夏と彗星|生活に溶け込むことを根ざしたソロプロジェクトへの思い

夏代孝明によるソロプロジェクト・夏と彗星が初のCD作品「MONSTERS」をリリースした。

音楽にとどまらないプロジェクトとして、昨年夏に始動した夏と彗星。YouTubeに「juice」や「City」などの楽曲を発表し、シティポップにも通じる洒脱な音楽性やクールなテイストのイラストレーションでも注目を集めてきた。初のパッケージ作品となる「MONSTERS」にはこれらの楽曲を含めた全6曲が収録される。

今回のインタビューでは、作品やプロジェクトに込めた思いだけでなく、新型コロナウイルスの感染拡大によって日常が大きく変わる中で芽生えたアーティストとしての価値観の変化などについても語ってもらった。

取材・文 / 柴那典

本当に自分がやりたい音楽ってなんだろう?

──新型コロナウイルスの感染拡大でいろんな状況が変わってきていると思いますが、まず、夏代さんは今どんなことを感じていますか。

僕自身も当事者ですけれど、これはもう人類共通の問題になっていますよね。世の中の大きな流れとして、みんなが慌ただしく対応に追われている。言ってしまえばこの事態って、歴史の教科書に載るレベルの話じゃないですか。正直、自分が生きている間にこういうことに直面する機会があるとは思ってませんでした。しかも、そういうタイミングに、自分の作品のリリースがぶつかってしまっている。その意味でも、改めて音楽のあり方を考える期間になったと思います。

──音楽のあり方を考えたというのは?

CDショップでCDを買うという行為も難しくなっていて、できなくなった施策はいくつかありますし、それに対しては悔しい気持ちはもちろんあります。でも、やっぱり僕が音楽を続けていく中で何よりも大事にしていきたいと思っているのは、誰かの笑顔につながる音楽、誰かの日常を豊かにできる音楽をやっていきたいということなんです。なので、最優先すべきは皆さんの安全ですし、落ち着いて考えれば、自分のことは折り合いがつく。あとは、このコロナウイルスの影響から改めて気付くこともたくさんありましたし、音楽の届け方というのはただ単純にCDを作ってリリースするだけじゃないということも感じました。

──「誰かの笑顔につながる音楽、誰かの日常を豊かにできる音楽をやっていきたい」というのは、今回、夏と彗星のプロジェクトを立ち上げる前からずっと思ってたことでしょうか?

それは名義に関わらず一貫して思ってることです。夏代孝明と夏と彗星では音楽的な方向性の違いはあるんですけど、人に寄り添う音楽をやっていきたいという信念の部分は、どちらも自分の中の根本的な部分としてあります。

──では、どういう理由で夏と彗星というプロジェクトを始めたんでしょうか?

自分自身の中で新しい一歩を踏み出したくなったのが大きいです。夏代孝明はたくさんの方に愛していただいて、僕自身もそれに最大限応えていきたいという気持ちで取り組んできたんですけど、その一方で「今の自分がやりたい音楽ってなんだろう?」と思うようになった。今の自分が本当に届けたい音楽を追求するべく、夏と彗星という名義を作りました。

──ということは、この先、夏代孝明と夏と彗星という2つの名義での活動を同時に進めていくということでしょうか?

そうですね。夏代孝明を辞めて夏と彗星を始めるというのではないです。夏代孝明としてやりたいことと、夏と彗星としてやりたいことが自分の中に生まれたので、その2つがぐちゃぐちゃになってしまうより、両方を突き詰めたい。そういう思いで夏と彗星という名義を作りました。

──いつ頃からそう考えるようになったんでしょうか?

僕自身、一番長く身を置いていたのが、ニコニコ動画の“歌ってみた”やVocaloidの世界だったんですね。そこで影響を受けながらアウトプットしてきたんですけれど、視野を広げれば、いろんな音楽が世の中にあるわけじゃないですか。海外ではトラップミュージックが流行ってるし、K-POPという文化もあるし、日本にはJ-ROCKというジャンルがある。その中で自分自身が好きなもの、やりたいものもどんどん広がっていったんです。そうなったときに夏代孝明として聴いてもらいたい音楽の中にそれがあると、ちょっとした違和感というか、自分の中でスッキリしないものがあったんですよね。なので、別の名義を作ろうと思ったんです。

