SPEED 島袋寛子×伊秩弘将(プロデューサー)|デビュー25周年を迎える今だからこそ思えること、エネルギーに満ちていた当時の記憶

解散への思いと、SPEEDとして在ることの責任

──先ほども今井さんと島袋さんのボーカルに関するお話がありましたが、そういえばSPEEDの楽曲は、2度目の再結成時の2003年にリリースされた「Be My Love」までハモリを取り入れていないという特色もありますよね。それはなぜだったんでしょうか。

伊秩 ハモリは絶対にやりたくなかったんです。SPEEDの向こう見ずな勢いが止まっちゃうから。「RIZE」に「陽は沈み やがて昇っていく」っていう歌詞があって、一度沈んだ太陽が昇るときの底知れぬパワーでアルバムをスタートさせてるんだけど、あそこでハモってたら、何かが生まれ始めて来ることを伝えるにはきれいすぎると思った。ストレート感というのかな。そこにこだわっていたんだよね。これは僕の独りよがりなんだけど。

島袋 ……ホントだ。言われてみれば、「Be My Love」まで一切ハモってなかったんですね。

──島袋さんは自覚がなかったんですね。

島袋 気付いてなかったです(笑)。面白いですね。

伊秩 R&Bな「Long Way Home」ですらハモってないでしょ。なんというか、そういう楽曲でハモるのって普通だけど、SPEEDがそうしちゃうとトゲが薄くなると思ってました。「Be My Love」でハモらせようと思ったのはなぜかというと、最初は4×1でSPEEDだったのが、解散したら1×4になってそれぞれの人生に戻った。で、また再結成するとなったら、それぞれいろんなことを経験して集まってきてるから、絶対にハモるべきだと思ったんです。

──それぞれの人生を重ねていくイメージで。

伊秩 そう。僕の中ではラストアルバムの「Carry On my way」でSPEEDというストーリーは完結しているから。そのあとは別物、ニューSPEEDなんですよ。だよね?

島袋 何段階かありますね。私の中でも2000年の解散で1回終わってる。そのあとはまた違うSPEEDが始まったような感覚です。

──1996年8月のデビューから2000年3月の解散まで、振り返ってみると活動期間はわずか3年8カ月弱なんですよね。密度が濃すぎて全然そんなふうには感じられず、改めてその短さにびっくりしました。解散に関しては、早い段階でライジングプロダクションの平哲夫社長が決めていたという話を聞いたこともあるのですが、どのような経緯で決まったんでしょうか。

左から島袋寛子、伊秩弘将。

島袋 解散に至った要因は本当にいろいろあるんですけど、休止ではなく解散にしようという結論を含め、「最終的に自分が責任を持つから」と社長がまとめてくれた感じですね。世間ではいろんなことを言われましたけど、私たちの1人の人として守らなきゃいけないことを守ってくださったのかなって。私も時折あの頃を思い返しては「何が正解だったんだろう」って考えるんですけど、今はっきりと思うのは、あのスピード感で走り抜けていたら、あれ以上は続かなかった。ほかの3人はわからないけど、私はいろんなことへの不安と興味が生まれるタイミングで、自分の先の人生を考えたときに、あまりにも自分に人としての経験が足りなすぎるという思いがすごくあったんです。「これから歌い続けていくとして、何を想像して歌うのか? このまま成人を迎えて大丈夫なのか?」と。それに加えて、SPEEDというものがあまりにも大きくなりすぎていて、何か1つ「こうしたい」という意思を伝えるにしても、すぐに言える状況じゃなくなっていたのもあります。

──それだけ責任が大きくなっていた。

島袋 SPEEDとして在ることの責任ですね。それはデビューしてから、けっこう早い段階でものすごく感じていました。応援してくださる方がいて、たくさんの期待や夢だったり愛だったり……いろんなものを寄せてもらっていることを自覚していました。子供だから自分も楽しみながらだったけど、ライブをしててもなんでも「楽しんで帰ってもらわなきゃ困るんだ」っていう思いは常にすごくあって。あのときはもう、SPEEDの1人として立っているだけで精一杯だった。いまだにファンの方から「あのとき解散がショックで学校で泣きました」とか「家から出られませんでした」とかメッセージをもらうんです。私にとって当時はもう限界で応えられなかったなという思いはあるけど、本当に、日本中の子たちがそんなふうに思ってくれていたことに「ありがとう」という気持ちで今はいます。

伊秩 あのとき、電話でいろいろしゃべったよな。とにかく1つの区切りだった。やっぱり3年と少しのあのタイミングが限界だったんだなと今でも思うよ。

──解散してから何度か再結成をしていますが、それはご本人たちが集まりたいからというよりも、チャリティであったり「誰かのために」ということがきっかけになることが多かったように思えます。先ほど島袋さんが「楽しんでもらわなきゃ」とおっしゃっていたように、SPEEDは自分たちが表現をするというよりは、世の中を照らすために活動していたのかなと。

