SHANK|結成15周年を経て磨かれた自由

気付いたら勝っちゃってた

──「Candy Cruise EP」に収録されている「Japanese Cherry」を聴くと、これまでになかったブルージーなロックンロールになっていたり。「Rising Down」ではバース部分のタム回しと軽快なリズムが新機軸だったり。新鮮な要素が非常に多いですね。

松崎 「Japanese Cherry」はまさに、いなたいブルースロックをやろうと思って。もともとは今の半分くらいのBPMだったんですけどね。結果的には速くしてよかったです。

庵原 まあ、言われたように俺ら的にも実験的な部分が多かったんで。新しいことも意外とうまく昇華できたなっていう手応えはありましたね。自分たちの音楽の中に型みたいなものを感じちゃったときから、どんどん「考え込まないように」っていう意識が強くなってきたんでしょうね。それが結果的に一番自由になれる方法というか。

──メロディックパンクに位置付けられることや、シーン自体の型の強固さに対しての窮屈さはこれまでも話してきてもらってますよね。

松崎兵太(G, Cho)

松崎 そうっすねえ。たとえば俺のところにいろんなバンドが音源を送ってくれたりするんですけど、いいなと思うのはやっぱり、これまでにない方法論でやってるバンドなんですよ。いいか悪いかの尺度は俺にはわからないけど、なんにせよ新しいチャレンジをしている音楽って楽しいんですよ。それは俺ら自身もそうで、やりたいことをやってみればいい。うまくいかなかったとしても、そこから新しいものが生まれるかもしれない。そう考えてやるようにしてますね、音楽でもなんでも。

──DTMを使うようになったのも納得の話ですね。作るのが早くなるという以上に、トライアンドエラーを繰り返す時間が作れるっていう意味での楽しさがそこにあるのかなって。

庵原 そうそう。それこそ「MAIKING THE ROAD」だって、今聴いてみてもやりたい放題じゃないですか。好きにいろんなことやれて、間違ってもまたすぐに作り直せるっていうのが自由さにつながっていくんだろうなって思うわけですよ。

松崎 それに、自由に楽しめるライブっていうのは、自由に楽しめる楽曲によって作れるものだと思うんですよ。ハイスタがいろんな人を巻き込む存在になっていろんな人が自由に楽しめるライブをしていたのも、好きなことを全部ぶち込んでいた楽曲があってこそだし。もしメロディックパンクって呼ばれる音楽だったとしても、モッシュとダイブしか選択肢がないなんて面白くないじゃないですか。もっといろんな楽しみ方があっていいんですよ。観てる側もやってる側も、もっと自由でいい。どんどん音楽の楽しみ方が狭くなっている今、改めて、そこを大事にしてSHANKをやっていきたいと思ってますね。

──括りに対するカウンターの意識は多かったと思うし、そのカウンター意識がSHANKの音楽に、ごった煮感をもたらしていた部分もあったと思うんですよ。でも、そういうカウンター意識からも解き放たれることで本当の意味で自然体の自由をつかめてきたのかなと思って。

庵原 変わっていく部分も変わらん部分もどっちも必要で。そのどちらも同じ純度で出すにはどうしたらいいのか?というのは常に考えるし、もちろん勝ちたいとは思ってるけど、勝ち方もバンドによっていろいろあるじゃないですか。じゃあ俺ららしい勝ち方は何かって考えたら、勝ちとか負けとかウダウダ言わずに気付いたら勝っちゃってたという感じだと思うんすよ。まあ、もはや何が勝ちで何が負けかもよくわからなくなってるところもあるし。数字や知名度は大事だけど、自分たちの思うペースやスタンスを貫いて活動していけることが何よりの幸福だっていう考え方もあって。

手前から庵原将平(Vo, B)、松崎兵太(G, Cho)。

陽当たりの悪い部屋に引っ越してできた曲

──自分たちが貫いてこられたものって、言葉で表せますか?

庵原 そうだな……いつでも自然体でいられているってことかな。自然体だからこそ、お客さんが10人だろうと1万人だろうと同じライブができる。そこは俺らの強みだと思うし、どこに行っても「SHANKだな」と思わせることができるようになったのは、1つの勝ち方だと思う。だって、せっかく好きなことをやってるんだったら自然体でいないとおかしいじゃないですか。本気で遊んでるというか……そこだけは一切ブレてこなかったと思うし、一番大事にしてることかもしれないっすね。好きなことして遊ぶんだったら自然体でいなかったらおかしいことになるよね、という。

──自然体という意味で言うと、SHANKの歌には「俺の中の静けさに入ってくるな」とか「俺の安住を乱すな」とか、あるいは「この喧騒から抜け出して静かな場所へ行きたい」みたいな気持ちがたくさん入っていると感じるんですね。自然でいること、自分だけの生き方を乱されることに対して牙を剥く気持ちが、この歌の鋭利さになって出ているというか。そう言われてみると、何か思うことはありますか?

