米津玄師|3年かけて磨き上げた傷だらけの宝石

米津玄師が約2年9カ月ぶり、5枚目のオリジナルアルバム「STRAY SHEEP」を完成させた。本作には自身最大のヒット曲となった「Lemon」をはじめ、ラグビーワールドカップを盛り上げた「馬と鹿」、Foorin「パプリカ」や菅田将暉「まちがいさがし」のセルフカバーなど、世に広く浸透した楽曲が多数収録されている。

本作は今年初旬から開催されていた全国ツアー「米津玄師 2020 TOUR / HYPE」が中断を余儀なくされ、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて社会が大きく変動する中で制作が進められた。米津は制作中に何を思い、このアルバムを完成させたのか。そして最大のヒット曲を世に出してから米津の心境はどのように変化していったのか。1万5000字のインタビューで紐解く。

取材・文 / 柴那典 撮影 / Taro Mizutani

当初予定していたものとは違うものになった

──アルバム、素晴らしかったです。前作「BOOTLEG」を2017年11月にリリースしてから、「Lemon」を筆頭にシングルをたくさん発表していますし、新曲が8曲あるにしても聴く前は、ある種のベスト盤的な聴き応えになるのではないかと予想していたんです。けれど、聴いてみたらアルバムとしてのまとまりや物語性のようなものが強く感じられたのが印象的でした。まずアルバムが仕上がったときの感触を聞かせてください。

できあがったときの感想としてはだいたいいつも一緒なんですけど、「果たしてこれでいいんだろうか?」という。ここ3カ月くらいいろいろあって、ツアーもそうですけど本来やりたかったことや決まっていたこと……ライブもそうだし撮影ができなくなったりして、それによって企画が変わってしまったりとか。「じゃあ俺は何を作ればいいんだろうか?」と考え始めて、家にこもって1人でずっと曲を作っていましたね。それで結果的には本来作ろうと思っていたものとは違うものになりました。

──本来作ろうと思っていたのはどんな作品だったんですか?

最初は「STRAY SHEEP」というタイトルを付けるつもりではなくて、もっとポジティブなものだったんです。さっきベスト盤と言われましたけれど、当初は「Lemon」から始まった2年半という長い期間をストーリー仕立てで見せるような形を想定していたんです。でもそれが一瞬でぐちゃぐちゃになって。本来思っていたものと違うなと思いながら、そういう状態になった今、自分はどういうものを作るべきなのかを短い時間の中で考えなければならなかった。だからできあがったときは「本当にこれでよかったのか?」という思いがすごく強くありましたね。

──コロナ禍で状況が変わる前、当初作ろうとしていた作品のイメージを具体的に教えていただけないでしょうか。

自分からすると「Lemon」という曲は、想像よりはるかに広いところに届いて、自分のコントロールから完全に外れていった曲だったんですよね。ただ、そういう事態は自分がずっと追い求めてきたことでもあった。ポップミュージックを作りたいとずっと志してやってきたので、ある種の1つの到達点だったんですよね。「ポップミュージックってこういうことなんだ」と、わかりやすく体感できた曲になったんです。それで次はどうしようかなと。そこを立脚点にして考えなくてはいけない感じがどうしてもあったんですよね。巨大なものになってしまったがゆえに、そこからどこに向かうかを考えて作った「Flamingo」にしても「海の幽霊」にしても、ある種、米津玄師の第2章の始まりというような感じがあった。そういうスタートからこれまでの3年間をわかりやすく見えるように並べていこうとしていましたね。

米津玄師(Photo by Taro Mizutani)

米津玄師(Photo by Taro Mizutani)

音楽家は不要不急なものなのか?

──8公演を行ったところで中断となってしまいましたが、2月から4月にかけて「米津玄師 2020 TOUR / HYPE」というタイトルの全国ツアーを予定していましたよね。それは今話していただいたアルバムコンセプトと関連性はありますか? 「HYPE」はどういう由来で付けたタイトルなんでしょう?

「HYPE」という曲を作ろうと思っていたんですよ。新しいアルバムの収録曲として。まだ形にしていなかったけど、曲調とかを考えている中でツアーのタイトルを決めなきゃいけないときがきて。昨年のツアー「脊椎がオパールになる頃」も同じで、「脊椎がオパールになる頃」という歌い出しの曲があって、その曲をツアー中にどこかのタイミングで披露しようと思っていた。ツアーは今回のアルバム制作の一環だったとも言えますよね。

──「HYPE」という仮タイトルの曲は、今回のアルバムに入ったんでしょうか?

入らなかったです。アルバムの全体像が見えてくるうちに、やっぱり最初考えていたものとは全然違うものになってしまったんですよね。新型コロナウイルスの影響もあって。本来であればツアーと並行してアルバムを作っていくつもりだったんですけど、その予定がなくなってしまった。ツアーが中止になってしまったことは自分としてもすごく残念だし、待ってくれている人たちのことを無下にする形になってしまって心苦しいんですけど、でも無理矢理にでも好意的に捉えるのであれば、アルバム制作に集中することができてよかったのかなと。混沌とした状況の中でこのアルバムを作り上げられたというのは、それはそれで価値のあることだったのかなと思いますね。

──ツアーが中止になり、新型コロナウイルスも感染拡大し、緊急事態宣言が出て社会が大きく変動した状況の中で、米津さんはどんなことを考えていましたか?

まず、音楽家は不要不急のものなんだなと思いましたね。「不要不急」という言葉を、耳にタコができるくらい聞いた。生活に必要最低限のものを選んでいくと、音楽は最初のほうに「いらない」と言われるものであるし、中でもライブハウスはいまだにちゃんとした運営ができない状態にあって。それはそうだなと思う反面、そういう言葉を目の当たりにしたときに、じゃあ自分の人生は不要不急なものなんだなって。なくても別に生きていけるというか。音楽はもちろん文化としての豊かさを担っているとは思うけれども、こういうことが起こるとすぐさまにでも活動が回らなくなる、ものすごく脆弱な存在なんだと再確認して。だからこそ、自分の判断や価値基準みたいなものをすべて人に委ねてはいけないとも思いました。世の中には不当な扱いを受けている人たちもいますけど、それすべてに従う必要はないというか。誰にしても自分の生活があって、それを守ることを大切にしなければならない。もちろん世論とかいろんなものを照らし合わせながら判断しないといけないんですけど。誰が何を言おうと、自分にとって必要なものは自分にしかわからない。それこそ音楽がなければ本当に死んでしまう人がいるかもしれない。生活に本当に必要最低限のものだけを残していったとき、それは果たして人間らしい生活と呼べるのかとか、必要最低限を残すと最後はどれくらいの人間が残るのかとか……そういうことをいろいろと考えていました。