Mrs. GREEN APPLEが10thシングル「Soranji」を11月9日にリリースした。
1年8カ月の活動休止期間を経て、今年3月に活動を再開したミセス。約3年半ぶりとなるシングルCDの表題曲は、12月9日に公開される二宮和也主演映画「ラーゲリより愛を込めて」の主題歌だ。映画は第二次世界大戦終了後、厳冬のシベリアの強制収容所に不当に抑留された男・山本幡男の壮絶な人生を描いた作品。ミセスの根底にあるものを取り出したような、信念と未来への祈りに満ちた楽曲「Soranji」は、家族と仲間を思う愛情や希望を抱き続けた山本の生き様に深く重なる。
さらにシングルには、ミセスが「ONE PIECE FILM RED」に提供したAdo「私は最強」のセルフカバーと、香りと音のプロジェクト「PARFA TUNE(パルファチューン)」とのコラボソング「フロリジナル」を収録。配信開始からわずか2カ月でストリーミング累計1億再生回数を突破した「私は最強」はミセスバージョンとしてリアレンジされており、楽曲の新たな魅力をリスナーに感じさせるだろう。
音楽ナタリーではミセスの3人に初インタビュー。楽曲に注いだ思いや制作過程について話を聞いた。
取材・文 / 中川麻梨花
1曲目は「Attitude」一択でした
──7月に復活ライブ「Mrs. GREEN APPLE ARENA SHOW "Utopia"」を開催する前と後で、心境的に変わったことや何かしらの実感はありますか?(参照:Mrs. GREEN APPLEが2年半ぶりにファンと再会、活動再開後初のライブで届けた感謝と剥き出しの歌)
藤澤涼架(Key) 春に活動を再開して、音源を届けたりSNS上でみんなの声を聞いたりはしていたんですが、ライブでみんなと実際に会って、ちゃんと心でつながれた感覚がありました。僕らは2年近く活動を休止していましたし、コロナ禍でライブをするのが初めてというのもあっていろんな不安があったんですけど、ファンのみんなの表情からすごく気持ちが伝わってきましたね。
若井滉斗(G) ライブ自体が2年半ぶりだったので、ステージに立つ前は今までで一番の緊張があって。不安もあったんですけど、会場でファンのみんなの顔を見て、「思いを届けられたな。ライブをやってよかったな」という思いが最初にきました。「フェーズ2を開幕することができたんだな」という実感がそこで改めて湧きました。
大森元貴(Vo, G) 僕は「あ、休止してたんだな」というのをあの場で初めてちゃんと実感した気がする。
──ステージに立ったことで逆に。
大森 はい。ファンのみんなのエネルギーを感じて、僕ら自身もアリーナに立つときのドキドキ感をひさしぶりに味わって、「ちゃんと2年ちょっと経ってるんだな」という感覚があったので。春から音源を出してはいたんですけど、ちゃんとフェーズ2が始まったなという気持ちになれたのが、7月の「Utopia」なのかなという気はしますね。自分たちも不安を抱えてのステージだったので、そこがすごくある意味、新鮮な気持ちでした。今までにない、いろんなものを背負っているライブだったのかなと思います。
──新しい一歩を踏み出すのは勇気の要ることだと思うのですが、そのライブを、これまでアルバムツアーでもフェーズ1のラストライブ「エデンの園」でもあえて演奏してこなかった「Attitude」(2019年10月発売の4thアルバム表題曲)という、ミセスの音楽の本質そのものがつづられた不可侵とも言える楽曲で始めたところに、ひとつ腹をくくった感じといいますか、覚悟を見たような気がして。これはすんなり決まったことだったんですか?
大森 僕はもう活動休止してすぐに「もし復帰するとしたら1曲目は『Attitude』だ」という話をスタッフにしていました。それこそ2年近く前から僕の中ではイメージがありましたね。具体的な復帰の時期は当時決めてなかったですけど、もし復帰するんだったらそれくらいの覚悟を持ってやるライブじゃないときっとみんなに納得してもらえないよな、自分らとしてもきっと納得できないよなと思っていたので。2人にはいつ話したんだっけ?
