SPEED 島袋寛子×伊秩弘将(プロデューサー)|デビュー25周年を迎える今だからこそ思えること、エネルギーに満ちていた当時の記憶

寛子と絵理子は世界中どこを探してもいないパートナー

伊秩 あの頃は1つのブースに寛子と絵理子、2人を突っ込んで歌ってもらってました。

──ソロパートも含めた全部を一緒に録ってたんですか?

島袋寛子

島袋 ずっと、1つのブースにエリと2人で入って歌ってましたね。それは私たちにとってはすごくいいやり方でした。2人で一緒に歌うところは呼吸を合わせてドンと歌うことができて、「ここはエリがこう来る」っていう感覚が自然と身についたから、ライブのときに顔を見なくてもぴったり合わせられるようになったり。私とエリって、お互い認め合いながらもあの頃はまだちょっと戦ってる感があって。

──先日ニッポン放送で放送された特別番組「ハイ!SPEEDで行こう!2021」では、島袋さんは「SPEEDは1人じゃ歌えない。エリのパートはエリなんだよね」とリスペクトを感じさせる発言をされていましたが、同じリードボーカルとして今井さんは島袋さんにとってどんな存在でしょうか?

島袋 いい意味で負けたくないと当時はずっと思ってましたし、ちっちゃいときから一緒にやってきたので、世界中どこを探してもいないパートナーだと思ってます。お互いに今も「お互い以上の相手はいない」って言ってて、エリも「ヒロにはあたししかいないしね」とかしれっと言っちゃうし(笑)。当時のレコーディングでは、自分への指摘だけじゃなくて伊秩さんがエリにアドバイスしていることも吸収できて、すごく学びがありましたね。伊秩さんはそうやって切磋琢磨させる意図で、私たちを同じブースに入れてやってたんですかね?

伊秩弘将

伊秩 もちろん! よきライバルであってほしかったんだよ。ユニゾンで歌うところなんかは特に、同時に録らないとかなりきれいになっちゃうんだよね。バラバラで録ったものを合わせて聴くと、「ああここフラットしてるな」「ちょっと遅れてるな」とか気になっちゃうじゃない。でも同時に録った2人の声を聴いて、最終的にそれがよければイコールSPEEDの歌のキャラになると思ってた。

島袋 きれいなものときれいなものを合わせればいいってわけではないということは、伊秩さんのレコーディングを通して学びましたね。歌のベストは「正確である」というところではないことを、体で覚える環境を作ってくださってたんだなあと。「ダメ」とは言わず、「もう1回!」っていつも言ってくださるので、すごく引き出してもらってた。その積み重ねで歌う感覚をつかめるようになっていきましたね。

伊秩 「もう1回!」って言い続けてたね(笑)。「寛子はいいけどエリはもうちょっと録ろう」っていうようなときももちろんあるけど、一度ブースから出ると集中力が途切れちゃうから、その場合も寛子を絶対に出さなかった(笑)。

島袋 連帯責任で、全部終わるまでずっと帰れない(笑)。当時は3カ月に1回くらいリリースしてたと思うんですけど、そんなペースの中で毎回あれだけ丁寧に作ってくださっていたっていうのは、本当にありがたいことだなと。

──通常は決まっている期限に合わせて動くことが当たり前で……。

島袋 それが普通ですよね。いいものを作るために1つひとつの過程を大事にしてくださっていたんだなあと思います。

「White Love」はどんな反応が出るかすごく怖かった

──今回のボックスにはSPEEDの全楽曲が収録されるわけですが、レコーディングが大変だった曲や印象深い曲はどれでしょうか?

島袋 大変だった曲ということで考えると、必ず最初に思い浮かぶのが「Kiwi Love」なんですよ。私なぜか、「Kiwi Kiwi Kiwi Love」のところのリズムがずっと取れなくて。

伊秩 そうだったっけ? 全然覚えてないな。

島袋寛子

島袋 同じメロディの「Let me Let me Let me Go」のところも。何回やっても走っちゃってたんですよね。

伊秩 意外だね。寛ちゃんは跳ねて歌えるはずなのにね。「AS TIME GOES BY」(1999年リリース。島袋のソロデビューシングル)なんてまさにそういう曲だし。だから「Kiwi Love」もむしろ得意なほうかと。

島袋 今なら全然リズム取れるんですけど、当時はすごく苦戦したことを覚えてますね。なんかそれ以外は特に、あんまり曲に関する記憶がなくて……伊秩さんのほうがきっとたくさん思い出があると思います(笑)。

