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サッカー
サッカーをやっていなかったら、
今ここにいなかったかもしれない
──書籍「世界よ踊れ」やドキュメンタリー映画「旅歌ダイアリー」では、ナオトさんが旅先でサッカーをする場面が多く見られました。サッカーは小学生の頃から練習してきただけでなく、数々のプロ選手との交流もあり、思い入れは深そうですね。
サッカーの恩恵は相当でかいよね。どこでも気軽にできるスポーツだし、プレイヤーの人口もすごく多いから、旅先でのコミュニケーションにも役立ちました。野球だと「ちょっと入れて!」と言ってもなかなか難しいけど、サッカーだとすぐに入れてもらえるからね。あとはもともとプロを目指していたから、ある程度テクニックが身に付いていたのも大きかった。どの国でも喜ばれたよ。
──過去には柏レイソルのジュニアユースにも所属していましたからね。その腕前が世界でのコミュニケーションにも生きたと。
これがそこそこの腕前だったら難しかったかもしれない。ある程度通用するスキルがあると「お前うまいな。明日も来てくれない?」みたいな感じで誘ってくれる。そういう需要があったし、相手がナオトをリスペクトしてくれるきっかけにもなったから、どんどん友達が作れたんだ。
──Mr.Childrenの桜井和寿さんとの出会いもサッカーがきっかけでしたし。
まさに、サッカーを通して桜井さんと出会えたことで、ミスチルのツアーにコーラスで参加できて、それが3回目のデビューにつながったからね。そう考えると、もしサッカーをやっていなかったら今ここにいなかったと思う。中田英寿さんやラモス瑠偉さんに出会えたのも、サッカーだけだったら逆に難しかっただろうし……やっぱり、僕にとっては切っても切り離せないものだよ。
──サッカーは今でもよくプレイしますか?
今はビーチサッカーを真剣にやっていますね。あまり国内では知られていないんだけど、数週間前にビーチサッカーのワールドカップが開催されて、そこで日本が準優勝、銀メダルを受賞したんですよ。もちろんブラジルやスペインとか、世界各国が参加している大会でね。このワールドカップで日本がメダルを獲得したのは初で、すごいことだよね。実はW杯のメンバーが数人所属しているチームの練習にときどき参加しているんです。いつか日の丸を背負って世界大会に出場する……という夢を叶えたいから、まだまだ現役の気持ちでがんばりたいね。
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俳優活動
演技も本気、うちのインティライミがすみませんでした
──ナオトさんは音楽活動以外に、これまでドラマや映画に俳優としても出演してきました。ドラマでは自殺を図ろうとする鬱の男、産休を取得する女性会社員に対して思わず愚痴をこぼしてしまう同僚など、普段の様子とは真逆な役柄が多いですよね。
うん、NOオマットゥリだね。
──そんな中でも存在感のある演技を披露していますが、俳優活動は以前からやってみたかった?
お芝居、すごく好きなんだよね。学生時代は行事で演劇が行われると毎回参加していたし、幼稚園のお遊戯会では「既存じゃなくオリジナルのものをやりたい」とか言い出しちゃって、自分で物語を考えて、キャスティングや演出も考えたし。それぐらい興味があったから、ずっと「役者仕事はやってみたい」と言っていましたね。ありがたいことに2015年に公開された映画「神様はバリにいる」に出演させてもらってから、どんどん役者仕事も増えました。
──テレビドラマは2012年放送の「主に泣いてます」が初出演?
そうだね。ドラマの主題歌に「ナイテタッテ」が使われたから出演したんだけど、ほぼセリフのないチョイ役だったから、本格的に演技をしたのは「神様はバリにいる」から。お芝居の勉強をして、何度も何度も稽古を重ねたね。そのあとに出演したドラマも出演時間は短いけど、役作りから何からしっかり稽古してから臨むようにしてる。音楽とはまた違う楽しさがあるし、これからもいろんな役に挑戦してみたいよ。
──「コウノドリ」では産後鬱に悩む女性の夫を演じましたが、数々の無神経な台詞が大きな話題を呼び、放送後には「#うちのインティライミ」というハッシュタグが自然発生し、多くの視聴者が夫の愚痴を書き込んでいました。妻の心情をなかなか理解できない、ある種ヒール役とも言えるようなキャラクターでしたが、あの反響はナオトさんご自身、どのように感じていたのでしょうか?
あれはホントにビックリした(笑)。純粋にうれしかったし、あそこまで話題になったのは、しっかり演じきれたという証明になったと思う。話題になったあと小栗旬くんと会ったとき、「すごかったね、うちのインティライミ」「いい演技ができたからこそ、あそこまでバズったんだ」と言ってくれたんです。とってもありがたかったね。
6
ライブ
4万人のドームも、4人の公園も同じマインドでやってる
──ナオトさんは路上ライブで音楽活動を開始したこともあり、セットリストを用意しない「ナオトの日」ライブをはじめ、現在でもそのスタイルを生かしたパフォーマンスが特徴的です。
やっぱり路上で腕を磨いたのは大きかったな。例えば演奏を観てくれる女子高生に語りかけたり、絡んできた酔っ払いのおっちゃんをうまくいじったり、そういうことをやってきたからアドリブ力は自然と身に付いたよ。アマチュア時代から現在まで、ずっと叩き上げでやっているから、その時々でどう対応すればいいかはアップデートし続けていると思う。それに経験値を積み重ねてきただけじゃなく、いい感じに力を抜けるようになったから、すぐに引き出しから正解を探し出す余裕も生まれたし。
──昔はやはり緊張することが多かった?
ものすごく肩肘を張って空回りしてしまうことも何度かあったね。今ではドーム規模の会場で演奏することも多くなったけど、僕は4万人以上入る大阪ドームも、4人の前で演奏していたアメリカ村の三角公園もまったく同じ感覚でやってる。口笛を吹く曲で歓声が大きすぎたら、「待って待って! 俺の口笛聴こえないからもう1回やり直す!」みたいなことをいまだにドームでも言ったり(笑)。
──海外ではバーや劇場、野外イベントなどさまざまな会場で飛び入りライブを行ってきましたが、そのアグレッシブさもすごいですよね。たじろいでしまうことはあったのでしょうか?
アウェーな環境でのライブはけっこう好きで、いかにホームへと変えられるかをずっと続けてきたから、むしろ楽しんでるね。日本だと武道館とかドーム公演、フェスのときに同じような意識が生まれてくるかな。特にフェスって、同じ時間帯で何組も出演者が重なっているし、言ってしまえばトーナメントみたいなものだから。「とりあえず誘われたので行きました」じゃなく、毎回「負けたら終わり。リーグ戦じゃねえよ?」みたいな気持ちでやっているよ。通りすがりの人たちを振り向かせるための努力は惜しまないし、もしかするとフェスをきっかけに、ティライミに興味を持ってくれる人がいるかもしれないからね。