中で使うことに対する危機感みたいなものが、どんどん増してきていて。自分自身、日常生活でも「私」と言うようになってきているんですけど。そこを限定する要素は排除していってもいいんじゃないかという個人的なモードはあります。

──歌詞の中に描かれている「私」と「あなた」の関係性には、とても切実なものがあると感じました。ここに関しては、米津さんはゲームからどういうものを受け取って、どういう形で曲に昇華しようと考えましたか?

クライヴは抗うことが不可能なくらい、いろんなものを背負わされていくんです。そもそも王家の人間として生まれて、でもその王国が没落し、奴隷のような身分になる。しかし特別な能力を得て生まれてきたということもあって、レジスタンス的にいろんなものを背負わされて生きていく。至上命題は世界を救うことではあるけれども、しかし世界を滅ぼす選択を経由しないとそこにたどり着けない。そして最後には壮絶な運命が待っている。それはもう、悲しすぎるだろうという感じではあるけれど、そういう形でしか表現できないようなものが物語にはある。ここで仮にすごくハッピーな、多幸感のある曲が流れたとしても、プレイヤーたちは納得しないと思うし、自分も絶対に納得できない。いろいろ考えた結果、こういう形にならざるを得ない。むしろこの形が正解であると考えました。

米津玄師

孤独を感じる、シンプルな、削ぎ落とされた音

──メロディや曲調に関してはどうでしょうか。これまでの話にある通り、悲壮感や、それに対しての救いのようなイメージがこのような楽曲になった感じでしょうか。

最初はもっと荒々しい、激しい曲を作ろうと思ったりもしていたんです。というのも、最初に見せていただいた映像から強くそういう印象を受けたというのもあって。大雑把に言えば、今回の物語は復讐劇でもあるので、ある種の怒りとか、荒々しい、激しいニュアンスを取り入れた、ラウドな曲を作るという選択肢もあった。正直言うと、そっちのほうが簡単だったと思うんです。でも、実際に自分でプレイして、このストーリーの最後にかかる曲だと考えると、到底そういうことはできないなという感じがありました。

──ピアノとストリングスを用いたドラマティックな曲調ですが、アレンジやサウンドメイキングについてはどんなイメージで制作を進めましたか?

孤独を感じるような、静かな音楽であるべきだろうという意識がありました。最後にこの曲がかかるシチュエーションも、海辺で主人公が1人横たわっていて、今にも燃え尽きそうな姿で月を見上げている。そこにラウドな曲が流れてきても台無しだろう、と。すごく孤独を感じる、シンプルな、削ぎ落とされた音で構築していくほかないなという。シリアスなピアノを基軸にして、それ以上でも以下でもない形にするべきであるという感じでした。

──この曲は坂東祐大さんが共同編曲を務めています。坂東さんはこれまで米津さんのさまざまな曲で共同編曲を担当してきましたが、米津さんが坂東さんと一緒に楽曲を制作したときに生まれる化学反応については、改めてどんなふうに感じていますか?

最初に坂東くんとやったのが「海の幽霊」という曲で、そこで得たものがものすごく大きかったんです(参照:米津玄師「海の幽霊」インタビュー)。何かの手がかりのようなものというか、自分がこれから音楽を作るうえですごく重要な何かをこの人が持っているんじゃないか?という感覚があったんですね。すごく美しい音を構築してくれて、すごく品のいいものを提供してくれる人だなという。

──最近では「KICK BACK」で常田大希(King Gnu、millennium parade)さん、「LADY」でmabanua(Ovall)さんと、いろいろな方が共同編曲を担当していますが、このあたりに関してはどうでしょうか。

そこは適材適所ですね。自分が作る音楽として「こういうものを用意したい」という軸が定まった先に、それに似つかわしい人とともにやるのが一番健全である。「KICK BACK」は大希じゃなければあり得なかったと思うし、mabanuaさんとも以前一緒にやったことがあって、そこでの経験から「LADY」はmabanuaさんが一番いいんじゃないかと思った。自分が何を求めているか、自分の音楽に一番似つかわしいものは何かを考えていくと、自然と決まっていく感じがあります。

──「海の幽霊」で坂東さんと共同編曲をしたことは米津さんにとっても大きなターニングポイントになったのではないかと思います。

それは坂東くんと出会った時期の自分のマインドも非常に大きな関係があると思います。この言い方が正しいのかどうかわからないですけれど、あの当時の自分はポップであることにすごく自罰的な感じがあったんです。飲みに行った帰りに街を歩いていると、猥雑にいろんな曲が流れてくる。そこで自分の曲が流れたりすることに、言いようのない不快感みたいなものがあったんです。それはあくまで当時の精神状態ということで、ありがたいことではあるんですけど。そのときは“広くなって”いく自分の音楽に対して「果たしてこれでいいのか?」という感じがあったんですよね。そういうときに「海の幽霊」で彼と出会った。そこでもちろん素晴らしい音を提供してくれたというのが第一にあるんですけれど、プラス、どこかマニュファクチャリングなポップスというところから自分を遠ざけてくれるんじゃないかという予感もありました。


2023年8月25日更新