伊秩 それぞれにありますね。今改めてリストで見ると、こんなに何十曲も作ったなんて信じられない(笑)。

島袋 私、メイン曲はもちろん好きだけど、カップリングとかアルバムの曲も大好きなんですよ。

伊秩 SPEEDの存在が大きくなっていくにつれて、真面目な歌が増えていったじゃない。「Body & Soul」で最初に付いてくれたファンの子が「あれ、なんか最近真面目?」って思っちゃうかなっていうところもあって。だからカップリングでは「Up To You!」「ナマイキ」みたいに遊び心ある曲を入れることを心がけてたかな。

島袋 すごく大好き。そういう曲たちもまとめてボックスになるのはすごくうれしいです。

伊秩弘将

伊秩 ほかに思い出深いところで言うと、「White Love」は自分的にはすごい挑戦だったから、反応がすごく怖かった。時間がない中でサビだけ最初に出して、カツカツの中で引越しの作業をしながら急遽A、Bメロを付けて。デビューして1年が経って、「SPEEDが元気なのはわかった。ラブソングがあることもわかった」という世間のイメージがある中で次の次元を目指すとなると、元気なだけじゃない、抑えた感じのファルセットで歌うサビがいいかなと。資生堂「ティセラ」のタイアップが決まっていたから、それまでより上の世代とか、一般の人たちにも届けられるなと思ったんです。発売日の10月15日は、初動30万枚以上って言われてるアーティストのリリースが7組固まってたんですよ。だからものすごいプレッシャーの中でいろんな挑戦をしてた(笑)。

島袋 なるほど。それは伊秩さんのプレッシャーはものすごかったでしょうね。当時は全然わかってなかった(笑)。

伊秩 当時もしSNSがあったら、元気なSPEEDが好きな子たちには「あれ、今回なんか食い足りなくない?」って絶対書かれてたと思うよ。

島袋 でもね、当時事務所の社長から電話があって、「この曲はものすごくヒットする」「名曲だから、レコーディングにはその心意気で臨め」って言われたんですよ。私たちはもう渦の中で、プレッシャーとかまでは感じられてなかったですね。でもいざリリースされたらもう、今に至るまで皆さんに愛される曲になって……。まさかAメロが引越しの最中に降りてきたなんて信じられないですよ。

伊秩 ははは(笑)。あとこの曲の最後の「あなたのために生きていきたい」っていう歌詞は、成長してきたSPEEDが、ここからは自分たちが表現するばかりではなくショウビジネスで生きていくんだという決意表明を込めて書いたところもあります。だからラブソングというだけじゃなくて、SPEEDからのメッセージが込もった曲にしたつもりなんですよ。

SPEEDの曲には、弱いまま終わってる子は1人もいない

──「White Love」もそうですが、SPEEDの歌詞って大人びているというか、当時10代前半だった島袋さんには少し背伸びした内容が多かったのではないかと思っていて。私は島袋さんと同じ年齢なんですが、自分を重ねるというよりは憧れながら歌詞をたどっていた感覚でした。島袋さんにとっては当時、違和感なく歌えていたんでしょうか?

島袋 「Walk This Way」の歌詞で、伊秩さんに「hiroは恋に恋してる」って書いていただきましたけど(笑)、まさに夢見がちで、少女マンガが大好きな子だったんですね。だから「あなたのために生きていきたい」とかも、そういう思いを抱く恋がある、愛があるっていうイメージから抵抗なく歌えてましたね。歌詞の世界を自分事にしちゃってた。

伊秩 僕はまず、リリースの3年後に本人たちが歌ったときにダサいとか子供っぽいって思われるような歌詞は書かないということにこだわってました。女の子の成長は速いから。あとは、本人たちと同年代のリスナーは当然付いてきてくれると思ってたけど、少し上の層にも聴いてほしかった。一見尖って聞こえたり背伸びしているような言葉でも、奥底にはそうじゃないテーマをしっかり込めていたから、自信がありましたね。奇をてらおうとすると、本人たちに絶対見抜かれるからね。

左から島袋寛子、伊秩弘将。

──4人から意見が飛んでくることもあったんですか?

島袋 ないですね。伊秩さんとレコーディングの場で話すのは、最近何してるとか、何食べたとか、日常の話だけ。あとはもうわちゃわちゃしてるか、ボーッとしてるか(笑)。

伊秩 (笑)。本人たち4人に寄せたら4人の歌になっちゃうけど、まだまだ12歳とかで経験も浅いし、楽曲はSPEEDから切り離して一人歩きさせないと聴いてくれる人に刺さらないんじゃないかと思ってました。僕の中では、SPEEDの楽曲を書く際は共通して「決して強くなくて、打たれ弱いんだけど、でも自分で決める前向きな子」という主人公像を持っていたつもりです。

島袋 うん。弱いまま終わってる子は1人もいないですね。SPEEDの曲の中には。

伊秩 その主人公像も、本人たちから受けたパワーから来てるんだよね。それが聴いた人を元気付けることにつながってるんじゃないかなと思います。