音楽ナタリー PowerPush - 「人間交差点 2015」開催記念対談

宇多丸×Zeebra

日本語ラップの来し方行く末

ヒップホップを盛り上げるためにできることはなんでもやる

宇多丸

宇多丸 Ken-Boは当時、ヒップホップの持つ知性の部分と、不良性やスタイリッシュさの部分を両立するグループがようやく出てきたってキングギドラを紹介してたんだよ。それ聞いて俺なんかは「ごめんなさいね、スタイリッシュじゃなくて」って拗ねてた(笑)。でも本当にギドラの大ファンになっちゃって、「空からの力」が出たとき、「Front」っていうヒップホップ専門誌で、当時まだライターもしてた俺がインタビューしたよね。

Zeebra 俺は「Front」でアメリカのヒップホップのリリックを日本語に訳して紹介する「WORLD IS BOND」って連載をやってたんだけど、あれも宇多さんが振ってくれたんだよね。

宇多丸 うん。ちゃんとアメリカの歌詞を100%理解した人によるヒップホップ紹介というのは、当時の日本のヒップホップシーンの水準を上げるためには絶対に必要だと思ったから。あの頃はヒップホップを盛り上げるためにできることはなんでもやるっていう意識がみんな高かったんだよね。「世間に対してひと泡吹かせてやる」というか。

「口から出まかせ」前夜

宇多丸 そういえば、FGが代チョコ(代々木チョコレートシティ)でやってた「Young MCs In Town」ってイベントにギドラを誘ったの覚えてる? 快諾してくれて俺は「なんていい人たちなんだ!」って感動してたら、ドタキャンされた(笑)。

Zeebra あれっ? そうだっけ?

宇多丸 そうだよ! イベント前日に「アメリカに行くから無理」って言われて。もうドタキャン中のドタキャンですよ。

Zeebra マジで!? 今知った(笑)。

左から、Zeebra、宇多丸。

宇多丸 でもね、シーン自体がルーズだったせいもあって、こっちも怒るっていうよりかは「アメリカ行っちゃうなら仕方ないか……」って納得しちゃったんですよ(笑)。それで慌てて雷(KAMINARI-KAZOKU.)に連絡して代わりに出てもらったの。そういうときにちゃんと助け合う程度にはやっぱりシーンができつつあって、それはそれですっごくうれしかったんだけどさ。イベントもすごい盛り上げてくれましたね。で、その翌月からイベントは下北沢のチョコレートシティ(現:下北沢CLUB251)に場所を移すんだけど、そのとき再度オファーしてギドラに出てもらったんだよ。

Zeebra 今思い出したけど、当時はこっちゃんがまだアメリカの大学に在学してたりして、いろいろ大変だったんですよ。しかも彼は「向こうに行く」とか言い出したら聞かない性格だから。俺が2週間の予定でアメリカのこっちゃんのところに行ったことがあったんだけど、帰る当日にこっちゃんが突然「お前はまだこっちにいたほうがいい」とか言い出したことがあって。そんなこと言われたって、こっちは航空券とっちゃってるし、金もなくなっちゃったし、無理だよって言ったのに、結局空港まで送ってくれないの。あり得ないでしょ(笑)。

宇多丸 そんな頃から2人の間にはいろいろあったんだね(笑)。下北沢でやった「Young MCs In Town」のとき、新曲として「真実の弾丸」とかやってた。当時はバックDJがまだKen-Boで。ライブもすごいカッコよかったから、俺らはキングギドラに一緒に曲作ろうって誘って、それが「口からでまかせ」につながっていったんだよね。

Zeebra そういえば今回「空からの力:20周年記念エディション」に入れるためのデモテープを探してたら、「口からでまかせ」の1stテイクってやつが出てきた。

宇多丸 そういうんだったら俺もありますよ。「口からでまかせ」のプリプロをみんなでしたときに、俺が定点観測みたいな感じで録画してたビデオテープ。そのビデオカメラが当時としてはまだ珍しかった画面を見ながら撮影できるやつで。最初はみんな普通にレコーディングしてるんだけど、徐々にビデオカメラを意識し出して、最終的にはMVみたいに動きを付け出すんだよね(笑)。

Zeebra あの頃はMVなんてなかなか撮ってもらえない時代だったからねえ。

宇多丸 そういう夢のある映像がいずれどこかで観られるかも……(笑)。

ヒップホップバブル

Zeebra 俺たち世代のヒップホップシーンは足りないものだらけだったじゃん。だからみんな率先して「ここは俺が補おう」「じゃあ俺はここやるよ」みたいな感じだったよね。

