U2「Songs Of Surrender」特集|西寺郷太(NONA REEVES)×安藤康平(MELRAW)がU2の魅力を徹底解説

アイルランドが誇る世界的なロックバンドU2が、過去の名曲40曲をリレコーディングした4枚組のニューアルバム「Songs Of Surrender」をリリースした。

本作は、「Vertigo」「Where The Streets Have No Name」「Beautiful Day」など今も世界中で愛されている数々の名曲たちを、まったく新しい解釈で再構築したもの。ポストパンク時代の荒々しい楽曲から、デジタルロックに急接近した90年代の楽曲、ケンドリック・ラマーやレディー・ガガを迎えて作り上げた近年の楽曲まで、作品ごとに著しく変化してきたそのスタイルを剥ぎ取り、アコースティックでアンビエントなアレンジが施されており、彼らの楽曲の持つ普遍的な力に改めて気付かされる仕上がりとなっている。

常に最新の技術や機材を用いてサウンドを更新し続けているU2。その膨大なディスコグラフィを前に「どこから聴いたらいいのだろう?」とハードルの高さを感じている人もきっと多いはず。そこで今回ナタリーでは、西寺郷太(NONA REEVES)と安藤康平(MELRAW)という世代の違う2人のアーティストに、U2の魅力についてじっくりと語り合ってもらった。

取材・文 / 黒田隆憲撮影 / 草場雄介

出会いはBand Aidと「Vertigo」のギターリフ

──まずは、お二人のU2との出会いから聞かせてもらえますか?

西寺郷太 僕は1973年生まれなのですが、9歳くらいの頃マイケル・ジャクソンの「Thriller」が日本で流行ったのをきっかけに、イギリスやアメリカの音楽を好きになっていったんです。当然アイルランド出身のU2も“UKロック”の象徴的存在の1つとして知ってはいたのですが、最初から夢中になったわけではなくて。当時はもうちょっと子供にもわかりやすいアーティスト、例えばカラフルなDuran DuranやWham!、わかりやすく派手で不思議なプリンスなどに夢中で、それに比べるとU2は少しハードルが高かったんですよね。政治的なメッセージも多く、シリアスで怖い印象がありました。特に印象に残っているのは、Band Aidの映像ですね。

──Band Aidは、ボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロが発起人となり、UKロックシーンのスーパースターたちが集結したチャリティバンドのことですね。

西寺 そうです。小学5年生の冬に彼らがリリースしたクリスマスソング「Do They Know It's Christmas?」(1984年)のミュージックビデオを観て、サビ前でボノが登場するときのインパクトがとにかく大きかった。そこで初めて彼らの存在を認識したんです。

安藤康平 僕は親父がギターをやっていたこともあり、基本的に洋楽が家の中や車の中でずっと流れている環境で育ちました。童謡とか聞かせてもらった記憶もなくて(笑)、小さい頃からライブハウスに連れて行ってもらい、肩車されながら演奏を観た記憶も残っています。生まれたのは1989年なので、Linkin Parkの「Meteora」(2003年)やマリリン・マンソンの「The Golden Age of Grotesque」(2003年)、Slipknotの「Vol. 3: (The Subliminal Verses)」(2005年)などがリリースされた頃は、いわゆる“中二病”真っ只中(笑)。そのあたりの音楽を夢中になって掘っていた頃、iPodのCMソングとしてテレビから流れてきた「Vertigo」が、U2との最初の出会いでした。ギターをやっていたのもあって、あのギターリフに衝撃を受けたんです。

西寺 「Vertigo」は僕も大好きでしたね。ちょっとThe Supremesっぽい、モータウン的なメロディがものすごくキャッチーだし。実はアルバム「Pop」がリリースされた1997年あたりはもう自分もバンドでデビューしていたし、聴く音楽のモードもだいぶ変化したのでU2を熱心に聴く機会も減ってしまったのですが「Vertigo」を聴いたときには改めて「さすがだなあ」と。熟練して枯れていくだけでなく、あんなにフレッシュなヒットシングルを生み出しバンドストーリーを更新していくなんて。

──西寺さんが、最も夢中になってU2を聴いていたのはいつ頃ですか?

西寺 高校3年から大学生の頃に「Achtung Baby」(1991年)と、「Zooropa」(1993年)というアルバムがリリースされて。この2枚は大好きでしたね。大ヒットした「The Joshua Tree」(1987年)も聴いてはいたのですが、自分はどちらかというとダンサブルで明るいムードを持っている音楽のほうが好きだったし、あのアルバムがグラミー賞を獲ったときの対抗馬がマイケルの「Bad」(1987年)だったんですよ。僕はマイケルを応援していたから、「U2にグラミーを盗られた」みたいな(笑)。

──逆恨みのような気持ちもあったわけですね(笑)。

西寺 U2が悪いわけではないのに(笑)。と言いつつ、コロナ禍の直前に日本でも開催された「ヨシュア・トゥリー・ツアー2019」は最前のほうで体感できて「やっぱりいいな」と再認識したんですけど(笑)。80年代のモノトーンのイメージを経て、90年代に突入した「Achtung Baby」では一転、16ビートを導入してサウンド的にもメカニカルでカラフルな世界観にシフトするじゃないですか。それで一気に親近感が湧いたんです。続く「Zooropa」のミニマムなサウンドもよかったし、しかもその前年には「Zoo TVツアー」で来日したのもあって、当時は本当によく聴いていましたね。

