Shohei Takagi Parallela Botanica|cero髙城晶平が初のソロ作品で突き詰めたローファイ的感覚

腰を入れてローファイに取り組みたかった

──今回のアルバムを聴いていると、いろんなものを想起するんですよね。ジョー・ヘンリーの作品群もそうだし、Latin Playboysやマーク・リボーの少々風変わりなラテン作品を連想する瞬間もあるし、ceroの最初の頃にあったエキゾチカ的要素がここにきて戻ってきているという印象も持ちました。

Latin Playboysやマーク・リボーはまさにceroの1stアルバムを作っていた頃に熱心に聴いていましたね。当時は自分の解釈も技術も追いつかないまま、違う部分が成長していったわけですけど、当時伸ばしきれなかった枝葉をもう一度伸ばそうとしていると言えるかも。音響処理やアレンジによってラテン的な要素も不気味なものに聴かせるというか。

──ひょっとしたら曲の作り方って変わりました? アルバムを聴いていて感じたのは、近年のceroがリズムやグルーヴから着想した音楽だとすれば、今回の作品はギターとボーカルから組み上げていった音楽という感じがしたんですよ。

髙城晶平

あ、それは確かにあったかも。ceroのライブではたまにギターやフルートを持つぐらいで、基本的にボーカリストになっちゃったんですね。でも、ソロではシンガーソングライター的というか、1人でもできるし、大人数でもできる音楽を作りたいというイメージはありました。カフェみたいな場所で弾き語りもできるし、フェスでもできるという。ceroだと打ち込みから曲を作り始めるケースもあるけど、今回はほとんどの曲をギターとボーカルから作ったんです。

──今作ではSauce81さんを共同プロデューサーとして迎えていますね。彼は先ほど話にも出たceroの「ロープウェー」にも参加していましたが、パートナーに選んだ理由はなんだったのでしょうか。

まず、「ロープウェー」の仕上がりに手応えがあったんですね。あの曲では木管楽器と打ち込みのビートを同居させつつ、不思議な質感でまとめたいというイメージがあったんですけど、それがうまく形にできた。その感覚を覚えていて、自分がソロをやるときはノブさん(Sauce81)とやりたいと思ってたんです。ソロにしても僕は自分自身で完結できる人間じゃないと思ってたし、誰か共同プロデューサーを立てたほうがいいんじゃないかとは最初から考えていました。

──Sauce81さんとはどういうやり取りから制作を進めていったんですか?

最初はジョー・ヘンリーやLatin Playboysを一緒に聴いて、「こういうものにしたい」と話し合ったんです。オーセンティックなものだけど、ローファイな要素も入った異質なものというイメージですね。ローファイというと日本だと一度完成されたものにエフェクトでそうした匂いを付けていくか、単純に制作費がなくてローファイなものになってしまったか、そのどちらかしかない感じがしたんだけど、もっと腰を入れてローファイに取り組みたい、と。ノブさんはジョー・ヘンリーを聴いたことがなかったんだけど、「すごくいいですね」と言ってました。

──その後は髙城さんが作ったデモに対し、Sauce81さんがアレンジを加えていくというプロセス?

曲によりけりですね。ライブのために作ったデモがあったんですけど、どうも外向きの音になってる感じがして、これは違うなと。それでデモ自体を作り直したんですよ。デモ段階でノブさんにミックスしてもらった曲もあるんですけど、その時点でいいものができた。今回のアルバムに入ってる「オー・ウェル」とかは、ほぼほぼ僕が家で作ったデモをノブさんがイジっただけですね。

──「オー・ウェル」の質感は独特ですね。ザラッとした質感だけど、いわゆる宅録のローファイ感とも違う。

そうですね。言葉にしにくい感覚なんですけど、ベッドルーム的な室内感じゃなくて、もっと荒野のような感覚。抜けがよくて、荒涼とした景色が広がってるようなものを作りたかった。

──そういう意味ではブラジルの現行のシンガーソングライター、たとえばフーベルであるとかレオナルド・マルケスにも近い感覚を感じました。今回の作品は、ジョー・ヘンリーやLatin Playboysみたいに以前から髙城さんが好きだったものの要素が反映されつつも、最終的なパッケージングとしてはまさに“今の音”になってるんですよね。

