俺はお笑い担当
──再始動から10周年、現在のメンバー編成になって30周年、そして川西さんの生誕60周年。3つ合わせて「ユニコーン100周年」というアイデアを思い付いたのは、テッシーさんだとお聞きしたんですが?
これ僕1人のアイデアじゃなくて、スタッフと雑談している中で出てきたんですよ。何で川西さんの還暦まで入ってんだとツッコミたくなる人もいると思いますけど。僕としては「メデタイんやから、エエやないかっ!」と(笑)。あ、でも川西さんまだ60になってないから(誕生日は10月20日)、今は99周年ですね。
──思い付いたときはうれしかったのでは?
「そんな歳かいっ!」とは思いましたね。しかも考えてみたら、最初の活動期間は6年半ですから。気が付けば再始動してからのほうが長くなっちゃった。といっても、実働はその半分くらいなんだけど。世の中のスピードが上がっているわりにはマイペースで、まあ、充実した10年だったんじゃないかなと。
──ユニコーン100周年ツアー「百が如く」前半のセットリストを見ると、ライブの最後に「ひまわり」を演奏していますね。この曲は再始動して1枚目のアルバム「シャンブル」のオープニングナンバーで、感慨を抱いたファンも多かったと思います。
まさに10年ひと昔ですね。だけど、変わってないっちゃ変わってない。メンバー全員が自分で曲を書き、詞を書き、歌うというところも同じですし。みんな歳を取って声は太くなったけれど、キーも変わらずですしね。民生とABEDONという2本柱のフォーメーションも年季が入っている。要はすべてバンド内でまかなってきたから、簡単には古くならないと思うんですよ。
──解散して、16年のインターバルがあったこともプラスに働いている?
そうですね。16年間、全員ちゃんと音楽で食っていたのがまずよかった。普通16年も放っておかれたら、誰か1人くらいはカタギになってますから(笑)。でも僕らは幸い、全員ミュージシャンとしてスキルアップしていて。それだけじゃなく人としてもオトナになったというか。自分で稼ぐ術も含めて、いろいろできるようになって集まった。だから「せーのっ!」で再スタートが切れたんだと思います。ゼロから出直しじゃなくてね。
──新作アルバム「UC100W」のレコーディング風景がYouTubeのオフィシャルチャンネルに上がっていますが、皆さん、とにかく楽しそうです。
やっぱり役割分担がね、自然にできてますから。僕にABEDONの役割をせえと言っても、絶対無理だし。最新のスタジオ機材をいじって機能を把握するとか。俺はどっちかと言うと、コンピュータを見ると画面の中に手を突っ込みたくなるタイプなんで。「エエ加減にせよ!」と。
──じゃあ5人の中で、テッシーさんの役割はなんだと思いますか?
お笑い担当ですね! あ、今日はお笑いナタリーじゃなかったっけ?
──すみません、音楽ナタリーなんです(笑)。
僕、お笑いの人たちがすごく好きで。実はユニコーンを解散して3年か4年経ってから、すごく体調を崩しちゃった時期があったんですね。
──え、そうだったんですか。
うん。40過ぎくらいまで続いたのかな。で、その時期お笑いのビデオばっかりずーっと観てまして。気分的にすごく救われた部分があったんです。地上波のバラエティ番組も、とにかく観まくってた。そこで交わされていた言葉のセンスだったり会話の間は、わりと今の自分に大きく影響していると思いますね。
──好きな芸人さんを、強いて1組だけ挙げるとするならば?
ダウンタウンですね。あのフリートークはやっぱりすごい。小学校から一緒に過ごしてきた同級生じゃないと、あれはできないですよね。お笑い界のトップなのに、師匠に祭り上げられるんじゃなくて、現役感バリバリなところもいい。ちょっと前だと「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」で、スタッフがハマちゃんを裁判にかける企画があったでしょ?
──はい。ありますね。
ああやってイジられるところがすごい。無理やりユニコーンに当てはめて言うと、民生とかABEDONはどうしたってカリスマ性が出ちゃうじゃないですか。特に民生なんて、そのままにしておくとファンが勝手に仰ぎ見ちゃう。なので僕は下界にいて、それを引きずり下ろす役ですね(笑)。民生ですらイジられる対象にする担当。愛情を持ってね。
手島いさむのプロデューサーは奥田民生
──それにしても、いくら100周年イヤーと銘打ってはいても、1年に2枚のオリジナルアルバムというのは、なかなかのハイペースですね。
いや、放っておいたらもっと作りますよ! スタジオだけ与えておけば、ああだこうだとしゃべりながら、もっとすごい数が生まれると思う。僕がいいと思うのは、その過程でみんなめちゃくちゃ笑うんですね。レコーディングから帰宅して、「なんで今日はこんなに疲れてるんだろう」と思ったら、普段より思いきり笑っているから。だから僕は、自分の役割が終わったらメンバーと離れるようにしてます。そのほうが新鮮味があるし。
──最新作「UC100W」は、どんなテイストのアルバムになったと思いますか?
収録曲の方向性が、わりとパックリ分かれた気がします。3月に出した「UC100V」は、わりと真面目なバンドっぽい感じがしたけど。今回はエモーションとインテリジェンスを併せ持つタイプの楽曲と、思いきり娯楽性に振り切った楽曲、内向的な楽曲と、外側に向かってハジける楽曲、両方入ってるんじゃないかな。で、それに全員が対応できるのが、ユニコーンなんですね。「両方ありますけど、どっちがいいですか?」みたいな。
──テッシーさんが作詞・作曲した3曲目「That's Life」は、非常にストレートなハードロックナンバーですね。「情熱を見せてくれ 言いたいことならつぶやけ」と。
そうですね。とにかく楽しく生きることが、今の自分のテーマなので(笑)。再始動後のアルバムには毎回、1、2曲くらい自分の曲が入ってますが、どれもその時どきのリアルな気分が反映されている。若い頃に比べて、素の自分が出るようになったというかね。
──「That's Life」にはどんな思いを込めたんですか?