安藤 僕は「Vertigo」が収録されている「How To Dismantle An Atomic Bomb」(2004年)を聴いたことがきっかけで、そこから過去作を掘っていきました。1つ前のアルバム「All That You Can't Leave Behind」(2000年)も好きですし、それこそ「The Joshua Tree」も大好きでしたね。聴けば聴くほど、「これもいい!」「これも好き!」とどんどん夢中になっていきました。

左から西寺郷太(NONA REEVES)、安藤康平(MELRAW)。

左から西寺郷太(NONA REEVES)、安藤康平(MELRAW)。

新宿駅にU2

──ところで西寺さんは、U2のメンバーに遭遇したことがあるんですよね。

西寺 そうなんですよ。この話はもう何度もしたことがあるのですが、大学2年生だった1993年の12月に新宿駅の山手線ホームを降りたらそこにU2のメンバーがいて。

安藤 えー! 本当ですか?(笑)

西寺 U2の「Zoo TV ツアー」に同行していた写真家のアントン・コービンとメンバーが、駅で撮影をしている真っ最中だったんです。平日の昼間だったからなのか、そこにいるほとんどの日本人がU2だと気付いてなくて。僕もしばらく遠巻きに見ていたんですけど、撮影の合間のちょっと暇そうにしていたタイミングを見計らい、思い切って4人全員に声をかけたんです。ちょうどそのとき、当時愛用していたDATウォークマンでU2の「Achtung Baby」を聴きながら歩いていたので「今まさに聴いてたんです!」と、そのことをボノに力説したのを覚えていますね(笑)。当時はスマホもSNSも当然ないから、一緒に写真も撮れなかったし「新宿駅にU2」とかツイートすることもできなかったんですけど(笑)。

西寺郷太(NONA REEVES)

西寺郷太(NONA REEVES)

──(笑)。でも、そのときの様子が書籍で紹介されていたそうですね。

西寺 そうなんです。ずっとあとになって10年ほど前にU2のマニアの方に教えてもらったのですが、ビル・フラナガンというジャーナリストが1996年に出版したU2の伝記「U2 at the End of the World」の中に、「東京でU2の撮影をしているとき、1人の若者が『ちょうど今、U2を聴いていたところなんです!』と話しかけてきて、自分が持っているウォークマンのヘッドフォンをボノの耳にねじ込んで『Even Better Than The Real Thing』を聴かせた」と書いてあって(笑)。

一同 (笑)。

西寺 「それ、20歳になったばっかりの俺やん」と(笑)。さすがにボノの耳にヘッドフォンをねじ込んだ記憶はないんですけど(笑)。

安藤 でも、すごいエピソードですよね。メンバーはどんな印象でした?

西寺 ボノは僕とそれほど変わらない背丈だったんですけど、胸板がものすごく厚くて樽みたいだったのを覚えてますね。ほかの3人も優しかったし、撮影の合間もナチュラルに仲がよさそうでした。

リズムに対する考え方が全員一致してる

──1980年のデビューから40年以上経つ今もなおシーンの最前線を走り続けるU2ですが、お二人はその魅力をどんなところに感じますか?

安藤 最初に話したように、10代の頃はギター小僧だったこともあって、楽器的に派手な洋楽が好きだったんです。U2の音楽はそれとは対照的というか、好きになるまでにけっこう時間がかかるタイプの音楽ですが、実はコード進行はシンプルで誰もがグッとくるような定番の動き方のものが多いんです。そんなに難しいことはしていないのに、そこに乗っているメロディはものすごく凝っているし、アイルランドの情景を思わせる美しさもある。そこが日本人の耳にも合うのかなと思ったり。勝手に懐かしい気持ちにもなるのかなと。

安藤康平(MELRAW)

安藤康平(MELRAW)

西寺 僕も安藤さんと同じく「曲のよさ」がまずあると思っています。楽曲もボノのボーカルもバンドのアレンジも毎回素晴らしく、そのうえでリズムに対する考え方が全員一致しているところに魅力を感じるんですよ。ダンサブルな1990年代のアルバム「Achtung Baby」にしても、今回のアコースティックな最新作「Songs Of Surrender」にしても、メンバー全員が“バンド”というものを全体像で捉えているところに共通点を感じます。大抵のバンドマンってドラマーはやはりドラムを軸にした世界観で、ギタリストはギターを中心に注意を払っていることが多いし、それが当たり前なんですけど、U2は全員がスター性を持ちながらも協力し合い、いい意味でエゴを溶かしてバンドに貢献しようとしているじゃないですか。

──なるほど、確かにそうですね。

西寺 デビュー当時の彼らは別に、めちゃくちゃ演奏がうまい“バカテク”のバンドというわけでは決してなかったはずです。精鋭が集まったわけでもなんでもないし、「With Or Without You」(「The Joshua Tree」の収録曲)のベースラインなんて、ただルートを8ビートで弾いているだけなので、初心者が最初にコピーする曲だったりして(笑)。そもそも高校の掲示板にドラムのラリーが貼った「メンバー募集」のチラシがきっかけで生まれたバンドですからね。見た目も最初の頃は素朴な感じじゃないですか。ギラギラに着飾っていたニューロマンティックの人たちとは全然違う。でも、本質的なことをやり続けた結果、一番クールに時代を切り抜けたという。それはブライアン・イーノをはじめ、音楽界有数のおしゃれかつ才気あふれる人たちが、U2という存在をスタイリングしてきたし、そういう天才たちを選び柔軟に受け入れる度量があったからだと思うのですが。4人にとって本当に大切なもの以外は周囲の意見や時代のムードも取り入れるというか。