「中島みゆき 劇場版 夜会の軌跡 1989~2002」が12月8日より東京・新宿ピカデリー、丸の内ピカデリーほか全国の映画館で公開される。1989年にスタートした「夜会」は中島みゆきが原作、脚本、作詞作曲、演出、主演を務める舞台。これまでに第20回まで上演されており、各公演はDVD / Blu-ray化されている。「夜会の軌跡 1989~2002」は第1回から第12回までの歌唱シーンで構成された作品で、今回の劇場版公開にあたり中島みゆきのプロデューサーを務める瀬尾一三によるインタビュー映像が撮り下ろされた。
音楽ナタリーでは、大の中島みゆき / 「夜会」のファンである古市憲寿に2度目のインタビュー(参考:古市憲寿が語る「中島みゆき『夜会工場VOL.2』劇場版」)。今回も知見たっぷりに「夜会」の見どころを語ってもらった。
取材・文 / 丸澤嘉明撮影 / 山崎玲士
「中島みゆき 劇場版 夜会の軌跡 1989~2002」予告編
- 二隻(そう)の舟(「95年『夜会展』」より)
- ふたりは(「夜会 1990」より)
- キツネ狩りの歌~わかれうた~ひとり上手<メドレー>(夜会 VOL.3「KAN(邯鄲)TAN」より)
- 砂の船(夜会 VOL.4「金環蝕」より)
- まつりばやし(夜会 VOL.5「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に」より)
- 黄砂に吹かれて~思い出させてあげる<メドレー>(夜会 VOL.6「シャングリラ」より)
- 紅い河(夜会 VOL.7「2/2」より)
- あなたの言葉がわからない(夜会 VOL.8「問う女」より)
- 白菊(夜会 VOL.10「海嘯」より)
- ツンドラ・バード~陽紡ぎ唄~朱色の花を抱きしめて<メドレー>(夜会 VOL.11「ウィンター・ガーデン」より)
- 六花(夜会 VOL.11「ウィンター・ガーデン」より)
- 街路樹(夜会 VOL.12「ウィンター・ガーデン」より)
- 氷脈(夜会 VOL.12「ウィンター・ガーデン」より)
- 記憶(夜会 VOL.12「ウィンター・ガーデン」より)
「夜会」のコンセプトは歌の解釈の多様性
──以前「中島みゆき『夜会工場VOL.2』劇場版」の特集でも「夜会」についてかなり詳しく紹介していただきましたが、このたび劇場公開される「夜会の軌跡 1989~2002」のDVDも、もともとお持ちだそうで。
そうなんですよ。高校生の頃に買って、何度も観ていた記憶があります。
──「夜会」は「夜会1990」から「夜会 VOL.20『リトル・トーキョー』」まで、一部を除いて映像作品化されていますが、ほかの作品もお持ちなんですか?
はい、持っています。今でこそ中島みゆきさんが歌う姿ってYouTubeにも上がっていますけど、当時はそういうものがなかったので、ライブ的なものを観たいと思って「夜会」のDVDを買い集めていました。
──今回の取材のために改めて「夜会の軌跡 1989~2002」をご覧になっていかがでした?
もともと「夜会」は“言葉の実験劇場”を謳っていて、歌は聴くシチュエーションで多様な解釈ができるというコンセプトのもと始まったと思うんですけど、その試行錯誤というか、挑戦の過程が、1本を通してみると非常にわかりやすかったです。「夜会の軌跡」というタイトルがぴったりですね。もしくは「みゆきの挑戦」でもいいかもしれません。実は「プロジェクトX~挑戦者たち~」のようにドキュメンタリー的にも観られる作品だと思いました。特に「夜会」のテーマソングでもある1曲目の「二隻(そう)の舟」は、さまざまな「夜会」での歌唱シーンで構成されています。同じ歌が希望として響くこともあれば、悲しく絶望的に聴こえることもある。男女を歌った曲にも、女性同士を歌った曲にも聴こえる。歌はいろいろな解釈ができるという「夜会」の初期のコンセプトを体現しているように思いました。
──古市さんは中島みゆきさんの楽曲の中でも特に「二隻(そう)の舟」が好きとおっしゃっていましたよね。
そうなんです。「二隻(そう)の舟」ですごく印象的なのは「時よ 最後に残してくれるなら 寂しさの分だけ 愚かさをください」という歌詞の部分。なかなか人って「愚かさをください」と言えないと思うんですよ。「最後」に残ってほしい感情に「愚かさ」を求めるって、よほどの覚悟と勇気がないと言えない。普通は「寂しさの分だけ 優しさをください」のような言葉を当てはめちゃうと思うんですけど、そこに「愚かさ」という言葉を持ってくる。そういう言葉を選べるのは中島みゆきさんならではだなって聴くたびに思いますね。
──1本を通して「夜会」の変遷を感じたということについて、もう少し教えていただけますか?