藤澤 ライブの1年前、2021年の夏頃には聞いてた気がする。
若井 「エデンの園」で「Attitude」をやってなかったので、ここでやる意味は自分たちの中で大きかったですね。
大森 もう「Attitude」一択でした。それ以外の考えはなかったです。「Attitude」をすんなり歌えるレベルまでいかないと、きっと僕らは次のステージに行けないだろうって。2曲目以降は悩みましたけどね(笑)。
「これが最後の作品でもいいな」と思いながら書いた
──「Attitude」と言えば、今回ミセスが主題歌を担当する映画「ラーゲリより愛を込めて」の主演を務めている二宮和也さんも大好きな曲で、カバーもされていて。
大森 そうですよね。ありがたいです。
──主題歌の第一報が出たときに「ミセスが二宮さん主演作の主題歌をやるんだ」という熱さみたいなものが双方のファンの間にあったと思うんですが、皆さんはこの映画の主題歌をやることが決まったときに率直にどう思いましたか?
大森 3人同じタイミングでは話を聞いてないよね?
藤澤 ちょっと時差があったと思う。
大森 最初に映画の題材とか二宮さんが主演であることとか、そういう情報は聞けたんですけど、次の週にはワンコーラスを提出しないといけないというスケジュール感で。なので、僕は1週間でなんとなく曲を見出さないといけないところに先に意識がいきました(笑)。“戦争映画”とはあんまり言い切りたくないんですが、戦争を題材にしている映画ではあるし、今までの僕らとはまた違ったアプローチでのタイアップだと思うので、そこは素直にワクワクしました。武装をするわけではなく、僕らのコアな部分、僕が表現したいことの一番奥底にあるものを素直に表現できるお話だなというのが最初の印象でしたね。
藤澤 今まで僕たちはありがたいことにいろんなタイアップなどをやらせてもらってきましたけど、今までにない大きな題材のものだと感じて、気持ちはギュッとなりましたね。映画の内容自体はもちろんお話を伺ったり、元貴から聞いていたりしていたんですけど、僕自身はちょうど先日試写会で映画を初めて観させてもらって。とても言葉にしがたい重さのある作品だなと感じました。
大森 そうだよね。まず、映画のプロデューサーさんから「若者たちにこの映画を観ていただきたい」というお話があって。「若者たちが触れにくい、タッチしづらい題材だからこそ持ち帰ってもらいたい」ということだったので、戦争やシベリア抑留というよりは、「誰かを強く思う気持ち」というところを題材にして曲を書いたほうがいいだろうなとまず思ったんです。映画の映像もいただいていたんですけど、最初に形にするときはあえて映像を観ず、台本もそんなに読むこともなく、本当にプロローグというか資料のみで外郭を作っていって。作り終える段階のときにちゃんと映画を観させてもらって、辻褄が合っているか、自分が書いていることは間違いになってないかということを確認しました。映画の制作チームがなぜこの時代にこの映画を公開しようと思ったのか、何をもって届けようとしているのかという意図や愛情みたいなものを先に受け取った感覚でしたね。
──「ラーゲリより愛を込めて」で書かれている、決してきれいとはいえない世界でも愛情、希望、温かいものを忘れずに生きること、人を信じることの大切さは、これまでミセスがずっと歌ってきたことであり、大森さんが10代の頃からずっと音楽にしていることじゃないかなと思ったのですが、そういう部分でこの映画と自分の思いがシンクロするような感覚はありましたか?
大森 まさに最初に資料を見たときに「間違いないな」と思いました。「これは作れるな」という確信のような感覚があって。フェーズ2のミセスは、カラフルな彩り方でエンタテインメント性の高い作品をお届けするというビジョンがあって「ニュー・マイ・ノーマル」(2022年3月に活動再開発表と同時に配信リリースされた楽曲)で始まっているので、ミセスの深淵を覗くような楽曲はこのタイミングにふさわしいんだろうかと一瞬思ったんですけど、映画が持っているパワー、題材がありえないくらいマッチしちゃったので、そういった不安感は一気になくなりましたね。
──未来へと思いをつないでいく、力強い人間賛歌のような楽曲だと感じました。どういう思いで制作に取り組んでいきましたか?
