古市憲寿が語る「中島みゆき 劇場版 夜会の軌跡 1989~2002」|試行錯誤の歴史がわかる「夜会」のベスト盤 (2/2)

わかりやすいのに誰も使っていない言葉を見つける天才

──この「中島みゆき 劇場版 夜会の軌跡 1989~2002」には、「子供を連れて観に行きたい」と思っているファンの方も多いようです。

今回の劇場版では、冒頭で瀬尾一三さんが「夜会とはどういうものか」について話す映像がありますよね。DVD版にはなかったもので、「夜会」を知らない若い人にとってはいいイントロダクションになっています。ちなみに中島みゆきさんは、自分の作品についてあまり語らない方ですが、最近の瀬尾さんはけっこういろいろ話してくれるのでファンはありがたがっていると思います(笑)。「糸」や「地上の星」などヒット曲のイメージからか、みゆきさんって女神のような視点で壮大な曲ばかりを歌う人という印象を抱いている人も多いと思うんですけど、「ウィンター・ガーデン」では犬に扮していたり、「わかれうた」や「ひとり上手」も通常のライブとは全然違う演出で歌っているんです。初見の人は絶対に驚くはずです。何も知らないでライブ映像のマッシュアップかと思って観に行くと面を食らうと思いますが、冒頭のインタビュー映像があることで、みゆきさんの表現の幅の広さを感じる準備ができるのではないでしょうか。

古市憲寿

古市憲寿

──中島みゆきさんは、近年も映画「アリスとテレスのまぼろし工場」の主題歌として「心音(しんおん)」を書き下ろしたり、映画「Dr.コトー診療所」の主題歌に「銀の龍の背に乗って」が再び使用されたり、若い世代にも馴染みがあると思うので、そういう意味でも親子で楽しめそうですよね。

僕は特に「心音(しんおん)」の歌詞が好きです。サビの「君だけで行(ゆ)け」というフレーズをネットで検索したんですけど、この言葉を使っている小説や歌詞ってまずないんですよ。日本語としては、誰でも知っている言葉の組み合わせなのに、実は誰も言ってこなかったフレーズを見つけるのが天才的に上手なんです。映画のテーマとも合っているのですが、「未来へ 君だけで行(ゆ)け」というのは若い世代への応援歌にも聴こえました。ちなみに「アリスとテレスのまぼろし工場」は俳優の佐藤健と観に行ったのですが、帰り道でずっと彼は「♪未来へ」と口ずさんでいました(笑)。今回の「夜会の軌跡 1989~2002」にも、中島みゆきさんのことをあまり知らない人がふらっと観に行っても、気になるフレーズが絶対にあると思います。歌詞として面白いのは「キツネ狩りの歌」ですよね。「キツネ狩り」と聞いてもパッとイメージが湧かない人が多いと思いますけど、よくよく聴くと現代社会に対する示唆に富んでいる。もともと1980年に発表された曲が、1991年の「夜会」で再解釈され、それをさらに2023年の我々が再々解釈するというのは、面白い経験になるはずです。

──「キツネ狩りの歌」は「わかれうた」「ひとり上手」とのメドレーになっていますが、童話のような世界観を表現した「キツネ狩りの歌」のファンシーな衣装から「わかれうた」の紅いドレスへステージ上で早着替えするシーンも見応えがありますよね。「いつの間に着替えたの!?」っていう。

みゆきさんが書いてきた台本に「歌いながら着替える」とあって、当時スタッフはどうするかすごく困ったらしいですよ。本番中に着替えを手伝うスタッフがみゆきさんに喉チョップを食らわせたこともあったとか(笑)。本当に試行錯誤しながら1つひとつのシーンを作っていったんでしょうね。試行錯誤で言うと、ハンドマイクで歌っている回もあればヘッドセットマイクで歌っているときもあるし、舞台にマイクを仕込んでいる場合もある。そういう細かな演出の違いでも、挑戦の歴史を感じられるんじゃないかと思います。

勝手ながら僕が中島みゆきさんに望むこと

──今作を映画館で鑑賞することについてはどう思いますか?

