NONA REEVES|「まだ自分たちの音楽に飽きてない」27年目のノーナが語る、全曲シングル級の新作「Discography」

今年で結成26周年を迎えるNONA REEVES。彼らは2020年6月、タワーレコード内に新レーベル・daydream park recordsを立ち上げ、その後西寺郷太(Vo)がソロアルバム「Funkvision」、奥田健介(G)がZEUS名義で初のソロアルバム「ZEUS」をリリース。さらに9月8日にはNONA REEVESの17thアルバム「Discography」発売と、ベテランアーティストらしからぬ精力的なリリースを続けている。「Discography」は西寺が「各楽曲すべて『シングル』曲を作るつもり」で作り上げたアルバムで、バンド初期を彷彿とさせるメロディの立った作品となっている。

音楽ナタリーでは、「Discography」発売を記念してNONA REEVESの3人にインタビュー。レーベル立ち上げからアルバム「Discography」発売に至るまでの経緯や、今作への思いを語ってもらった。

取材 / 臼杵成晃文 / 石井佑来撮影 / 山口こすも

26周年を迎えて感じる変化

──NONA REEVESは今年で活動26周年を迎えました。こんなに長く続けるバンドになると思っていましたか?

奥田健介(G) それを深く考えてないから続いているっていうのはあると思います。

西寺郷太(Vo) 「家の更新」みたいな感覚なんですよね。26年続けようと思ってここまで来たわけじゃなくて、特に引っ越す理由もないし「しばらくまたこの家に住むか」っていう(笑)。3人それぞれほかにもいろんな仕事があって、言うなればホテルに泊まったり別荘を持ってたりするんだけど、やっぱり実家が一番居心地がいい。その感覚を、アルバムを作るごとに感じられるから、ここまで続いてきたんだと思います。

──この26年の中で、自分たちの音楽性が変わってきたという意識はありますか?

西寺 根本的なスタイルはあまり変わってないと思います。いわゆるJ-POPに翻訳されづらい、1980年代に刺激を受けたブルーアイドソウルやリズミックなポップミュージックをずっと追求し続けている感じで。デビュー当時にインタビューでよく語っていたのがWham!、マイケル・ジャクソン、Culture Club、Scritti Politti、New Edition、プリンスあたりですから。あんまり変わってないですね。

小松シゲル(Dr) そのラインナップ、あんまりというか全然変わってないよね(笑)。

西寺 根本は本当に全然変わってないんだけど(笑)、この26年の間で3人のパワーバランスは少しずつ変化していると思っていて。小松が外でドラムを叩いたりバンマスをやったり、奥田がほかのアーティストの曲をプロデュースしたりアレンジしたり、そういうのがいい方向に作用していると思うんです。僕の役割はあくまでアイデアを出すことで、それを小松と奥田に投げて形にしていくというのがノーナの在り方なので。どちらかと言えば寡作だった奥田が2010年くらいからは自由自在にPCを駆使して、バンドにパーフェクトなデモをどんどん持ってくるようになったし。そういう意味では、26年の中でグラデーションはあるのかもしれない。

NONA REEVES。左から西寺郷太(Vo)、奥田健介(G)、小松シゲル(Dr)。

コロナ禍のNONA REEVES

──昨年6月にタワーレコード内に新たなレーベル・daydream park recordsを立ち上げて以来、西寺さんのソロアルバム「Funkvision」、奥田さん初のソロアルバム「ZEUS」発売ときて、さらにノーナの通算17枚目となるオリジナルアルバム「Discography」のリリースと、かなり勢力的に動いていますよね。

西寺 そうですね。でも、コロナの影響で予定していたスケジュールよりだいぶ遅れてはいるんですよ。ワーナーに移ったときは(参照:NONA REEVESがベスト盤リリース、20周年記念対バンに堂島孝平)、古巣ということもあったから3人ともすごくうれしくて。「せっかくメジャーだし、もう一度1人でも多くの人に聴いてもらおうぜ」という感じで、かなり気合いも入ってたんです。でもコロナ禍に入る半年前くらいにその契約も切れちゃって。そのときにちょうど僕がNegiccoに曲を書いていたという縁もあり、タワーレコードが声をかけてくれたんです。それでdaydream park recordsから僕と奥田のソロを出すことになったんですけど、本当はもっと短いスパンで発表する予定だった。ノーナはどうしてもライブをやりたいから、コロナ禍の間にソロをやるのはちょうどいいと思ってたんだけど、想像以上に先延ばしになるという(笑)。

奥田 本当にレーベル立ち上げと同時くらいに世間がこういうことになったから、時間軸が変わってしまったような感覚で。アルバム完成から発売されるまでにここまで期間が空くのは初めてですよ。

西寺 まあでも、こういう状況で作品をリリースできたっていうだけでかなり恵まれているとは思いますけどね。自分たちのレーベルということでそれなりに小回りが利くし、タワーの方たちもすごく協力的で。この状況の中でソロを含む3枚のアルバムを作れたというのは、本当にラッキーだと思ってます。

──アルバム「Discography」の内容自体、コロナ禍の影響で変わった部分もあった?

