椎名林檎「三毒史」インタビュー|デビューから20年経て向き合った、人類共通の“三毒”

椎名林檎が前作「日出処」から約5年ぶりとなるアルバム「三毒史」を5月27日にリリースした。

20周年を締めくくるデビュー記念日にリリースされた今作には、宮本浩次(エレファントカシマシ)や櫻井敦司(BUCK-TICK)、トータス松本、浮雲やヒイズミマサユ機など、椎名と同じ午年生まれのゲストボーカリストたちが1曲置きに登場。椎名の作家性やプロデューサーとしての気質が伺えるデュエットアルバムにもなっている。タイトルに冠された “三毒”は、仏教で人間の悪や苦の根源と言われている3つの煩悩である貪り、憎しみ、愚かさのこと。なぜ今回椎名は三毒というテーマを選んだのか? どうしてデュエットアルバムのような構成になったのか? 意識的に午年生まれのアーティストに声を掛けたのか? ゲストボーカリストとのコラボレーションの話を中心に、「三毒史」にまつわる記録と記憶を聞いた。

取材・文 / 永堀アツオ

思いっきり悪役を担当できる

──前作「日出処」から約5年ぶりのニューアルバムとなりますが、この5年間というのは、椎名さんにとってどのような期間でしたか?

あっという間だったから、前作を出したのもついこの間という気がしてしまいますね。強いて言えば、“ヒカルちゃんのいる期間”だったのではないでしょうか。確かあのときにナタリーで“宇多田ヒカルカムバック”というような話をさせていただいたかと思います。(参照:椎名林檎「日出処」インタビュー)ヒカルちゃんがいなかったから、たぶん前作は、私なりにがんばってポップなものにしたんですよ。

──だからあんなに陽の光が差すような明るいアルバムになっていたんですね。

椎名林檎

そうだと思います。本来なら干支攻めは「年女の逆襲」(2014年に開催されたアリーナツアー「林檎博'14 -年女の逆襲-」)で行うべきだったんです。そうでないと、年女云々というタイトルとちぐはぐになってしまいますから。当時は申し訳程度に衣装に羽根や尻尾を付けていましたけど、まああんなものではないと言いますか、ちょっと我慢した節があったんです。「ヒカルちゃんがいないと、私は思いっきりダークサイドにいけないというところがあるんじゃないかな」と、あとで思いました。

──宇多田さんは5年半に及ぶ活動休止期間を経て、2016年4月に復帰されました。宇多田さんの存在は椎名さんの制作にも影響を与えているんですね。

彼女がいてくれると、私が思いっきり悪役を担当できるんですよね。やっぱりいてくれるといいですよ。シンガーである前に、まず人としてチャーミングで頼もしいですし(笑)。

──(笑)。では、アルバムの制作はいつ頃からスタートしたんですか?

昔と違ってアルバム全曲をじっくり制作する期間をいただくというよりは、シングルをいくつも先んじて発表していますし……それらも含めるとすると、2014年に「日出処」を発売した頃には「至上の人生」「どん底まで」の制作に取りかかりましたかね。その時点ですでにやはり前作からの反動があったと思います。たまたま「NIPPON」「自由へ道連れ」「孤独のあかつき」などのような若々しいアプローチが続けざまに求められた時期だった。作家側も毎回まったく異なるタッチで書いたほうが新鮮味を覚えられて健やかでしょうしね。おのずと前回と正反対の質感を求めてしまうものなんですよね。

──「日出処」発表後に初めてリリースしたシングルは、「至上の人生」(2015年2月発売)でした。

ああ、そう言えば「至上の人生」の時点でもう体へお経を映していただいていましたね。地上波で歌わせていただく機会に、各局へお願いしたんです。「三毒史」への歩み、その曲ですでに始まっていたようですね。

紅白に向井さんにお付き合いいただくには

──その後2015年8月に浮雲さんを迎えた「長く短い祭」と向井秀徳さんが参加された「神様、仏様」を収めた両A面シングルをリリースされました。浮雲さんとデュエットしたのはどういう経緯で?

