椎名林檎「三毒史」インタビュー|デビューから20年経て向き合った、人類共通の“三毒”

“アルバムアーティスト”だと自負していた

──今回のアルバム自体では、どのような人生の流れを描きたいと思っていましたか? 曲間はあまりなく、前の曲のアウトロから次の曲の1音目が詰まっていますよね。その意図も聞かせてください。

「(生)林檎博'18 -不惑の余裕-」より。

いつもせっかくなのでアルバムならではのつながりを楽しんでいただきたいと考えています。昔、メーカーさんがよく、“アルバムアーティスト”という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。まあ、ライブ演出の際も、ですかしら。

──アルバムを聴かせていただいて、全体で1本のミュージカルやオペラを観ているような気分になったんですよね。

どうでしょう……必然的にそうなるかもしれませんね。たぶん今回のアルバムが一番ボーカルの主旋律の音域が広いです。そういった意味では、もっともっといろんな人が歌い分けてくれたほうが正しく成立するのかもしれません。

──アルバムを通して、1人の主人公の人生を描いていると考えてよろしいですか?

そう捉えていただけるように書いています。確かに、架空の主格がいますね。

“三毒”と付き合うこと

──アルバムの幕開けと締めくくりについては、どう考えていましたか?

いつも通り、1曲目がエピローグで、13曲目がプロローグです。

──1曲目「鶏と蛇と豚」はアルバムタイトル「三毒史」ともつながっています。どうして“三毒”というテーマを思い付いたんですか?

経緯は忘れてしまいました。だいぶ前から“三毒”をテーマにしたアルバムを作りたいと思っていましたから。ただ、流行作家と言いますか、時代に置いていくものを作るには、その3つを踏まえたものじゃないと風化すると思います。大前提として我々はそれらを持っていて、持て余したり振り翳したりしながら日々暮らしている。この3つは肯定も否定もしようがない、身体、命自体に自動的に付いてくるものだから、それらをどう取り扱うかが、すなわち人の生き方ですよね。一度は辛辣なくらい写実的に書きたいと思っていました。

──貪りと憎しみ、愚かさの3つの煩悩について深く考えたりはしましたか?

今回特にというわけではないです。みんな普通に真面目に生きていると、何かと考えざるを得ないですよね。自分から煩悩を捨てるというのはなかなかできないのではないかと思っています。だから、生きている人だったら、当たり前にほとんどおそろいで持っているはずじゃないかしら。

──それを持って、どう生きるかということですかね。

そうですね。でも、どう付き合っていくかということに答えを出したアルバムだとは思っていません。貪りや憎しみや愚かさと付き合っているうえではいろんなドラマがありますからね。

──ちなみに「鶏と蛇と豚」では般若心経がフィーチャーされています。椎名さんにとってお経というモチーフはどういったものですか?

2015年のツアー(「椎名林檎と彼奴等がゆく 百鬼夜行2015」)もお経で始まっています。そのときと今回と、担ってもらった役割は同じです。みんなに等しく授けられたありがたい真言という役割です。はるか昔からいただいているのに我々はいまだに三毒に苦しんでいる、というコントラストを描くためです。

──この曲には、これまた午年のDJ大自然も参加してます。

最初はお経のレコードをこすってもらっているようにしたかったものの、結局別の素材でプレイしてもらいました。まあともあれ、ありがたいお経と、我々の煩悩の戦いを表現してもらうために大自然くんへオファーしました。彼は聡明で仕事が早い。またすぐにご一緒したいです。

40歳からが私に似合う年齢

──お経と共に生者の門をくぐり、ラストを飾る楽曲「あの世の門」ではブルガリアの聖歌隊を迎えています。

音楽が鳴っているようなものではないんですが、だからこそ曲にして残してみたい、記録しておきたい夢の光景があって、そのイメージにブルガリアの聖歌隊の歌声が合致したんです。

「(生)林檎博'18 -不惑の余裕-」より。

──生後間もなく発覚した先天性の病気で、生死の淵をさまよったときの記憶ということですよね。

そうですね。ただそのもとの記憶自体が古く、当時はおそらくほとんど知識がないですし、見てきたものも少ないから、この程度のイメージしか残らなかったんじゃないかとも思うんです。最初に記憶したときの私のスペックが低すぎたか、ここに書いたものがすべてなんです。今その光景を見たら、もっと違うふうに書くんじゃないかとも思います。

──鉄の匂い以外、すべてが無になってるような状態ですよね。甘い蜜を舌で味わう曲から始まって、鉄の匂いを嗅ぐ曲で終わります。

ああ……今朝、御御御付けを二種作り分けてて、朝用と昼用と、それぞれ味を変えたつもりなのですが、まったくわからなくて……。風邪なんかで鼻が利かないと出汁の香りはおろか、塩っ気すらわからなくなるんですね。おいしいと感じながら食べられるのは何より幸せなことなんだなと改めて思いました(笑)。

──(笑)。1曲目から目で、耳で、鼻で、舌で、指で味わうことが何よりも尊いと歌われています。

その感受性が人一倍強いんじゃないかと思うことがあります。もしかしたら、表現にそれがそのまま出てしまっているのかな、とも。

──そういう話をしていると、早く実演を生身で体感したいという思いが強くなりますが。

いいですね。なるべく皆さまのお近くへお邪魔したいものです。「家族に乾杯」スタイルのライブをしてみたいです。なにか地のものをいただいてはワンステージ行うというような。いつもそうか(笑)。ちなみに「百鬼夜行」(「椎名林檎と彼奴等がゆく 百鬼夜行2015」)、「真空地帯」(「椎名林檎と彼奴等の居る真空地帯-AIRPOCKET-」)、「年女の逆襲」(「(生)林檎博'14 -年女の逆襲-」)、「不惑の余裕」(「(生)林檎博'18 -不惑の余裕-」)のライブ会場に陳列してあるカセットテープみたいなイメージで、「三文ゴシップ」「日出処」「三毒史」を聞いていただけたらいいなと思っています。生演奏でお気に召した曲が入っているカセットを、お土産に買って帰っていただくという順番を推奨しています。これぞ実演販売です。

──では、2020年の活動は何か考えてますか? 閏年なので、東京事変の再結集などは……。

どうしましょう……もし考えるなら、そろそろアップを始めませんと。でも、ニーズがどうでしょうか。SNSでは「あんなにうまく終わったんだから余計なことしないでほしい」「再結成なんて似合わない」という意見が目立って見えますものね。求められていないことをわざわざ行う必要はないかな、と。

──アルバムの収録曲「ジユーダム」「マ・シェリ」には東京事変のメンバーがバンド演奏で参加していますよね。

「(生)林檎博'18 -不惑の余裕-」より。

「ジユーダム」も「マ・シェリ」もオンエア開始が2016年、と閏年だったのです。つまりオリパライヤーであり、事変イヤーでした。4年に1度、使命感を覚えてしまうのは確かです。うーん、来年はどうでしょうね。

──デビュー20周年と40歳を迎えたということは、何か制作には影響を与えそうですか?

「来た来た!」と思っています(笑)。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。

──いくつくらいのときですか?

20代の頃です。バーンスタインの話もそうですし、まず音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。とはいえ、幼少期に掘り起こされた泉があれば、水はどんどんあふれてきてしまう。いつだったか、お客さんからのお手紙に「また今回もうまく逃げ切りましたね」みたいなことが書かれていたことがあって、どきっとしたんです。音楽教育を受けている方には、作家のスペックくらいわかりますもんね。こちらがお茶を濁したり、時間稼ぎしたりしようものなら、当然、バレますよね。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。