──今まで発表されたミュージックビデオを観ると、音楽だけじゃなくアートワークや映像も含めたトータルのコンセプトのプロジェクトという印象もありますが、そのあたりはどうでしょうか。

夏代孝明のときは僕のパーソナリティや僕自身のメッセージ性を強く前に押し出していたんですけれど、夏と彗星に関してはその必要はあまり感じていなくて。より生活に溶け込むようなものにしたかったんですよね。なのでビジュアルの部分でも、僕自身が一歩後ろに下がっている形にしています。

J-POPやK-POPを掘り下げる中で生まれた夏と彗星サウンド

──「City」や「juice」を聴くと、いわゆるシティポップのテイストを感じます。このあたりのサウンドが夏と彗星の音楽性と合うと思ったのは?

なんだかんだで、僕が一番好きなのは日本のJ-POPなんですよ。その一方で、僕はK-POPもめちゃくちゃ好きなんですけど、K-POPの魅力って韓国語にあると思うんですね。韓国語の子音の強さや譜割りの複雑さがうまく絡み合うことで、面白い音楽になっている。そういうことを考えると、逆に言うとJ-POPの歌詞のよさに目が行きにくくなっていたんじゃないかと思ったんです。慣れてしまっているから新鮮味を感じなくなってしまっているかもしれないけれど、日本語で歌うからのよさもあるはずで。そういうことを考えて、改めてJ-POPの歴史をさかのぼって、自分が好きだと思ったものを探していったんです。そこからシティポップを深く聴いて、その中で自分に響くものを拾っていって、「City」という楽曲を書いた感じです。

「City」ミュージックビデオのワンシーン。

──単にシティポップのリバイバルが流行っているからということじゃなく、K-POPで韓国語の面白さに気付いて、そこから改めてJ-POPの歴史をさかのぼって作ったんですね。

ええ。音楽って、常に今までの偉人たちの血を受け継ぎながら新しいものを発信していくものですよね。そういう意味で、自分が影響を受けたものをどう混ぜていくかは僕自身も課題にしていて。夏代孝明のときは、いわゆる“歌ってみた”やVocaloid界隈にいた自分、そこで好きなものやそこで輝いていた自分を突き詰めていたと思うんです。でも僕自身、高校時代から東方神起さんもめちゃくちゃ好きで。一方でMr.Childrenさん、BUMP OF CHICKENさん、RADWIMPSさんも好きだし、父親の趣味で車の中で聴いていた音楽もたくさんあった。そういう中で自分が好きなものを改めて聴き返したり、分析したり、そういうことをいろいろやってできたのが夏と彗星の曲ですね。

──ちなみに、この間Dareharuさんの「Karma」という曲を日本語でカバーされていましたよね。そういう動きを見ても、韓国のポップカルチャーにアンテナを張ってらっしゃるんだなと思いました。

「Karma」を聴いたとき、めちゃくちゃ感動したんですよ。Dareharuさんって、今の日本のカルチャーを研究されてるんですよね。だからすごく親近感があって。今の日本のネットカルチャーに深く影響を受けながら、でもメロディや譜割りは韓国語をもとにしている。だから韓国語で歌う意味も感じる。僕自身、韓国語の理解度はそれほど深くありませんが、妹が韓国語を話せるので、いろいろ聞きながら意訳して日本語に落とし込んで歌いました。夏と彗星の活動も、言ってしまえば海外の音楽に影響を受けた楽曲を日本語で歌っているわけなので、そういう意味でも親近感はありました。

──夏と彗星名義で最初に発表したのは「juice」ですが、出来上がったときにどういう手応えがありましたか?

実は、その以前からいろいろ曲を書いていたので、結果として「juice」が最初に世の中に発表された感じです。夏と彗星という別の名義のソロプロジェクトを始めるにあたって、変化をしっかり感じてほしかったんですよね。自分の中では大きく分けているつもりでも、聴いてくださる方が変化のないものと感じてしまったら、僕の思いがうまく伝えられない。そういうことを考えてリリースする順番を決めました。曲調だけじゃなく、今まで夏代孝明としては高い音域でメロディを歌っていたことが多いんですけれど、特に「juice」ではずっと低いところに留まるメロディなんです。そういういろんな挑戦のある2曲を最初に聴いていただいて、そこから始めていこうと思っていました。