リアルとバーチャルを行き来する“パラレルシンガー”七海うららが、3rdシングル「Seventh Heaven」をリリースした。
七海は2020年よりYouTubeやTikTokで動画投稿を開始し、2022年夏に投稿したショート動画がきっかけで一躍話題に。今年5月にはメジャーデビューを果たし、同月より3カ月連続のシングルリリースを展開している。
音楽ナタリー初登場となる本特集では、8月4日に東京・Spotify O-WESTで開催されるワンマンライブを前に、インタビューを通して彼女のバイオグラフィを紐解き、“パラレルシンガー”の意味に迫っていく。
取材・文 / 森山ド・ロインタビュー撮影 / 竹中圭樹(ARTIST PHOTO STUDIO)
“七海うらら”になるまで
──まずは音楽の原体験から教えていただけますか?
幼い頃「マクロス」を観たときに“歌で世界を変えていく”というコンセプトに衝撃を受けて。自分も同じことをやってみたいという憧れから、軽音部に入るために学校を選びました。学校のホームページを見たり、オープンキャンパスに行って実際に軽音部のライブを観たり。
──いい感じの学校は見つかりましたか?
はい! たくさんの仲間に出会えて、楽しく音楽をやることができました。
──軽音部ではやっぱりボーカルを担当したんですかね?
基本的にはギターボーカルをやっていて、ほかにもいろんな楽器をやりました。キーボードボーカルのときもありましたね。
──部活に入る前にも楽器の演奏経験はあったんでしょうか?
ピアノを習ってた時期はあるんですけど、それ以外はギターのコード弾きぐらいしかやったことなかったです。
──部活ではどんな曲をやっていましたか?
邦楽も洋楽も幅広くカバーしてました。バンドメンバーとオリジナル曲を作ったこともあります。ネットシーンの音楽にも、その頃からずっと触れてきているかな。
──その経験は今の活動に直結していそうですね。学校を卒業したのち、一度はOLになったそうですが、そこから再び音楽をやろうと思ったきっかけはなんだったんですか?
軽音部に入ってはいたけど「バンドで食べていくぞ」とはまったく思っていなくて、現実的な進路を見ていました。大学を卒業して、会社員になって、普通の生活をしている中で、癌の宣告を受けたんです。それでいつまで生きていられるかわからないなと強く思って。好きなことをやらずに死んでいくのは本当にもったいないなと考えるようになりました。ちょうどコロナ禍だったので、みんなやりたいことを満足にできず、もどかしい時期だったじゃないですか。そういう状況も相まって、今自分ができることを探そうと思って行動に移しました。
──会社員と音楽の両立は大変そうですね。
2022年の3月末で辞めたので、本当に七海うららとして活動を始める直前まで続けてました。最初は売れたいとか、誰かに推されたいとかいう気持ちはなく、ただ歌いたいだけでした。ちょうどコロナ禍に入った頃、弾き語り動画をTikTokにアップし始めたら、ちょっとずつコメントしてくださる方が増えていきました。その中の1人がイラストレーターだったんです。私の動画にイラストを描き下ろしてミュージックビデオのようにしてくれて。それからその子とは相方として、今もずっと活動しています。
──運命の出会いですね。その後の活動はどのように発展していったんですか?
最初は個人でマイペースにやっていこうと思っていたんですけど、結局はたくさんの人に見てもらえないと大きくなれないなと気付いて。自分が大好きな音楽を仕事にできるようにがんばってみようと思って「こはならむ『迷えるヒツジ』楽曲カバー選手権」(2021年に開催されたエイベックス主催のオーディション)に参加しました。今から夢を追っても遅くないよね、という気持ちでした(笑)。
──それでグランプリを受賞して急速に認知度が上がったと思うんですけど、それに伴うプレッシャーや心境の変化はありましたか?
プレッシャーよりも「チャンスだ」という思いのほうが大きかったです。TikTokでバズったりしたのもうれしい誤算でしたね。応援してくださるファンの方たちのことも、この頃からちゃんと認識できるようになって。グッズを買ってくれたり、ライブを観てくれたり、そういう熱量を持っているファンの方たちに出会える機会が増えました。そうなってくると自己満足じゃ終われないというか、ファンの皆さんに対して何かを与えられるようになりたいなと思うようになりましたね。
──七海さんの代名詞でもある「パラレルシンガー」という言葉は、どのように生まれたんでしょうか?
当時の私は「現実とバーチャルを行き来するシンガー」って名乗っていたんですけど、なんかしっくりきてなくて。もっといい表現を探してるときに「パラレル」というワードが目に入って「これだ!」と思いました。
闘病生活とダイヤモンド
──現在は3カ月連続リリースの真っ只中ですが、その1作目「ダイヤノカガヤキ」はどのように制作されましたか?
曲を作ってくれた夏代(孝明)さんと初めて打ち合わせしたとき、この曲では自分の人生を表現したいというお話をさせていただきました。自分で仮の歌詞を書かせていただいて、ダイヤモンドをモチーフにして、それと自分の人生を重ね合わせたいと。七海うららのデビューシングルだったので、デビューにふさわしいような疾走感やさわやかさ、あとは青色や水色みたいな色味も表現したいなと思いました。
──夏代さんとのやり取りで、印象的だったエピソードは?
夏代さんはレコーディングにも立ち会ってくれて「最高っすね!」と喜んでくれました(笑)。「自分が作った楽曲に魂が入っていく過程を見ているようだ」と言ってくださって、それがすごくうれしかったですね。
──確かに、この曲には強い魂が感じられますね。
ダイヤモンドってカットされると輝きを増すじゃないですか。夏代さんがそういったダイヤモンドの性質と私の闘病生活を重ね合わせて“欠けた体でも自分らしく輝ける”というメッセージを歌詞に含んでくださったことが、すごくうれしかったです。最初と最後で歌っているのは同じフレーズ(「簡単なことだったんだ僕らずっと」)なんですけど、別の意味合いで聞こえてくるところがポイントですね。
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激辛なのに甘さもある