56歳という年齢、ですかね。「ここまで来たよ、俺」という感じ(笑)。何かをつかみ取った充実感というより、シンプルに「何とかここまで来たぜ、これが俺の人生」という開き直った気持ちですね。まあ、人間関係とか環境も含めて、がんばって生きてきた人じゃないと、本来は「That's Life」とか言っちゃいけないと思うので。脳天気な歌詞ではあるけれど、この歳になったから歌える曲だというのは、あると思います。
──唸るようなギターリフもカッコいいですね。この曲はテッシーさん、民生さん、ABEDONさんのトリプルギター編成で。
僕がボーカルを取る楽曲は、基本的にギターがABEDONと民生なんですね。僕はソロパート以外、あまり弾かせてもらえない(笑)。キーボードも入ってない。ちなみにこの曲、けっこう歌いっぱなしみたいなラフな仕上がりですけど、最初のテイクではもう少し上手に歌おうとしてたんですよ。そしたら民生が「歌い直してよ」って。
──へええ。どうしてですか?
民生的には、もっと情熱を入れてほしかったみたいです。こういう曲は、整ってればいいってもんじゃない。音程やリズムを気にして、かっちり歌ってもしょうがない。「もっとライブっぽくガーッと歌ったらどう?」って言われて。あと、僕がワンフレーズ歌うごとに、語尾に「ワォ!」とか「ハァッ!」とか「ウーン」みたいな声が入るでしょう。
──はい。
あれも民生のアイデア。何度かテイクを重ねたときに、思わず漏れ出た声を拾ってきて。エンジニアのアシスタントさんに「ある素材を全部入れてくれ」って発注したんです。切り貼りだから、ライブで俺は、どう息継ぎすればいいんだよと。
──ははは(笑)。テッシーさんへの愛情を感じます。
基本的に、手島いさむのプロデューサーは奥田民生ですからね(笑)。娯楽というものを誰よりもわかっている人間だし。僕はあいつのことを信頼しているので。任せておけば、決しておかしなことにはならないと思ってます。
──8曲目の「7th Ave.」はテッシーさん、民生さんの合作です。実はこの組み合わせは、ユニコーンでは珍しいですよね。
うん、1回もなかったと思う。今回は特別ですね。きっかけは今年4月、千鳥がMCをしている「相席食堂」というバラエティ番組に、民生と2人で出演したんですね。地元の広島で、ユニコーンゆかりの場所をロケで回って。その際、千鳥のノブくんから「せっかくだからテーマ曲を書いてください」と言われて、作ったのがこの曲。
──共作はどのような形で進めたのですか?
まず僕が、ギターの弾き語りでなんとなくメロディを作って。デモ音源を民生に渡した。で、民生がそこにちょっと手を加え、頭のほうだけ歌詞を付けたものを返してきて。残りは「テッシー、なんとかせい!」って感じでした。
──「知らない所へ 知らない電車で 知らない言葉の 知らない人と」とか。歌詞にもメロディにも、未知の世界に踏み出すワクワク感がありますね。
2人とも50代半ばになって、こんな若い歌詞が書けるのは自分でも不思議ですね(笑)。まあ「相席食堂」は、広い意味では旅番組だと思うので。その性格も考慮しつつ、あまり番組に寄せすぎないよう意識したかな。
──アレンジも、思いきり初期ビートルズ風で。
うん。僕がデモ音源を持って行った段階で、民生が「初期ビートルズみたいな匂いなんだよね、俺が思ってる像は」と言っていて。そのひと言を聞くと、メンバー全員ふっとそのモードになるんですよ。ABEDONのハーモニカなんて、まさに初期ビートルズでしょう。俺はあの音色が一番泣けるし(笑)。簡単そうに思えて、スタジオでの瞬発力であれができるバンドって、なかなかない。そういうところがユニコーンの強みだと思う。
ユニコーンでいるときは常に最高に楽しい
──最後に、皆さんにお聞きしている質問を。「ユニコーン100周年」では、「働き方改楽 - なぜ俺たちは楽しいんだろう -」というスローガンが掲げられています。テッシーさんはなぜ、ユニコーンは楽しいんだと思いますか?
うーん……なんででしょうね。僕はあまりこだわってない。というのは、ユニコーンでいるときは常に最高に楽しいから(笑)。それがデフォルトなんです。最高って、結局は自分の気持ちのあり方だと思うんですよね。例えば傍から見たら6年前、武道館で50歳の生誕祭を開いてもらったのが、僕の人生のピークかもしれない。そう思う人がいても不思議じゃない。でも僕の気持ちとしては「その先に、まだこんなマックスがあったんか!」というね。
──なるほど、素晴らしい。
10代、20代、30代ですごく悩んでる人もきっといますよね。そういう子たちに「待ってみろ」と。50過ぎたらこんなことがあるんだぜって啓蒙活動したいくらいです。
──楽しい自分でいるためのコツって、テッシーさんはなんだと思います?
ベタだけどやっぱり、好きなことをがんばってやるってことじゃないですかね。音楽に関しては、僕はやめきれなかったんですよ。正直、そんなに才能があったわけでもない。ただ10代の頃、人と違うことがやりたい、バンドやりたいと思ってギターを弾き始めて。それを続けてきた。だから、人生何があるかわかんないぞと(笑)。音楽だけはあきらめず、ずっとやってきたのは、よかったんじゃないかな。
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