浮ちゃんの声は独特の清涼感が魅力です。コーラのCMに合うと思ったんですよね。リスナーの方に、強い炭酸ののどごしを思い浮かべていただきたくて、メロダインやオートチューンを大胆に用いています。浮ちゃんのさわやかさは音色によるところだけではなく、タイム感にもあります。ダブルとシングルでもかなり異なる印象になる。いずれにせよ、毎回、ふわっと軽いタッチを提供してくれます。その名の通り。

──向井さんとの「神様、仏様」は、auスマートフォンのCMソングになっていました。

「(生)林檎博'18 -不惑の余裕-」より。

向井さんのあのお決まりのフレーズへのアンサーのようなものをずっと作りたいと思っていたんです。あと、時折私は紅白(「NHK紅白歌合戦」)にお邪魔していますが、大晦日のNHKホールへ彼にお付き合いいただくには、いったいどうしたらいいんだろうと考えていました。そのような意図は年末まで向井さんにはお伝えしていませんでしたし、誰にも打ち明けられず1人悪巧みしている状態でした。15年ほど前、彼の声をいろいろな楽器で彩ってみたくて「素材をくれ」と頼み込んでみたこともありました。彼が酒気帯びであろう時間帯を狙うなどして。当時は結局いただけませんでしたが、長い年月を経て「神様、仏様」を書いた際は、すんなり声素材を送ってくださって、うれしかったです。こちらのクーポンが貯まっていたのかもしれません。「僕らの音楽」や、ZAZEN BOYSのライブへの参加などによって。

──このシングルを出したときから、これからデュエット、ツインボーカルの曲を増やしたいというイメージはありましたか?

いえ、たまたまいただいたタイアップのお話にそぐうケースが多かったんです。もちろんクライアントに対して、無理強いするつもりもありませんでした。

──2015年末の紅白歌合戦では「長く短い祭-ここは地獄か天国か篇-」を披露し、浮雲さんと向井さんも出演されました。2017年末には“椎名林檎とトータス松本”として出演されています。

ええ。私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。それぞれのチームのプロモーションだけが目的になっている。よそさまに利益を漏らすまいという姿勢ですかね。それなら本末転倒ですよね。そこで私は、隙あらば、個々の瑣末な損得勘定を超えた娯楽を提案したいと思っています。ずっとそういう理想を思い描いているからこそ、共演も自然に視野に入ってくるんでしょうね。「紅白歌合戦」なんて特に、ボーダレスな楽しいお祭りであってほしいです。

丙午世代はボーカリスト当たり年

──向井さん以外、午年生まれなのは意図的なものですか?

もともと松本さんや宮本さんの丙午世代は、ボーカリスト当たり年でしょう? お見事ですよね。皆さんが一緒にイベントを催したりされているのを見るにつけ、うらやましく思っていました。ただ今回はたまたまです。アルバムの骨子がありましたし、それぞれの場面がお似合いになる方に書き下ろしていたらだんだん午年の方ばかりになってきて、「あー、面白かった!」という感じです。

「(生)林檎博'18 -不惑の余裕-」より。

──では改めて、午年生まれのゲストボーカリストについて聞かせてください。トータス松本さんとの「目抜き通り」はまさにマーヴィン・ゲイとタミー・テレルのイメージですよね。

そうですね。サウンド自体は(斎藤)ネコ先生が端正に積み上げてくださっていますから、モータウンみたいなラフさはあまり感じられませんけれど、声のハーモニーの作り方は意識していました。声には、持ち主の性みたいなものが、そのまま出てしまいますよね。松本さんについては、ブラックミュージックのフィーリングがおありだとかそういう必然性よりも、あの、無欲だったり、照れ性でおられるがゆえの声質を頼りにしている気がします。現場では端的に泣き笑い声などと呼んでしまっていますが、もっと適切な形容詞がありそうです。素晴らしい声です。

──ライブでもマーヴィン・ゲイとタミー・テレルの曲をカバーされていますが、どのようなところに惹かれていますか?

それこそ、ほかに何通りもありえそうな、あのカジュアルなハーモニーやアンサンブルですかね。彼の歌のフェイク癖などをそのまま旋律として固定しているように聴こえる、独特のライブ感。その場その場で答えが変わってしまいそうな、そしてそのどれもよさそうな。真似しようとしても、たぶんおいそれとはできないですよね。プレイヤーたちの肉体が作らせてる音楽と言いますか……その人の命のパワーが形成する音像は、素敵だなと思います。