TAKURO「The Sound Of Life」インタビュー|ウクライナ侵攻をきっかけに生まれたヒーリングアルバム (2/2)

最大の褒め言葉は「1曲目で寝ちゃいました」

──本作にプロデューサー兼キーボーディストとして参加されているジョン・ギルティンさんは、グラミー賞も受賞されているヒーリングミュージックの第一人者ですが、どうやって出会われたんですか?

アルバムの曲ができてからロスにいる知り合いに「演奏してくれるピアニストが必要なんだ」と相談したら、ジョンを紹介してくれたんです。「ジョンはヒーリングミュージックの世界に長くいる人だから、TAKUROの思いを理解してくれる」と言われて会ってみたら、すぐに意気投合して。出会って次の週にはジョンの家にあるホームスタジオでレコーディングしていました。もちろん多少はディスカッションをしたけど、「メロディを生かす感じで」と伝えると“間違いのない音”が戻ってくるんですよ。ICレコーダーに入れたラフな音源が、数日後にはめっちゃ豪華なアレンジになっているのはGLAYに近い。GLAYではHISASHIに鼻歌の音源を送ったら、イントロとギターソロ付きで戻ってくるからね。考えてみたら俺の立ち位置って毎回そうだな(笑)。

TAKURO

──いやいや、曲の骨となるメロディはTAKUROさんから生まれたものですから。アルバムにはジョンさん以外に、世界的に活躍するチェリストのエル・マツモトさん、歌手のドナ・デロリーさんも参加されてますね。

俺は誰かと一緒にやるのが好きなんです。たまたまエルちゃんがニューヨークからロスに引っ越してきたと言っていたので、スタジオに遊びに来てもらって。そのほかにも、ジョンの古い友達であるリーランド・スカラーもベースで参加してくれました。最後に収録されている「In the Twilight of Life」でシンガーを入れたいと言ったら、ジョンが友達を呼ぶかってドナに声をかけてくれて。とにかく人に恵まれた制作でしたね。

──そもそもこのタイミングでソロアルバムをリリースするという構想はあったんですか?

いや、「FREEDOM ONLY」のツアーが終わったら、半年はロスにいることが決まっていたので、のんびり過ごしながら、「Journey without a map Ⅲ」について考えたり、新たなプロジェクトのためにいろんな人と会ってセッションしたりしようと思っていたんです。でも、ロスに戻って早々にウクライナ侵攻が起きてしまった。テレビをつければニュースはウクライナとロシアの報道一色で、アメリカが参戦するかどうかみたいな緊迫した状態。そんなニュースを観ているうちに、苛立ちとか悲しみとか負の感情を整理しないといけない、自分を癒さないといけないと思っていたら曲が生まれたんです。そして、できた曲を聴きながら、これは自分以外の誰かを癒せるのかもしれないと感じて、そこからどういう形で発表しようか考えていきました。

──リリースが決まっていて、それを目がけて制作したわけではないと。

ええ。こういった形のアルバムは商業ベースに乗りづらいとは思いますが、「こういう音楽もあるよ」と長い時間をかけてリスナーに伝えていこうと思ってます。10代の頃は8ビートとよくあるヒットソングのコード進行しか知らなかったけど、何十年か経って人の気持ちを前向きにする音はそれだけじゃないということを知ったので、それを広めたい。ちなみに、このアルバムに対する一番の誉め言葉は「1曲目で寝ちゃいました」ですね。

──ヒーリングミュージックならではの褒め言葉ですね(笑)。

そういう感想が俺にとっては最高のご褒美です。安らかに眠れたのなら作った甲斐があったなと。ゆっくり眠って元気になって、次の日をまた楽しく過ごしてくれたらと思っています。

TAKURO
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TERUはエスパー!?