宇多丸 うん。特に俺とジブさんの活動スタイルは両極だと思う。俺らライムスはヒップホップシーンの内側と外側のちょうど境界線を行き来するようなところにいて、「ヒップホップとはどういうものか?」っていうのをなるべくわかりやすい形で世の中に伝えるような活動をしてた。一方でジブさんは「Mr.DYNAMITE」以降からヒップホップの不良性という部分で象徴的な役割を自ら担うようになった。「東京生まれヒップホップ育ち」っていうあのラインだって、あえてわかりやすくそういうイズムを提示してみせたわけでしょ。

Zeebra

Zeebra 当時は日本全体に「ラップって何?」「ヒップホップって何?」っていう好奇心があったんだよね。だから、俺らはそれぞれのポジションで正しいヒップホップを伝えていく必要があったんだよ。それが1996年の「さんピンCAMP」というイベントから、俺がDragon Ashとやった「Grateful Days」を経て、2000年のDef Jam Japan設立くらいまでの頃。作品を出せば市場がなんでも受け止めてくれるような時代で、メジャーのレコード会社もここぞとばかりにいろんなアーティストと契約した。

宇多丸 あと1990年代後半から2000年代頭くらいは日本の音楽シーン自体が新しいものを求めたんだと思うな。m-floとかMISIA、UAみたいにクラブミュージック的なエッジの立った楽曲がヒットしたりね。

Zeebra うん、新しいものにも寛容だった。それは1990年代後半が世紀末に向かっていたことも関係してるよね。「世紀が変われば世の中が変わるんだ!」みたいな感覚が当たり前のようにみんなの中にあって。俺なんかも「21世紀はこれだぜ、知らないなんて遅れてる」みたいなこと普通に言ってたもん(笑)。

宇多丸 その世紀末感はマジであったと思うな。渋谷のそこら辺にいるような若い子たちの感性と音楽シーンの雰囲気がリンクしてたんだよね。

Zeebra そういう背景からいわゆるヒップホップのバブル状態に突入していくという。でもバブルってのは当然はじけるもんだから。

RHYMESTER Presents 野外音楽フェスティバル「人間交差点 2015」RHYMESTER Presents
野外音楽フェスティバル 人間交差点 2015
2015年5月10日(日)東京都 お台場野外特設会場
<出演者>
RHYMESTER / スガシカオ / KGDR(ex. キングギドラ) / 10-FEET / MIGHTY CROWN / SOIL & "PIMP" SESSIONS / スチャダラパー / SUMMIT(PUNPEE、GAPPER、SIMI LAB、THE OTOGIBANASHI'S)/ SUPER SONICS / レキシ / DJ JIN
SUMMER BOMB produced by Zeebra
2015年8月15日(土)東京都 Zepp DiverCity TOKYO
<出演者>
KGDR(ex.キングギドラ) / RHYMESTER / ANARCHY / KOHH / 2WIN(T-PABLOW & YZERR) / and more
宇多丸(ウタマル)

ヒップホップグループRHYMESTERのメンバー。1989年にMummy-Dとグループを結成してから現在まで常に日本のヒップホップシーンの第一線で活躍し続けている。さらに音楽活動以外にもTBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」のメインパーソナリティを務めるほか、テレビなどでも活躍している。 RHYMESTERは2014年12月にレコード会社をビクターエンタテインメントへ移し、主宰レーベル「starplayers Records」を設立した。4月29日にシングル「人間交差点 / Still Changing」をリリースし、5月10日に東京・お台場野外特設会場で初の主催フェスティバル「人間交差点」を開催する。

Zeebra(ジブラ)

東京都出身のヒップホップ・アクティビスト。キングギドラのメンバーとして1995年にデビューする。日本語ラップの礎を築いたグループとして高い評価を得つつも、翌年にグループは活動を休止。1997年にシングル「真っ昼間」をリリースし、ソロアーティストとしてメジャーデビューを果たす。日本のヒップホップシーンの顔役として活動し、2014年に自身のレーベル「GRAND MASTER」を設立。また、「クラブとクラブカルチャーを守る会」を発足し、会長として風営法改正にも働きかけている。さらに夏には自身がプロデュースしたヒップホップ・フェス「SUMMER BOMB」をスタート。2015年8月には2回目が開催される。