初期の「夜会」のテーマには女性の応援という意味合いがあったと思います。今回の「夜会の軌跡 1989~2002」には収録されていませんが、「夜会1990」から生まれた「Maybe」という曲があるんですが、働く女性への応援歌として、当時の社会の空気を感じられる1曲です。男女雇用機会均等法が施行され、女性はどんどん社会進出したけれど、まだまだ偏見や差別も多かった時代です。初期の映像とともに観る「二隻(そう)の舟」もそういう曲として聴こえました。でも同じ90年代でも後半になるにつれて、「夜会 VOL.11『ウィンター・ガーデン』」「夜会 VOL.12『ウィンター・ガーデン』」あたりから、生まれ変わりや転生にテーマが移っていく。「夜会の軌跡 1989~2002」の最後に流れる「記憶」がまさにそうですね。続く「夜会VOL.13『24時着 0時発』」から「夜会VOL.19『橋の下のアルカディア』」までは転生が1つのテーマになっているのですが、そのコンセプトがどう誕生したのかを振り返る意味でも興味深かったです。僕自身、「時代」や近年の「夜会」から「中島みゆき=夜会=転生」というイメージがあったのですが、初期の夜会はかなり違ったんだなという再発見がありました。
──1つの「夜会」だけをパッケージしたのではなく、第1回から第12回までのオムニバス的な作品だからこその魅力ですね。
「夜会」をまったく観たことがない人や、中島みゆきさんのことを名前くらいしか知らない人にも入門編として最適だと思います。「わかれうた」「ひとり上手」「黄砂に吹かれて」のような1970~80年代のヒット曲が入っているから、実はとっつきやすい作品ですよね。だけど「わかれうた」や「ひとり上手」を知っている人も本作を観るとびっくりするかもしれません。たぶん「思っていた中島みゆき」とは違う気がするんです。高校生の頃に「夜会の軌跡」のDVDを同級生と観たのですが、「みゆきさんってこんな人だったっけ?」と驚かれたのを覚えています(笑)。あとは僕が当時「夜会の軌跡」を買った理由の1つなんですけど、「夜会」は20作くらいDVDやBlu-rayが出ていて、興味を持ったときにどれを選べばいいか迷ってしまう。そういうときの1作目としても選びやすいですね。
──後追いで好きになったアーティストのベスト盤を買う感覚ですね。
まさに「夜会」のベスト盤とも言える作品だと思います。それに加えて「夜会」のオリジナル曲もあるから、CDやサブスクでしか聴かない人も満足できる。
──確かに「夜会 VOL.11『ウィンター・ガーデン』」「夜会 VOL.12『ウィンター・ガーデン』」は映像作品化されていないので、中島みゆきさんのファンの方でもこの2作の楽曲は知らないという人も多そうです。
ここでしか聴けないし、観られないんですよね。特に僕は先ほども挙げた「記憶」という曲が好きです。「もしも生まれる前を 総て覚えていたら ここにいない人を探し 辛いかもしれない」という歌詞にはハッとさせられました。この曲だけで「ウィンター・ガーデン」のストーリーを理解することはできないけど、「夜会の軌跡」という文脈の中に置かれることでいろいろな解釈ができます。1つの曲として独立して聴いても存在感があるので、個人的には「記憶」は音源としてリリースしてほしいですね。どのアルバムにも入ってないし、ましてやシングルにもなってないので。
「夜会」は時代を30年先取りしていた
──「あなたの言葉がわからない」についてもお伺いできればと思います。この曲は言葉が通じない人同士のコミュニケーションのあり方を問う曲だと思うんですが、古市さんは自身の小説「奈落」でもまさに家族間のディスコミュニケーションを描いていましたよね。