左から島袋寛子、伊秩弘将。

島袋 4人の気持ちを代表して言ってもよければ、楽しんでもらうっていうのはいつも一番でした。もちろん自分が大事にしたいことや譲れないものもあるけど、すべての活動は応援してくれるみんなに向かっている。喜んでもらう、楽しんでもらう、笑顔になってもらうことが何より大事。そこへの思いは4人ともとても強くて……いや、4人の中で私が一番弱かったくらいかもしれないですね。とにかく3人のポジティブな太陽みたいなエネルギーはすごくて、私は常に学ばせてもらってました。「ひろちゃん 笑って! 歯、出してこ!」って、いつも言われてましたから。

伊秩 そうだね。でも4人とも本当に明るかった。

──今井さん、上原さん、新垣さんに対しては、25周年の今、どんな思いを抱いていますか?

島袋 ずっと仲がいいですし、姉妹みたいな、家族みたいな特別な存在だとすごく感じますね。今はバラバラなことをやってますけど、どんな選択をしても本人が掲げた夢であれば応援するし、本人が決めたことであれば口は出さない。今回の25周年に関しても、稼働するのは私だけだから、「よろしくね、ひろちゃん」って連絡が来ました(笑)。ずっと愛おしい存在です。

SPEEDの寛子をようやく受け入れつつある

──SPEEDに影響を受け、音楽の道を志してデビューした人も多くいます。LiSAさんやソニンさんなどその影響を公言している人もいらっしゃいますが、自分たちの活動が音楽界に影響を与えたという感覚はありますか?

島袋 うーん……どうでしょう? 誰かの人生のきっかけになれたということは純粋にすごいなと思うんですけど、あんまり実感はないというか、「ありがとう!」という気持ちだけですね。LiSAさんはSPEEDの曲をすごく聴いてくれていて、毎回毎回憧れたって言ってくださることが本当にめちゃくちゃうれしいんですけど、でもなんというか、SPEEDはきっかけにすぎないんですよ。全部ご本人の努力でしかないから。

伊秩 実感がないよね。僕も寛子と同じで、ひたすら自分たちのことを極めてがんばってきただけだから、なんか客観的になっちゃう。

島袋 あんまり自分事に思えないですよね。SPEEDに対してはそれが強いかも。これだけ解散や再結成を繰り返し、こうして今回伊秩さんとお話ができたり、ボックスが出るんですよって皆さんに言えるのも、客観的になれているからかもしれないです。ホントはね、うちの社長、周年とか嫌いなんですよ(笑)。

伊秩 活動あんまりしてないのに周年なんて、っていう考え方は確かにわかる。

島袋 私もそうで、周年が来たからって祝うってなんだかなあ……って性格的に思っちゃうし、以前だったら「1人で背負っちゃっていいのかな」とかきっと言ってたと思うんです。でもようやく25周年の今、「SPEEDが1996年に生まれてくれてよかったな」って、すごく客観的に思えてる。“SPEEDの寛子”は私の人生にずっと付いてきていて、10周年や20周年のときにはこうは思えなかったんですよね。皆さんが笑顔になってくれるのであれば、今はこういう立ち位置で活動してるのは私だけになったから、表に出て「わっしょーい!」って祝えばいい、とスッと思えるようになりました。全部ありがとうの気持ちで。ソロとしてのいろんな活動を経てきて、あの頃のSPEEDの寛子をようやく受け入れつつある。SPEEDというものに対して愛しさがある。あれも自分だよな、って自然に思える感覚が、今歌っててあるんですよね。

伊秩 時間がかかったんだ。それでもまだ36だから。まだまだ若いよ。

左から島袋寛子、伊秩弘将。

──では最後に、ボックス発売に際しての思いをひと言ずついただけますか。

伊秩 大事なものってさ、形がつかめないじゃない。愛とか思い入れとか、曲もそうだけど。「もうこれCD持ってるよ」とか「サブスクで聴けるよ」って思う方もいると思うんだけど、全部この箱に閉じ込めたときに「あれ、自分なりの形になってる」っていう永久保存版のアルバムだなと思います。だから少しでもSPEEDに思い出がある人は手に取ってみると、こんな曲もあったのか、こんな見方もあるのか、って発見があると思う。デジタル化が進んで触感があまりにもなくなってきている時代だからこそ、ぜひ手にしてもらいたいですね。

島袋 皆さんもきっと、曲それぞれに思い出があると思うんです。今回改めて、一緒にキュンキュンしながら聴いてもらえたら私はうれしいし、SPEEDというグループのエネルギーを受け取ってもらえたらうれしいな、と思います。楽しんでいただけたらそれで十分ですね。