そうですね。ジョー・ヘンリーのアルバムには曲が数珠つなぎになってるものがありますけど、あれってミックステープの作り方に似てるんですよね。ジョー・ヘンリーはシアトリカルなものを作ろうとしてああいうスタイルになってるわけですけど、それをミックステープに近いものとして捉え直すことによって、今の若い人にも聴いてもらえるものになるんじゃないかなとは思っていました。

最終的に描きたいのは都市の音楽

──例えば、ジョー・ヘンリーやLatin Playboysからさらにド渋な方向にいく可能性もあったと思うんですよ。もっとルーツミュージック寄りの方向というか。そちら方面にいきそうになってストッパーをかけることはなかったんですか?

いや、僕が最終的に描きたいのは都市の音楽で、そこはceroと変わらないんです。

──荒野のような感覚があっても、あくまでも都市から荒野を眺め見ているような?

そうですね。荒野からの風がずっとアルバムの中に吹き抜けているような感覚というか。

髙城晶平

──今回のアルバムでは秋田ゴールドマン(SOIL&"PIMP"SESSIONS)さんがベースを弾いていますが、ウッドベースの音色がアルバムのカラーを特徴付けているという印象も持ちました。

ウッドベースを入れたいというのは最初から決まってたんです。「ロープウェー」では岩見継吾さんがウッドベースを弾いてるんですけど、そのときの質感を覚えてたんですよね。ウッドベースの持つ肉体性とそうじゃないものが混ざった部分に自分が描きたいものがあった。あと、ドラムのみっちゃん(光永渉)と秋田くんは大学時代の同級生なんですよ。そういうこともあって秋田くんに声をかけました。

──今回は髙城さんの歌い方もだいぶ違いますよね。声を張らず、テンションと体温の低い歌い方というか。

キーも高くないし、酒を飲んでも歌えるような歌がいいなと思って(笑)。あと、日本語の乗せ方としては、sakanaのポコペンさんのことが少し頭にありました。外国文学の邦訳みたいな感じがするんですよ、ポコペンさんの歌詞って。ceroは音楽自体がアクロバティックなので、それに合う言葉を選んでいく必要があるんです。そういう意味でも普段とは違う言葉選びをしているとは思います。

父親と聴いてああだこうだ言えるものにしたかった

──タイトルの「Triptych」という言葉は「三連祭壇画」を意味していますね。今作は3曲3部構成で、ある種のコンセプトアルバムとなっているわけですが、そうした構想は最初からあったんですか?

はい、最初の段階からありました。これまでの作り方とは違って、もっと美術的に音楽を作れないかなという発想がまずあったんですね。「ゼロ・デシベル」というマディソン・スマート・ベルの短編集があって、その中に「トリプティック」という短編が入ってたんです。要は三連宗教画の様式を文学に置き換えてやってるわけですけど、それの音楽バージョンがあっても面白いんじゃないかと思ったんですよ。

──そうやって考えると、髙城さんがこれまでの人生で触れてきたあらゆる表現が今回のアルバムの血肉となっているわけですね。

髙城晶平

そうですね。あと、今回は父親から受けた影響も形にしたいと考えていました。自分には父親が2人いるんですけど、どちらも音楽が好きで、いろいろと教えてもらったんです。外国文学が好きなのも父親からの影響だし。今まで自分が作るceroの楽曲には、どこか母親が対象になっているようなところがあったんですけど、今回は2人の父親に捧げるものにしたいと思っていました。父親と一緒に聴いてああだこうだ言えるものになったらいいなって。

──Shohei Takagi Parallela Botanicaというプロジェクト名はどこからきたんでしょうか。

Parallela Botanicaというのは“平行植物”という意味で、(イラストレーター / 絵本作家の)レオ・レオニの作品のタイトルにもなってる架空の植物群のことなんですね。ソロではceroとは違う枝葉を伸ばしていきたいという気持ちもあったし、パラレルワールド的に成長していく草花みたいなイメージもあって、Parallela Botanicaという名前にしました。末長く一緒に年を取っていける音楽になったらいいなと思ってます。

──髙城さんが60代になったときのParallela Botanicaがどんな音楽を奏でているのか、すごく楽しみですね。

ね。自分でも楽しみなんです。この音楽だったらそういうイメージも湧きやすいんですよ。


2020年4月10日更新