読んでいただいてありがとうございます。ステージから落下して全身不随になったミュージシャンの物語ですね。楽曲は異なる言語を話す人同士のコミュニケーションにもなりますけど、言葉の場合は同じ日本語でしゃべっていても、果たしてちゃんと理解し合えているかわからない。何か言ったひと言に対してもしも誤解が生まれていたら、誤解の上に誤解が重なって、無限に広がってしまうかもしれない。逆に言えば同じ言語を介さない人同士でも気持ちが通じることも十分ありえますよね。そういう言葉の限界と可能性を歌った曲が「夜会 VOL.8『問う女』」の「あなたの言葉がわからない」だと思います。言葉はどれくらい届くのか、届かないのか。届くほうがいいのか、届かなくてもいいのか。当時、中島みゆきさんが書き下ろした小説版の「問う女」には、「この世の中で最も他人を傷つける者は、己れをこの世で最もかよわい者だと信じ込んでいる者かもしれない」という一節が出てくるんですね。「問う女」は20年以上前の作品ですが、むしろ現代のSNS時代にこそハッとさせられるメッセージです。メロディもよくて、「二隻(そう)の舟」と同じくらい好きな曲です。そして映像化に際してロケをして、舞台の映像だけではなく、ゴンドラに乗っているシーンなどがインサートされているのも見どころですよね。独立したミュージックビデオとしても楽しめると思います。
──「夜会 VOL.8『問う女』」ではゴンドラの映像がありますし、「夜会 VOL.7『2/2』」の「紅い河」では東南アジアの雄大な河を舟で進むロケ映像があったりして、「夜会」を当時実際に観ていた人も楽しめそうですよね。
まあ、当時観ていた人も舞台の内容までは、さすがに細かくは覚えてないんじゃないですか(笑)。90年代半ばの作品なので。今回改めて調べてびっくりしたんですけど、中島みゆきさんって90年代、めちゃくちゃ仕事しているんですよね。ほぼ毎年オリジナルアルバムをリリースしていて、その中には「家なき子」の主題歌「空と君のあいだに」のようなタイアップ曲があり、大ヒットを記録している。通常のツアーで全国を回っているのに、「夜会」の公演も毎年のようにある。さらに「夜会」のシナリオ集や書き下ろし小説、エッセイ集も出している。そんな精力的な時期の中でも、とりわけ力を入れていただろう活動の一部が、「夜会の軌跡 1989~2002」として凝縮されているのは貴重だと思います。
──最も活動が活発な時期というか。
最近のミュージシャンでもこれほど活動してる人ってそうそういないですよね。ドラマ主題歌では物語の世界観に寄り添った曲でミリオンヒットを飛ばす一方で、「夜会」では難解とも受け取られかねない実験に挑戦していた中島みゆきって、すごくカッコよくないですか? 2019年からイギリスなどで上演されている「& Juliet」というミュージカルがあります。Backstreet Boysなどのヒット曲を使いながら「ロミオとジュリエット」の新解釈というか、「もしもジュリエットが最後に自殺しなかったら?」という世界線を描いているんですけど、初めて観たとき「夜会」を思い出しました。同じ曲でもシチュエーションによって聴こえ方が変わり、それで物語を紡ぐということを90年代からやっていたのは、だいぶ先駆的だったのではないでしょうか。
時を超えて通底する楽曲のテーマ
──「夜会の軌跡 1989~2002」の収録曲でほかに気になったものはありますか?
