SAKANAMONインタビュー|結成15周年、バンドの“今”を詰め込んだニューアルバム

今年で結成15周年を迎えるSAKANAMONが、10月26日に通算7枚目のアルバム「HAKKOH」をリリースした。

SAKANAMONがオリジナルアルバムをリリースするのは、2020年発表の前作「LANDER」からおよそ2年半ぶりとなる。「HAKKOH」には、コロナ禍により当たり前のことが当たり前でなくなってしまった中、藤森元生(Vo, G)が日々の生活の中で感じた思いを真摯に歌う「ディスタンス」「ふれあい」「幸せな生活」などを収録。その一方で、「ZITABATA」や「裏鬼門の羊」「南の島のハメハメハ大王」などSAKANAMONらしい遊び心が全開の楽曲も健在で、バンドとしてのポテンシャルの高さを改めて強く感じさせる1枚に仕上がっている。

音楽ナタリーではメンバー3人にインタビューを実施。キャッチーさとマニアックさを絶妙なバランスで同居させながら、がむしゃらに突き進んできたSAKANAMONの“今”を存分に語ってもらった。

取材・文 / 黒田隆憲撮影 / 吉場正和

辞めるという選択肢がなかったのがうれしかった

──SAKANAMONに音楽ナタリーにご登場いただくのは、2019年8月発売のミニアルバム「GUZMANIA」の特集以来になります。あのときは10周年のアニバーサリーを終えての「これから」について語ってもらいました。今年で早くも結成15周年を迎えますが、この5年間を振り返ってみて、どんな心境でしょうか?

藤森元生(Vo, G) 5年間の中でも特にコロナ禍になってからの3年間は、誰もがそのことに振り回され、引っ掻き回され続けましたよね。僕らも思うようにライブができず、作品を作るのも大変な状況にあったけど、それでもというか、だからこそ新しいことにもいろいろと挑戦できたのかなと思います。新たな発見もたくさんありましたし。

SAKANAMON

SAKANAMON

木村浩大(Dr) 確かに、この3年間で活動の幅が広がったよね。配信ライブはもちろん、アコースティックツアーのような初めてのことにもたくさん挑戦して。結成15周年を迎えられたのは決して当たり前ではないけど、「この先のSAKANAMONも問題ない」と思えたことは大きかったです。

森野光晴(B) コロナ禍で多くのバンドが活動をストップさせたり解散してしまったりした中、自分たちには辞めるという選択肢がそもそもなかったのもうれしかったです。自分自身と向き合い、やっぱりバンドを続けたいし、続けられるんだということを再認識できました。

──リモート映画プロジェクト「TOKYO TELEWORK FILM」の第6弾作品「でぃすたんす」のために「ディスタンス」を書き下ろしたことも、バンドにとって大きかったのではないでしょうか。

藤森 そうですね。結成10周年のときにドキュメンタリー映画「SAKANAMON THE MOVIE ~サカナモンは、なぜ売れないのか~」を撮影してくれた清水康彦監督が劇伴の話を持ってきてくれて。コロナ禍で活動すべてがストップしてしまった時期だったから、「今度作るリモート映画『でぃすたんす』のための曲を書いてくれない?」と言ってもらえたのはすごくうれしかった。制作を通して自分たちの生活に血が通う感覚もあったし、こういう状況下でも音楽を続けられる幸せを噛み締めることもできたので。ちなみにアルバムに収録されている楽曲は、ほとんどが「ディスタンス」以降に書いたものです。

藤森元生(Vo, G)

藤森元生(Vo, G)

──なるほど。振り返るとそこからアルバム制作がスタートしたとも言えますね。

藤森 確かに。そう考えると面白いですね。ステイホーム期間中に作った「ディスタンス」から始まって、最後にレコーディングしたのが「FEST」という曲でした。「FEST」は文字通りフェスをテーマに、ライブをひさしぶりにやったときの感動を歌にしています。そういう意味で「HAKKOH」は、自粛期間に突入したSAKANAMONが、再びみんなの前に立ってライブをやるまでのドキュメンタリー作品と言えるかもしれないです。

クラウドファンディングを通して気付いたファンの熱量

──今年7月には「大人のSAKANAMON」をテーマに、クラウドファンディングも行われました。

藤森 アルバムの制作を始めて曲が徐々に集まり出してきた頃に、「何か15周年を盛り上げる新しい企画を立ち上げよう」「だったらストリングスを入れるのはどう?」というふうに話が盛り上がって。これまで自分たちの楽曲にストリングスを入れたことがなかったので、きっと面白いものになると確信しました。ただ、このご時世で新たなことを始めるのは非常にハードルが高くて……皆さんのお力添えが必要でした。実際に立ち上げてから、10分程度で目標を達成したんですよ。本当にありがたいことですよね。

