米津玄師|3年かけて磨き上げた傷だらけの宝石

みんなが知っている洋次郎さんと俺が知っている洋次郎さん

──「PLACEBO+野田洋次郎」ではRADWIMPSの野田洋次郎さんとのコラボレーションが実現しました。

洋次郎さんとは前から曲を作ろうと言っていたんです。いろんなところに飲みに連れていってもらう中で、「いつか2人で一緒にやりたいです」という話を俺からしていて。向こうも前向きでいてくれたので、タイミングを図りながら、結果としてこういう曲になった感じです。で、おそらくですけど、米津玄師と野田洋次郎の関係性としてできあがった曲がこんな感じになるっていうのは、みんなあんまり想像していないんじゃないかなって。

──正直、想像していませんでした。

そうですよね(笑)。あえてそうしようと思ったんです。RADWIMPSが脈々と作り上げてきた歴史があるじゃないですか。俺はそれに影響を受けてきたわけで、それが1つの文脈になっている。それに沿っていいものを作る自信もあったんですけど、それは今のタイミングじゃないんじゃないかなという直感がありました。

──RADWIMPSと米津玄師の音楽性の中間地点にあるようなものとはまったく違うイメージですよね。80年代っぽいサウンドで、もっと陽気な曲になっている。

でも無理矢理にこの曲を作ったんじゃなくって、自分にとってはすごく自然な形なんです。2015年に対バンして以来関係性が続いているんですけど、洋次郎さんと一緒に飲みながらいろいろとくだらない話をしているうちに、本当に自然とああいう形になったというか。彼の持っている孤独感やその反対にある明るさ、人懐っこさ……みんなが知っている洋次郎さんと、俺が知っている洋次郎さんの部分を踏まえて、結果としてこういう曲ができあがりました。

──洋次郎さんのコメントにもありましたけれど、声が重なったときの響きは今までにない感じがあってとてもいいですよね(参照:米津玄師、敬愛するRADWIMPS野田洋次郎と初のコラボ曲制作「僕の中に深く残るでしょう」)。

自分でも楽しみにしていたんですけど、レコーディングで声が乗った瞬間は、何か胸にくるものがありました。洋次郎さんのこういう歌は聴いたことなかったんですよね。すごくピュアな感じがするというか。そこに自分との対比が明確に生まれているのも感じられたし、多大な影響を受けて育ってきた彼の新しい一面を見れて、それが自分の曲であることが相当にうれしいです。本当に作ってよかったと思います。

自分の中の“あなた”がどんどん大きくなった

──これはアルバム全体の印象なんですが、歌詞に「あなた」や「君」という言葉が多く使われている曲が多く、人との関係性をテーマにした楽曲が並んでいるように思いました。

ここ数年、人に生かされていると思うことがすごく増えたんです。ポップソングを作ること自体もそうだし、そもそも音楽は誰か聴いてくれる人がいないと成立しないものだと思っていて。自分は対面に人がいなければ成立しないということが、ポップソングを作る過程において、どんどん具体的になっていった。米津玄師としての音楽の歴史は、そこに向かっていく物語だったんだと思うんです。1人で何かを作っていても結局意味がなくて、いろんな人間が周りにいて、その関係性で音楽を作っていくのが健全だということに気付きました。特にここ最近はそれが実を結んできたと思います。今回「まちがいさがし」をセルフカバーしましたけど、それこそ菅田将暉くんにしても、彼がいなければ今の自分は絶対にいないと思う。いろんな人がいることによって自分の音楽はすごく進化してきたし、納得のいくものになっていった。人との関わりは面倒くさい部分も多いんですよ。でもそういう奴らがいたからこそ今の自分があるわけだし、また、彼らを傷つけてしまった部分もきっとある。

──はい。

もともと自分は平坦に生きたかった人間なんですよね。晴耕雨読の生活というか、凪の生活というか、ずっと1人で部屋にこもって映画なりマンガなりを読み続ける生活がしたかった。でもそれを選ばなかった。そこから始まった自分の歴史が、対面にいる“あなた”がどんどん明確になって、自分の音楽を聴いてくれる人が自分のパーソナルスペースの徐々に大きな部分を占めるようになっていったなって。

──特にここ数年は人との出会いから受ける刺激や影響も大きかったのではないかと思います。

そうですね。例えば飲みの席とかで、ほんの些細な誰かの言葉の切れ端に「あ、その表現いいね」と思うこともあるし。お酒を飲むのが好きなんですけど、お酒を飲むと感情的になるというか、より主観的になるのでいろいろと衝突も生まれるわけで。普段は冷静に努めようとしているぶん、そういう場所に行くと対面にいる人との違いがより浮き彫りになる。自分とはまったく違う人間がいるということに思いを馳せる瞬間が昔に比べて増えた。自分とは違う人間が持つ美しさは、自分の目線からは受け入れにくいものかもしれない。でもその美しさをどういうふうに自分のものにできるだろうか、とか考えるようになりました。そういう意味では、ここ最近は人から与えられた影響が音楽に直結していますね。