すごくいいと思います。映画館って、当たり前ですけど音がめちゃくちゃいいですよね。下手したらライブやコンサートよりもいい場合もあります。ライブだと座席によって音の聴こえ方が変わってくるし、演者の表情も見えにくいですし。もちろんライブにはライブの魅力があるのでどっちがいい悪いという話ではないですけど、映画館で音楽を聴く体験でしか味わえないものは確実にあるはずなので、その1つとして「夜会」のベスト盤的なこの作品を観るのはいい経験だと思います。

──映画館で音楽を聴く習慣って、もっと広がっていいですよね。

本当にそう思います。逆にこの作品を観て気になった曲があったら、今度はBlu-rayやDVDを買って家で鑑賞するという楽しみもありますよね。僕のオススメは「VOL.10『海嘯』」と、「VOL.14『24時着00時発』」です。後者は「夜会の軌跡 1989~2002」のあとの作品ですが、転生というテーマでつながっているので、続けて観るといろいろな発見があるはずです。あと「二隻(そう)の舟」は「EAST ASIA」「10 WINGS」という2つのアルバムに収録されているんですが、それぞれアレンジが違っていて、「夜会の軌跡 1989~2002」は「10 WINGS」のバージョンなんです。静かにピアノで始まってラストにかけて盛り上がっていく流れと歴代の「夜会」の映像のつなぎ具合がすごくマッチしているので、この1曲目を観るためだけに映画館に行ってもいいくらいだと思います。

「中島みゆき 劇場版 夜会の軌跡 1989~2002」より。©2023 YAMAHA MUSIC ENTERTAINMENT HOLDINGS, INC.

「中島みゆき 劇場版 夜会の軌跡 1989~2002」より。©2023 YAMAHA MUSIC ENTERTAINMENT HOLDINGS, INC.

──なるほど。では以上でインタビューを終わりたいと思います。今日はありがとうございました!

あ、最後に1ついいですか? 今回の劇場版と直接関係ないんですけど、ぜひ言いたいことがあるんです。「夜会」は1989年にスタートしたんですけど、映像化されてるのは翌年の「夜会 1990」からなんですよね。映像自体は残されているはずなので、ご本人がどう思われるかわからないですけど、ぜひ作品化してほしいです。ほかにも映像化されていない再演作品なども一部でいいので何かの形で観てみたいです。あとは僕の勝手な希望ですが、みゆきさんにもう一度オリコン週間シングルランキングで1位を取ってほしいですね。

──中島みゆきさんは1970年代から2000年代にかけて4つの年代でオリコン週間シングルランキングで1位を獲得した唯一のソロアーティストなんですよね。

そうなんですよ。申し訳ないんですけど、売り方が真面目すぎると思うんです。例えば連続テレビ小説「マッサン」の主題歌になった「麦の唄」のときも、アルバム(2014年11月発売の「問題集」)の直前にシングルをリリースしていて、ちょっと待てばアルバムで聴けるんだからそりゃ買う人減るよなって勝手に悔しがってました(笑)。しかもバージョンも1つしかないんです。初回盤A、Bを出すとか、もうちょっと商売っ気を出してほしかったですね(笑)。

──売り方にポリシーがあるのかもしれませんが、再び1位を獲得して前人未到の記録を更新してほしい気持ちはわかります。

2020年代に入って、しかも70歳を超えてから1位を獲ったらめちゃくちゃカッコいいじゃないですか。みゆきさんはタイアップ曲を作るのも本当に上手なので、どんどんタイアップソングを作って1位を狙ってほしいです!

古市憲寿

古市憲寿

プロフィール

中島みゆき(ナカジマミユキ)

1975年にシングル「アザミ嬢のララバイ」で歌手デビュー。続く2ndシングル「時代」で世界歌謡祭グランプリを受賞する。その後も「わかれうた」「悪女」「空と君のあいだに」「地上の星」など数々のヒット曲を産み続け、1970年代から2000年代まで4つの時代でオリコン週間シングルランキング1位を獲得。さらに提供曲では2010年代も加えて5つの時代で1位獲得の記録を持つ。1989年には原作、脚本、作詞作曲、演出、主演のすべてを中島が務める舞台「夜会」をスタートさせ、自身のライフワークとして親しまれている。2022年11月にシングル全91曲の配信を各ストリーミングサービスにて開始した。2023年3月に44thアルバム「世界が違って見える日」を発表。9月には48thシングル「心音(しんおん)」をリリース。2024年1月17日にシングルコレクション「Singles」のリマスターCD、最新アルバム「世界が違って見える日」のアナログ盤、コンピレーションアルバム「『歌縁』(うたえにし)‐中島みゆき RESPECT LIVE 2023-」を同時リリースする。また同月から5月にかけて東阪2会場全16公演のコンサート「歌会VOL.1」を実施する。

古市憲寿(フルイチノリトシ)

1985年1月14日生まれの社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。「めざまし8」「中居正広のキャスターな会」「真相報道 バンキシャ!」といったテレビ番組に出演するほか、「絶望の国の幸福な若者たち」「保育園義務教育化」など著書多数。小説家としての一面もあり、「平成くん、さようなら」「奈落」「ヒノマル」などを発表している。