西寺 ソロアルバム「Funkvision」はちょうどコロナ禍に突入した時期に2カ月くらいで作ったんですけど、そのときはすごく楽しくて。世間的にも「ステイホームを利用して体を鍛えよう」とか「英会話をマスターしよう」みたいな前向きなムードがまだあった頃だったので、自分もそういう感覚だったというか。その流れでノーナのアルバムを作ったら、やっぱりこっちはこっちですごく楽しかったし面白かったんですよね。作る音楽の種類は似てるんだけど、ドラム1つとっても打ち込みと生音で全然違うし、「この曲で小松がドラムを叩いたらどうなるんだろう」みたいな想像をしながら曲を作るのが楽しくて。そう考えると、もしかしたら「音楽家である自分を改めて見つめ直す」という意味で制作作業自体にはプラスな面もあったのかもしれない。

K-POPと共有する感覚

──奥田さんは初のソロアルバムを作ってみたことで、ノーナでの曲作りやほかのアーティストへの楽曲提供とはまた違う気付きがあったのではないでしょうか。

奥田 ソロとバンドは本当に何もかもが違いましたね。ここまで違うかというくらいまったく違う。ソロだと自分にかかる責任も大きくなるから絶対にケガできないという感覚があって、理性が働くんですよね。バンドだともっと野性的になる(笑)。

西寺 僕は奥田ががんばってるのを見てうれしかったけどね。Twitterを見ていても、すごく積極的に宣伝してるし(笑)。そういうキャラじゃなかったのに。

奥田 そういうのは基本的にフロントマンがやることだと思ってたから(笑)。新鮮だったし、フロントマンは普段こういうことをやっているんだとわかっただけでも貴重な体験でしたよ。

──NONA REEVESの音楽の下敷きにある、Wham!やマイケル・ジャクソンといった洋楽のエッセンスは、いわゆるシティポップと呼ばれるものと時代背景的にも共通する部分があるのに、ノーナには不思議とシティポップの印象がないんですよね。その大きな一因が、奥田さんのギターにあると思っていて。それこそ野性的な感じというか、日本人が洋楽の影響をシティポップに落とし込むうえで捨てがちな部分を残している印象がある。そのあたりは意識していますか?

奥田 意識的か無意識かはわからないけど、シティポップっぽさを回避しているというか、距離感をコントロールしているというのはあると思います。でも、昔はシティポップとして語られるのはなんとなく抵抗があったけど、今はそう聞こえるならそれでいいと思ってますね。

西寺 今回のアルバムに収録されてる「Wake Up!」のギターソロとか、個人的に今までの奥田のギターソロの中でも指折りに好きなんですよ。自分が特に好きだったアンディ・サマーズのギターアレンジに通じる狂気とエレガントさがあるというか。でも世間的にはエレキギターのヘビーなサウンドって、ここ10年くらい少なくとも「旬な楽器」という扱いではなかったし、シンセだけで作るほうが手っ取り早いみたいなところもあるんですよね。そこでギターがどういうふうに立ち振る舞うかというのは、本人もけっこう考えたんじゃないですかね。

奥田 シティポップ的な立ち振る舞いというものが、どうもイメージできないんですよ。その手のシーンに近いところにいるギタリストで好きな人がKASHIFくらいなんで。実際彼がシティポップな人間かと言われたら、そういう話じゃないと思うし(笑)。1人ひとり事情は違う、ってことですかね。

西寺 シティポップに限らず世の中の流行や再評価の“文脈”から、20年以上少しずつずれてるんですよね、ノーナは(笑)。そこが長続きのポイントだと個人的には思ってますけど。

──J-POPが消化しきれていない1980年代の音楽的な要素を取り込んでいるという点では、今だとむしろ感覚的に近いのはK-POPかもしれない。

西寺 そうかもしれないですね。J.Y. Parkさんが好きなアーティストの名前をスタジオに付けてるんですけど、それがマイケル・ジャクソン、プリンス、ジョージ・マイケルらしいんですよ。BTSのプロデュースをしているパン・シヒョクさんもDuran Duranに影響を受けているらしくて。J.Y. Parkさんは僕の2つ年上、パンさんは小松と同い年の1972年生まれで僕の1つ年上。ほぼ同世代で、幼少期に観たMTVに本気で影響を受けていて、そういうところがノーナの音楽とK-POPは感覚的に近いのかもしれない。日本にはこのタイプの音楽家って実はあまりいないんですけど、僕も小松もMTVっ子なので。奥田はThe Stone RosesとかRCサクセションの要素も大きいけど。

奥田 マンチェ出身だからね(笑)。

西寺 僕らはたまたま渋谷系がフェードアウトしている時期にデビューしただけで、僕自身はフリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴの音楽を全然知らなかったんですよ。1995年の春に下北沢で、「フリッパーズのプロデューサーだよ」って吉田仁さんを紹介されたときに、「名前はよく聞くバンドなんで、今度聴いてみます!」と言って周囲のバンドマンをコケさせたようなやつなんで(笑)。もちろんその後、サニーデイ・サービスやフィッシュマンズも含め、さまざまな当時のリアルタイムのアーティストに触れて、体感して、素晴らしいなと刺激は受けましたが。だからそもそも僕らはシティポップとか渋谷系の文脈とは少し違う。そういう意味では今言ったようにK-POPの人たちが見てきた世界のほうが近いのかもしれないですね。