米津玄師(Photo by Taro Mizutani)

米津玄師(Photo by Taro Mizutani)

このアルバムを立脚点としてどんどん変わっていく予感がある

──「Flamingo」とか「クランベリーとパンケーキ」とか飲み会から生まれた曲もいくつかありますよね(参照:米津玄師「Flamingo / TEENAGE RIOT」インタビュー米津玄師「Lemon」インタビュー)。でもここ数カ月はそういう機会もなかったんじゃないですか?

なかったですね。3カ月くらいかな。自粛を要請されている期間はずっと仕事の人間以外とはまったく話さなくて。連絡も完全にシャットダウンして、お酒も1滴も飲まなかったんです。それまでずっと飲んでたんですけど、ないならないで全然大丈夫でした。

──健康になりました?

健康にはなっていないです。ずっと椅子の上で作業していて、身体をまったく動かさなかったので。自粛期間が明けて「感電」のMV撮影のリハーサルをやったんですけど、車に飛び乗った瞬間に腰をやっちゃって。もう30だなって思いましたね(笑)。

──最後に、もう1つ改めて聞ければと思います。完成から少し経って、改めて考えると「STRAY SHEEP」は、どういうアルバムになったと思いますか?

性懲りもなく迷ってるなという感じですね。だからアルバムのタイトルも「STRAY SHEEP」(=迷える羊)になった。自分もいい大人なわけで「そろそろちゃんと腰を据えてどっしり構えたほうがいいんじゃないか」と言われる年齢でもあるとも思うんですけれど、性懲りもなく「果たしてこれでいいんだろうか」とか、そういうことを日々絶えず考えている。それが音楽に直結していて、納得している今があるからそれはそれでよかったと思うんですけどね。でも、やっぱりより責任を負わなければと思うようになったとは思います。もちろん、子供らしく自由にやることや無邪気な側面が美しく感情的に響く瞬間はありますけど、健全で真摯なものの作り方ってそうじゃないなと。特にポップソングを作るにあたっては、ある種の大人の浅ましさやくだらなさを感じるところもあるんです。いろんな人に聴いてもらいたいと思うこと、自分の音楽が大きく広がっていくことって、なんて浅ましいんだろうと考えたりもする。それによって、意図しないところでいろんな人を傷つけたりするし、聴いてくれる人が増えれば増えるほど、ポジティブに捉えられることを発したとしても、そのこと自体に拒否反応を示す人もいるわけで。自分の発した表現自体が構造の変化の足を引っ張る形になってしまったりするかもしれない。それにまつわる責任に対して敏感にならなければならないと思うんです。それに対する自分なりの回答をこのアルバムである程度は出せたんじゃないかと思います。少なくとも、そういうものを担ったうえでエンタテインメントとして美しいものを作り続けていきたいという意識がより濃く出たアルバムになりました。

──そういう意味では「Lemon」以降の変化が如実に表れた作品でもあると思います。自分がポップソングを作る人間として世の中のど真ん中になったこと、そこにたどり着いたということを引き受けて、ちゃんと答えを出す必要があった。

そうですね。ただ、すべてにおいて誰もが納得できる責任の取り方じゃないとは思います。やっぱり、いろんなことを求められますよね。影響力があるんだから、もっとこうしたらいいんじゃないか、ああしたらいいんじゃないかと言われる。それをすべて包括したようなアルバムにはなっていないかもしれない。でも、少なくとも今の自分がやるべきこと、やれることはこれだと思います。そして、ここから先はきっとこのアルバムを立脚点としてどんどん変わっていく予感があります。

──聴き手にとっては、この「STRAY SHEEP」は、まさに米津さんがおっしゃったように、宝石のようなアルバムとして受け取ることができるのではないかと思います。特に心に傷を抱えていたり、なんらかの抑圧を受けてきた過去を持っている人にとっては、そうやって育ってきた自分を1つの宝石として捉え直すきっかけになるかもしれない。

最終的にはどうしてもそういう人のほうを向いてしまうんですよね。傷つきやすかったり、些細なことでひどく沈みこんでしまうような人たちに対して、自分はどんなことができるのか。大人としてのある種の浅ましさみたいなものを引き受けながら、どんなふうに包み込んであげることができるのか。何より細心の注意を払っているのは、そこかもしれないですね。