──今回のインタビューに際して、改めて「Journey without a map」シリーズも聴き直したんですが、全体を通してドラマチックで、そのタイトル通りいろんな場所に移動しているような印象を受けたんですね。一方で「The Sound Of Life」は例えば故郷や自宅という自分の“居場所”において世界や自分の過去など、さまざまなことに思いを馳せているイメージが湧きました。

そう言われると、今回のアルバムは自分の心象風景を絵で描いていた感じはありますね。「Ice on the Trees」という曲で俺がイメージしていたのは函館より北のほう……冬は立ち並ぶ木に氷が付くような景色。その景色をそのままメロディにして、「Early Summer」では初夏の森の中で木の葉の間から透ける太陽の柔らかさを音にしたんです。一方で、「Pray for Ukraine」や「Red Sky」で表現したのは、自分がニュースを通して観ている悲惨な戦争の光景。無力な自分を呪って、祈るしかできない状況を受け入れながら作ったのがこの2曲だった。それぞれの曲に対して自分の中で絵やイメージがあって、それを形にしていく作業はこれまでの音楽作りとはまったく違いました。

──ジャケットはTERUさんが手がけたそうで。

何がすごいかって、TERUは特に具体的なリクエストをしていないのに、曲を聴いただけで北海道の冬の寒さを表現した木々を描いてきたんですよ。TERUは人の思いを具現化できてしまうというか、絵に関しても天才肌の部分がありますね。曲を渡して2日後にTERUから「できたよ」って、アルバムの本質をつかんだ絵が送られてきて。エスパーかと思った(笑)。もしTAKUROが観た風景がどんなものなのかと問われたら、ジャケットの絵の通りですよ。

「The Sound Of Life」ジャケット

「The Sound Of Life」ジャケット

──そのTERUさんから曲に対して何か言葉はありましたか?

「よく眠れそうだね」とだけ(笑)。JIROぐらいですよ、「新しいことに挑戦しててすごいね。いいと思うよ」って褒めてくれたのは(笑)。

ロックバンドにおける少年性は信じていない

──先ほどこのアルバムはサントラのようだとお伝えしましたが、そう感じた背景には「Sound of Rain」「Letter from S」「Pray for Ukraine」「In the Twilight of Life」の4曲に通底しているノスタルジックで切ないメロディがあるんです。これらの曲ではつながりのあるメロディが奏でられていますが、アルバムの統一感を意図してのことでしょうか?

映画を例に挙げるなら、「Sound of Rain」「Letter from S」「Pray for Ukraine」の3曲については伏線的なカット割りなんですよね。最終的にはラストの「In the Twilight of Life」で回収されるようになっている。GLAYの曲だったら「このメロディは前にリリースしたあの曲に似ているから変えよう」と考えるけど、「The Sound Of Life」については、1つ拠りどころとなるメロディがあることで美しい作品になるのかもしれないと思った。最初は40分強、1トラックのアルバムでもいいかなと思ったんですが、便宜上分けることにして、1曲ずつタイトルを付けただけなんです。

──ストーリー性を感じる作品になったのはそういう理由もありそうですね。ドナ・デロリーさんが参加している「In the Twilight of Life」はアルバムの中で唯一のボーカル曲で、平和への思いが英詞でつづられています。

この曲の歌詞は、愛する人を戦場に送り出した過去を持つ老婆の回想なんです。戦場から帰ってこなかった夫や子供たちをずっと待っている老婆。その人の人生を表現したのが「The Sound Of Life」というアルバムなんです。とはいえ自分自身の思いも投影されているし、自分が今まで見てきたいいことも悪いことも音楽に落とし込むことができた。そんな達成感がありますね。

TAKURO

──ところでTAKUROさんは、普段から「The Sound Of Life」のようなインストの作品を聴いていらっしゃるんですか?

そうですね。今はインストのほうが多いんじゃないかな。あと最近はお笑い芸人のラジオを聴いたり、YouTubeを観たりしてますね。

──ご自身の表現においてお笑いに影響をされる部分はありますか?