左から松崎兵太(G, Cho)、庵原将平(Vo, B)。

庵原 ああ……でも、歌の中身に関しては、今言われたみたいな受け取り方をする人もいれば、全然違う受け取り方をする人もいていいかなと思っていて。だって、勝手にいろんな捉え方をしてもらったほうが、それこそ人それぞれの楽しみ方ができるってことだし、自由ってことじゃないですか。もちろんどの曲も実体験に沿っているのは間違いないんですけど、説明しちゃったら答えが出ちゃうし、答えが出ちゃうと楽しみ方が狭まる。それに、説明できない気持ちだから歌にするっていうもんだと思うんで。

松崎 でもさ、歌詞に関しては「俺に言われてんのかなあ」って思うことがけっこうあるよ。

庵原 いや、それは勘違いだと思うよ。

松崎 はははは(笑)。でも実際、諭されてる気持ちになる歌がけっこうあって。もちろん、将平に「これ俺のこと?」なんて聞いたりしないけど、言葉のチョイスや音符の運び方、歌い出しのタイミングまで、俺には絶対思い付かないものを持っていながら、自分のことを言われているような気持ちになる歌を歌えるのが将平のすごいところだなって思うかな。

──ただ、これまでで一番、歌っている内容が暗いと思ったんですよ。

庵原 はははは!(笑) まあ、1曲1曲に吐き出したいことがあるのは間違いないっすね。で、今回は説明できないことが特にたくさんあるって感じかなあ。ただその一方で、全然大したことない内容を大げさに歌ってる曲もたくさんあるんですよ。だって「Bright Side」なんて、陽当たりの悪い部屋に引っ越しちゃったから出てきた歌ですからね。

──「光へ帰してくれ」と(笑)。

庵原 そう(笑)。だから、俺にとってはほとんどの曲が大したことない内容なんですよ。ガキが駄々こねてるだけ、みたいな歌だと思う。

──ただ、「CLASSIC」では「一人で死ぬのが怖いなんて言うには若すぎるけど」という内容の歌があって、これまでは人への拒絶や壁みたいな部分が歌になっていたのが、かなり変化してきたと思ったんですよ。

庵原 これはね、1人で死にたくないって言ってるわけじゃないんですけどね。自分でもよくわからないですもん。「最後まで眠りたい」とか、何を言ってるんでしょうね?(笑)

──いや、僕が聞きたいです(笑)。

庵原将平(Vo, B)

庵原 でも基本的に、俺は人に対してどうこう言うために歌ってる感覚は一切ないんですよ。全部、自分に向かって言ってると思う。人を勇気づけられるほどの人間でもないし、自分の実体験を言うことしか俺には残されてない。だって、人のことなんてわからないじゃないですか? 

──わからないですね。いつまで経ってもわからない。

庵原 だから結局、自分の中のことしかないんですよ。自分の中を吐き出すことで、さっき言われたような「静けさ」みたいなものとか、自分の安定みたいなものを守ってるのかもしれない。ただ……昔は特に、フラストレーションやヘイトの矛先が散らばりまくってたと思う。でも、その矛先を間違えないようになってきた感じはありますね。理由なくイライラするとか、理由なく攻撃的になるとか、全然意味わかんないんだけど吐き出すっていうことはなくなった。生きれば生きるほど、人を攻撃しても何も変わらないと知ったんですよ。もっと言えば、人のことよりも自分のことのほうがわからないから。人もわからないけど、自分が一番意味わかんないもん。

──そうですよね。その変化はどうして生まれたものなんですか?

庵原 うーん……しんどくなったんじゃないですかね? 例えば昔は、自分のコミュニティを広げることとか、バンドの状況を大きく見せることとか、全方位に意識を向けようとしてたんですよ。で、無理して疲れたり、思い通りにならなくてイライラしたりっていうのが確実にあった。でも、大事なのはそこじゃなくて。大事な仲間はずっと大事だし、関係ない人は関係ない。分けて考えられるようになると、イライラする必要もなくなっていくんですよ。結局は、自分が好きなものをどう愛して生きるか。それをブレさせなければいいんだなっていうのが、自分の表現の変化としては大きいのかなって気がしてます。