ナオト・インティライミ、デビュー10周年!|10の質問で迫るオマットゥリ男のあれこれ

ナオト・インティライミは2010年にメジャーデビューシングル「カーニバる?」を発表し、2020年に10周年を迎えた。昨年はこれを記念した企画「10周年!アニバーサリーおまっとぅりYEAR」を開催する予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大を受け2021年に“まるっと”延期に。その1年後、ナオトは2021年4月にベストアルバム「The Best -10th Anniversary-」の発売や毎年7月10日の“ナオトの日”恒例ワンマンライブ「ナオトの日 スペシャルLIVE 2021 ~じゅっしゅぅ、じゅっしゅぅ、10周年!! あなたが思うよりおまっトゥリです!!~」、そして7月には全国ツアー「ナオト・インティライミ 10TH ANNIVERSARY LIVE TOUR 2021」の開催をアナウンスし、およそ1年間にわたる企画を行っている。

音楽ナタリーではそんな「おまっとぅりYEAR」を盛り上げるべく、ナオトおなじみのキーワードを中心とした10の質問で、これまでの活動を振り返るインタビューを実施した。この特集が“ファン・インティライミ”への入り口となれたら幸いだ。

取材・文 / 高橋拓也撮影 / 斎藤大嗣

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ナオト・インティライミ
中村直人がナオト・インティライミになった日

──今では“インティライミ”という名前も定着しましたが、「ナオト・インティライミ」という名義はナオトさんが2004年にボリビアのウユニ塩湖を訪れた際、そこで見た日の出に感動したことから誕生したんですよね。

あの頃1回目のデビューに失敗しちゃって、2回目のデビュー前に世界旅行をしたんだよね。同じ失敗をしないよう、まず自分をパワーアップさせて、胸を張って再デビューできるよう世界一周の旅に出たんです。その旅をしているとき、どんな名義にしようかずっと考えていたんだけど、ウユニ塩湖で見た太陽にもう圧倒されて。

──当時の心情は旅日記をまとめた書籍「世界よ踊れ ~歌って蹴って!28ヶ国珍遊日記~」に克明に書き残されていますが、これまでコラム調だった文体がひと言ひと言、状況を説明するようなスタイルに変わってしまうほどの衝撃だったようで。

涙が出たし、その存在に憧れて「俺も太陽になりたい」と思ったよね。燦々と光るだけじゃなくて、日が昇るときの期待感や沈むときの物寂しい感じ、それらを全部ひっくるめて「こんな存在になりたい」「そんな音楽を作っていきたい」と強く感じました。それで現地の人に太陽のことをなんと呼ぶか聞いてみたら「インティ」だと教えてくれて。それと一緒に「インティライミって知ってるか? 『太陽のお祭り』というインカの祭事があるんだ」って聞いたとき、「『インティ』で太陽、『ライミ』でお祭り……なんかカッコいいね」みたいな感じで、すごくしっくり来たんだね。お祭りもウェーイ!ってはしゃぐだけじゃなく、1年かけて村のみんなと準備したことによる高揚感、終わったあとの喪失感があって、それは自分が生きるうえでのモットーと合致していたんだ。

ナオト・インティライミ

──「インティ」と「ライミ」、どちらもナオトさんの求める姿勢を表すようなワードだった。

それが一緒にくっついてて、しかも「インティライミ」というおしゃれな言葉が存在しちゃうんだから。「ひょっとしてこれを求めていたのでは?」と思って、自分の名前と組み合わせてみた瞬間、「ナオト・インティライミ、ナオト・インティライミ!」ってお客さんがコールする景色が見えたわけ。そのあと、ある村を訪れたんだけど……。

──ペルーのヤパテラですね。

そうそう! 村を訪れたあとラジオ番組に出演させてもらう機会があって、そこでの自己紹介から「ナオト・インティライミ」という名義を使い始めたはず。

──「世界よ踊れ」では、ヤパテラの子供たちが「ナオト・インティライミ」コールをしている場面もありましたね。

懐かしいなあ。そして旅を終えて、日本でも2回目のデビューのときからこの名義を使うようになったんだね。

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3回のデビュー
苦労人ナオト、鳴かず飛ばずだった9年

──冒頭でも少し話題に挙がりましたが、ナオトさんは2001年になおと名義、2005年にNAOTO INTI RAYMI名義、2010年にナオト・インティライミ名義で計3回デビューしました。この期間だけでも9年かかっていて、相当苦労されたようで。

あの頃はいろいろあったね。さっきの名義に関することと関連するんだけど、2005年に名前を変えようとしたとき、「名前が長すぎる」「『インティ』が発音しづらい」と当時のスタッフ全員に反対されちゃって。でも旅の途中でナオト・インティライミと名乗り始めちゃったわけだから、なんとか押し通してこの名義にしてもらいました。それでもなかなか売れなくて、3回目のデビューで今のレーベルと事務所に移籍したんだけど、そこでもナオト・インティライミという名義はどうなのか……って言われて、もう大揉めしちゃって。でも、これは僕の信条でもあるわけだから、絶対に譲れない。なんとか守れたけど、今思えばこの名前でホントによかったよ。

──もしかするとナオト・インティライミという名前が存在しなかった可能性もあったんですね……。今でこそインティライミ=ナオトさん、とすぐに思い浮かべられるほどになりましたが。

あとは本名の苗字が地味だったことも大きかったかも。例えば「井小路」とかすごく珍しい苗字だったらそのまま使ってたかもしれないけど、中村だとちょっとパンチがないよね、みたいなマインドはあった。

──3回目のデビューまでの期間、特につらかったことは?