真面目な話、今はほとんどのロックスターが社会に対して物を言わないけど、お笑い芸人とYouTuberはちゃんと物申しますよね。ロックバンドよりもよっぽどロックな部分を感じます。少なくとも「Only One,Only You」と同時期に発表された反戦歌は日本にはないんじゃないかな? ミュージシャンが社会的なことを歌わなくなった中、お笑いの人たちやYouTuberはおかしいことをおかしいと言ってる。俺はロックというものが時間を経て、“老体”になり死んでいくことはかまわないと思っているんです。でも、ロックの世界にいる以上、何かしら刺激を受けたいし、与えたい。俺がかつてジョン・レノンから受け取ったメッセージみたいに。でも知る限り誰も社会的なことを歌ってくれない。そこを芸人やYouTuberに求めるところはあるんですよね。

──なるほど。

人の生き方はそれぞれだから否定はしませんし、愛や恋、生き方に悩むのもいいですけど、40、50になったロックミュージシャンがいまだにそんなことを言ってたらどうなんだよと。10代、20代だったら愛する人に会えない夜があったら身悶えるけど、50歳を迎えて妻も子供もいて、今も「会いたい会いたい」って歌ってたらこの50年間お前は何を学んだんだっていうことですよ(笑)。そりゃ家族と離れているときは、寂しいとは思うけど、別に布団の端っこを噛んだりはしない。俺はあまりロックバンドにおける少年性を信じていないんです。

あの3人と音楽を奏でる喜びにつながらないなら、作ってもつまらない

──TAKUROさんは常々ジャーナリスティックでありたい、音楽も自分の年齢とともに成長するべきだとお話されていますが、今回のようなヒーリングミュージックが軸の作品でもその姿勢は変わらないんですね。「The Sound Of Life」はコンポーザーとしてのTAKUROさんの新たな挑戦が詰まった作品ですが、作り上げたことで発見したもの、アーティストとして手にしたものを言葉にするとどういったものになりますか?

自分の中における「時間の概念の逆転」かな。

──「時間の概念の逆転」?

アルバムを作るうえで自然と触れ合って、世間から一時的に離れることで、時間の概念は人間が作った“刻み”だと気付いたんです。例えば、これから何十年かして俺はこの世からいなくなるけど、それ自体大した意味を持つことではないんだと。自分がそういう概念から解放されたときに、生きることに対して積極的になろう、時間を怖がることなく、歳を取ることを楽しんでいこうと思うようになったんです。そういうことを知れたことは、今後の自分の人生にすごく役に立つだろうなと。

──時間を意識するけど、それにとらわれすぎることはない、という。

そう。今回は戦争という“究極の悪”が起きている中でも、自然は巡り続けているということを「The Sound Of Life」を作る中で実感できた。その感覚を作品にできたことは大きな意味を持ちますね。まあ、簡単に言うと「たまには時計も携帯も置いてふらっと外を散歩してみなよ」ということです(笑)。

──そうすると新しい発見があると。以前TAKUROさんは「GLAYが解散したら音楽活動を辞める」とおっしゃっていましたが、「The Sound Of Life」を作り上げたことで心境の変化などはありましたか? GLAYは「解散しないバンド」を標榜しているので、活動を止めざるを得ない状況になったときにTAKURO名義で音楽を作り続けるか、ということなんですが。

わからないです。ソロはあくまで自分のスキルアップのためで、GLAYにどう変換できるか、どうやって貢献できるかというのが目的なので。家族を養うために何かやるかもしれないけど……うーん、やっぱりやらなそうだな。あの3人(TERU、HISASHI、JIRO)と音楽を奏でる喜びにつながらないなら、作ってもつまらないからね。

TAKURO

プロフィール

TAKURO(タクロウ)

1988年に結成された北海道函館市出身の4人組ロックバンドGLAYのギタリスト。バンドのリーダーを務め、メインコンポーザーとして多くの楽曲の作詞・作曲を行う。GLAYとして1994年にシングル「RAIN」でメジャーデビューし、「HOWEVER」「誘惑」「Winter, again」などミリオンヒットを連発。バンドは1999年7月に千葉・幕張メッセ駐車場特設会場で20万人を動員するライブ「MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO '99 SURVIVAL」を開催し、有料の単独ライブとしては世界最多観客動員を記録した。GLAYとして活躍するほか、個人の活動として中山美穂、渡辺美里、中島美嘉といったアーティストに楽曲提供も行う。2016年12月に1stソロアルバム「Journey without a map」を、2019年2月に2ndソロアルバム「Journey without a map 」をリリース。2022年12月に、ヒーリングミュージックをテーマとした3rdソロアルバム「The Sound Of Life」を発表した。