「ふたりは」ですね。「夜会 1990」はこの「ふたりは」で終わるんですけど、この曲の1つ前が「Maybe」で、そっちで終わっていたほうが物語やショーとしては収まりがいいはずなんですよ。
──確かに明るい曲調しかり、女性への応援歌という歌詞の内容しかり、「Maybe」で大団円を迎えるというのはとてもきれいな終わり方のような気がします。
そうなんです。「二隻(そう)の舟」から始まって、「Maybe」で終わったほうが、テーマとしてもわかりやすい。日常に疲れた女性たちが船旅に出て、冷めきらない情熱に向き合う「二隻(そう)の舟」で舞台が始まり、女性の孤立奮闘する様子が描かれたあとで、物語を総括するような「Maybe」が流れる。「Maybe」も明るいだけの歌ではないですが、ギリギリの現実的な希望が描かれている。でもその後、「遊び女」と「ごろつき」という町のはみ出し者を描いた「ふたりは」が始まるんです。「Maybe」とは時代設定も何もかも違う。曲調も歌詞も明るいとは言えないし、鑑賞後の後味もよくなかった気がするんです。だけど、よくよく聴いてみると、「二隻(そう)の舟」とはテーマ的にも近いんですね。それぞれ1人で生きてきた2人が寄り添っていく。もし普通にシングルで発表されたら「なんだ?」って困惑されるような曲も、「夜会」という物語の中でこそ成立するというのは、すごく面白いと思いました。
──なるほど、確かに「二隻(そう)の舟」と通じる部分がありますね……!
「二隻(そう)の舟」は同じ空間に2人でいられなかったとしても、生きている気配を感じるだけでつながっていると言えるんじゃないか、そしてそれを希望と呼んでもいいんじゃないか、みたいにも解釈できる曲ですよね。これは去年みゆきさんがリリースされた「倶(とも)に」(※「倶」は旧字体が正式表記)ともテーマが通底している気がしました。
──すごい、時を超えて現在の中島みゆきさんの曲のテーマともつながっている。
どちらの歌も、この世界で遠く離れてがんばる誰かのための曲にも、違う時代や世界線を生きていく人への応援歌にも聴こえます。「夜会 VOL.3 『KAN(邯鄲)TAN』」と、「夢の京(みやこ)」(2023年3月リリース「世界が違って見える日」収録)という曲でも似たことを感じました。「KAN(邯鄲)TAN」のシナリオブックにみゆきさんのインタビューが載っているんですけど、学生時代に先生から、中国の故事に由来する「邯鄲の夢」は「平家物語」の「盛者必衰」と同様の意味だと教わったらしいんですね。その場では「先生、それは違う」と思ったけれど、反論ができなかった。その自分なりの答えが「KAN(邯鄲)TAN」という「夜会」だって言うんです。確かに夢ってはかなく消えるものなので、盛者必衰で、諸行無常かもしれないけれど、たとえ夢の中でも経験したこと自体はリアリティを持ちうるだろうし、その夢を通して自分自身をより深く知ることもありうる。「KAN(邯鄲)TAN」では「I love him」という曲が披露されるのですが、「誰も愛さなかったら傷つかなくてもいいけど、本当にそれでいいのか?」「むしろ傷ついてもいいんじゃないか。愛されなくても愛したこと自体が幸せなんじゃないか。愛せる人がいてくれたことに感謝すべきなんじゃないか」ということが歌われています。そこに「夢の京(みやこ)」と通じるものを感じたんです。「夢は存在しないし意味もない」と捉えるのではなくて、「夢を見るだけでもいい」「夢はそれ自体に価値がある」ということを当時からずっと歌っていたのかなって。夢って現実に疲れた人がただ逃げ込む先ではなくて、夢の中でこそ成立する真実やリアリティがある。ずっとみゆきさんの曲を聴き続けてきた人も「夜会の軌跡 1989~2002」でみゆきさんの軌跡をたどることで新しい発見があるんじゃないかと思います。
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わかりやすいのに誰も使っていない言葉を見つける天才