ナオト・インティライミ

1回目のデビューのときは、テレビとかバンバン出て、キャーキャー言われて、さぞかしすぐスターになれると思っていたんだよね。だけどデビューしても無風状態、何も起こらない状況。周りの人はみんな「おめでとう!」って歓迎してくれたけど、テレビは出てないし売れてもいないから、だんだん恥ずかしくなって、デビューしたと言えなくなってしまって。自分の思い描いていたイメージとは違ったんだね。「やってやろう!」という負けないパッションもパチンと切れちゃって、その頃が一番キツかったかもしれないな。いろいろ落ち込むような出来事も続いたし、8カ月くらい引きこもっちゃって。1人部屋で膝を抱えてたよ。

──ああ……。

もう当時の記憶がないくらいつらかったね。「音楽の才能がないのかも」「もう辞めたほうがいいんじゃないか」と思って、週1スーパーで買い物して、レトルト食品を食べるだけ、みたいな生活を続けていた気がする。「俺マジでビッグになるから! 見とけよ!」とか言いふらしちゃったものだから、親だけじゃなく仲間にも恥ずかしくて会えなくなっちゃったんだよ。「お前売れてねえじゃん」って言われるのが怖くて、電話にも出られなかったし。でも、今思えばあの逆境はものすごく大きかった。あれを知らずにトントン拍子に事が進んでいたら、絶対このタフネスはなかっただろうから。そのあと1年半世界を旅したことで相当精神的に強くなれたし、そういう意味では一番大事な時期だったのかもしれない。

──その分、3回目のデビュー曲となった「カーニバる?」が人気を呼び、必ずライブで披露されるような代表曲となったのはうれしかったのではないでしょうか?

実は「カーニバる?」って、当時はあんまり売れなかったんだよ。その次にリリースした「タカラモノ~この声がなくなるまで~」からチャートの上位に入るようになって、徐々に反響が生まれたって感じ。その現象は苦労した期間が長かった分、すごくうれしかったね。

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アポロ・シアターでの興奮を追い求めて

──ナオトさんが初めて旅をしたのが1999年。大学2年生の頃、友人と一緒に海外旅行をしたそうですね。

ということは20歳の頃か!

──その後も2003、2004年に行った世界一周旅行、2017年の半年間にわたる海外旅行など、ナオトさんは何度も旅に出るようになりました。ここまで旅に惹かれたのはなぜだったんでしょう?

あんまり意識したことなかったな。ホントにそうだよね(笑)。海外に対する憧れは大きかったけど、明確に踏み込むきっかけはなかったかも。初の海外旅行のときはとにかくエネルギーとパッションは有り余ってたから、アメリカに行って何か衝撃を食らいたい!って思いはあって。それで「何か起こんないかなー」みたいな気持ちでアポロ・シアターに行ったんだけど、ホントに起こっちゃったの。

──ステージに上げられて、大勢の観客の前でパフォーマンスを行ったエピソードですね。

確か初めて訪れたのがニューヨークで、到着して2、3日後に行ったんじゃなかったかな。アポロ・シアターはハーレム(マンハッタン区内の黒人居住地区)という場所にあって、けっこう物騒だと聞いていたんです。でもマイケル・ジャクソンやジェームス・ブラウンが活躍した劇場だから、すごく行ってみたかった。そうしたらちょうど「アマチュアナイト」という恒例イベントが行われていたんだね。客席で騒いでいたらMCの人が「お前面白いから上がってこい」って誘ってくれて、すぐインタビューを受けて。

──躊躇なく出演したのもすごいですね(笑)。

もう怖いもの知らずだったから(笑)。それで10人ぐらいのダンスバトルが行われて、俺は8番目ぐらいだったのかな。ほかの出演者は本格的にダンスを習っている人もいれば、恥ずかしそうにやっている人もいて、とにかくいろんな方々がいて。ただ踊るだけじゃつまんないから歌っちゃおうと思って、MCの人に「Pass me the mic!」ってマイクを借りて、即興で歌ったのね。ボイスパーカッションでバックバンドの人たちとセッションして、コールアンドレスポンスをやっていくうち、「これ自分のライブ?」とか錯覚しちゃうぐらいお客さんが盛り上がってくれて。振り返ってみると、あのときの体験が大きかったのかもしれないな。

ナオト・インティライミ

──そのパフォーマンスの成功が、のちに旅人となるきっかけに。

初の海外旅行でそんな体験をしたもんだから、「もっと世界中で歌いたい!」と思えたんだよね。もしかするとその体験を今でも追い求め続けているのかもしれない。

──現在は新型コロナウイルスの流行で旅は難しい状況ですが、これから行ってみたい国はありますか?

今まで旅人としていろんな国を回ってきたし、これからもちょこちょこ旅はするかもしれないけど、今は世界に向けた音楽活動に時間を割きたいですね。もちろんアップデートしながらだけど、何十年もかけて蓄えてきたインプットをどう表現していくかが重要になるんじゃないかな。今後は活動の拠点となるマイアミ、メキシコ、ロサンゼルスに通うことになりそうです。