SAKANAMON

SAKANAMON

──結成10周年のときに清水監督と制作したドキュメンタリー映画のサブタイトルが、「サカナモンは、なぜ売れないのか」だったわけじゃないですか。

藤森 そうでしたね(笑)。

──でも気付けば売れないどころか、これだけ強い絆でファンと結ばれている稀有なバンドになっていたという。

森野 今もまだ「めちゃくちゃ売れている」わけじゃないですけどね(笑)。ただ、お客さん1人ひとりとの信頼関係はとても強いと思います。それってやっぱり、藤森くんが器用じゃないからだと思うんですよ。自分が作るものに対してまっすぐだし、好きになってくれた人たちを彼が決して裏切らないからじゃないかと。

藤森 ファンの人たちとたまに話す機会があるのですが、なんかみんな浅くないんです。すげえどっぷりマニアというか、オタクというか(笑)、ものすごく熱心にSAKANAMONのことを好きでいてくれているんですよ。そういうふうに好きになってくれる人たちを裏切りたくないし、ちゃんと届くものを作りたいという気持ちはいつもありますね。

──クラウドファンディングを行うことで、そういうファンの方々の熱量が可視化するじゃないですか。それを確認したくてやっているところもありますか?

藤森 確かに、数字で見えると身が引き締まる思いはあります。プレッシャーというか、「絶対にアルバムをいいものにしなくちゃ」って。

森野光晴(B)

森野光晴(B)

15年前では書けなかった「ふれあい」

──新作のタイトルを「HAKKOH」にした理由も聞かせてもらえますか?

森野 自分たちのこれまでの道のりをイメージしてみたときに、パッと頭に浮かんだのが闇の中を手探りで進んでいる姿だったんです。僕らはキャラ的にもバンドの状況的にも順風満帆では決してない、それでも光に向かってがむしゃらに進んでいる。そんな自分たち自身をもう一度光り輝かせたいという思いから、「発光」という言葉が浮かんできて。そして「HAKKOH」は、「発酵」とも読めると思ったんですよ(笑)。発酵って、一歩間違えれば腐敗じゃないですか。でも発酵することで旨味が出てくるのは不思議だなって。そういう珍味的なイメージが、僕らSAKANAMONにもあるんじゃないかなと思ってダブルミーニングで「HAKKOH」と名付けました。

──アルバムを聴かせてもらったのですが、とにかく楽曲のクオリティが相変わらずものすごく高くて。

藤森 ありがとうございます。

──しかも、今作はいつも以上にコンセプチュアルだなと思いました。というのも、アルバムの最後を飾る「ふれあい」という曲がプレリュードという形で前半に挿入されていたり、冒頭曲が15秒程度のインストだったり。アルバム1枚で1つのストーリーを作っているような、そんな印象を受けたんですよね。

藤森 実はこの「ふれあい」は、アルバムの中で一番古くからある曲なんです。それこそ映画「でぃすたんす」用の楽曲を作っているときにできたので。まずはこの曲の弾き語りデモを、清水監督に「どうですか?」と聴かせたんですけど、「できればほかの曲で……」と言われてしまって(笑)。自分ではすごく気に入っていた曲だったので、「もったいないデモ」と名付けてしばらく寝かしておいたんです。でも今回、アルバムを作っていく中で「ストリングスを導入しよう」という話になったときに、「だったらこの曲、ぴったりだな」と。絶対にアルバムに入れたいと思って本腰を入れてデモを作ったところ、スタッフの間でもめちゃくちゃ評判がよくて、自然とこの曲がアルバムの軸になっていきましたね。

SAKANAMON

SAKANAMON

──お二人はこの「ふれあい」を聴いてどう思いました?

木村 「これだよね」って思いました。元生は普段、自分が思っていることをあまり表に出すタイプではないんですよ。なのでこの曲の歌詞はすごく意外だったし、この数年で彼もいろんな思いを抱いてここまで来たんだろうなと思いました。

森野 僕もボツになったときからこの曲は「もったいない」と思っていたので(笑)、こうやって形になってよかったなと。歌詞の内容も、それをストレートに出す姿勢も、「バンドを始めて15年経ったんだな」と思います。15年前だったら書けない歌詞だよなって。

藤森 確かに。今回はすごく強烈に「誰か」を求めていたというか。つながりたい、触れ合いたいという気持ちが強かったんだなと思いましたね。ただその一方で「ZITABATA」や「裏鬼門の羊」、NHK「みんなのうた」のために書き下ろした「南の島のハメハメハ大王」みたいなマニアックかつ遊び心全開な楽曲もアルバムにはあって(笑)。そのあたりのバランスは、どれだけキャリアを重ねてステージの規模が大きくなったとしても、デビュー当時から常に一定だと思うし「一定でありたい」と考えているからなんですよね。