大森 こういう言い方をすると語弊があるかもしれないし、重たいんですけど……「これが最後の作品でもいいな」と思いながら書いただけなんですよね。タイアップだからどうこうっていうことではなくて、自分の中の一番奥底、それ以上深く潜れないところまで潜るのが僕の中で今回すごく大きい課題であり、自分の中で越えたいハードルでした。ずっと自分と対峙し続けたので、制作期間はつらかったですね。言ってしまったら「Soranji」の内容以上に書くことってないので。
──これまでミセスが歌ってきたことの集大成のような楽曲だと思います。
大森 そう。源というか。「ミセスのすべてはここから始まっている」ぐらいに言っても過言ではないくらいまで、全部落とし込んだ楽曲だと思うので。本当に大げさではなく、「これが最後でいいや」という気持ちで臨んでいった感覚ですね。
──この曲の「有り得ない程に キリがない本当に 無駄がない程に 我らは尊い。」という歌詞は、きっとこれから多くの人々の心を突き動かしていくようなフレーズなんじゃないかと思うのですが、この部分に関して大森さんご自身はどのように感じていますか?
大森 この曲にはサビが2つあって、ここはサビダッシュなのかな。でも、僕はここがサビだと勝手に思っています。これが条理というか、本質だよなっていう。この4行が出てきたときに「Soranji」はちゃんとフルになるなと確信しました。ありえないくらいつらいことや悲しいことってあるし、そういうのは一生付きまとうもの。でもどれもが無駄ではなくて、私たちの血肉になっているからこそ、“生”というのは素晴らしいということを歌いきる勇気、気力みたいなものを僕も試されたところはありました。
何かを届けようというよりは、自分に対して書き記してるんだと思います
──これほどの大きな曲を、若井さんと藤澤さんはどのように受け止めていったんでしょうか。
若井 元貴を見ていて、かなり深いところまで自身と向き合ってこの曲を作っているなと思ったので、そんな曲を自分たちがレコーディングで音として残すにはどういうふうにしたらいいんだろうって。最初はかなり時間をかけて考えました。
藤澤 上手に弾くことや、いいフレーズをどうこうじゃなくて、レコーディングまでにどれだけこの曲をしっかり受け止めて、元貴がこの曲に込めた意味を感じ取れるのかが大事なポイントだなと思って。ずっと練習するとかそういうことじゃなくて、曲と向き合う時間を大切にしていました。今回はメンバー間で「これはこういう楽曲」みたいな言葉でのディスカッションを特にしていなくて。
──これまでミセスはレコーディング前に「この曲は何を伝えようとしているのか?」と歌詞の意味などを深く話し合って、イメージを共有してきたと思うのですが。
藤澤 はい。でも「Soranji」に関しては、あえて元貴から言葉での説明がなかったので。それがないというのも含めて、きっとこれをミセスで鳴らす意味は、僕と若井にかかってるんじゃないかなとその時点で感じ取りました。
大森 まさにそういうことですね。
──楽曲が持つメッセージに寄り添うように展開していくストリングスと、2番から入って厚みを増していくコーラスが印象的で、賛美歌のようにも聞こえるアレンジになっています。編曲には大森さんとともにEFFYさんがクレジットされていますね。
大森 EFFYさんは「Attitude」を一緒に作ってくれた方ですね。「Soranji」のアレンジに関しては賛美歌のようでありたい、聖なる雰囲気でありたいという明確なイメージが僕の中でデモの段階からあったんです。2番からクワイヤが入って、ストリングスで盛り上がっていくというような。でも、ただ「壮大でいい曲だよね」で終わらない、深いところに印を残すようなアレンジにしたかったので、アイデアが豊富で、同じ目線で物事を考えてくださるEFFYさんにイメージを広げてもらいました。
──「ラーゲリ」という強制収容所での状況は、コロナ禍や世界情勢の変化など、さまざまな問題で閉塞している今の世界にも重なる部分があるとは思いますが、この世界は大森さんから今どういうふうに見えていますか?
大森 でも時代が変わっているだけで、その時々で閉塞感というのはずっと尽きないというか、一生付きまとってくるもので。今はこの時代の閉塞感があるけど、10年前に閉塞感がなかったのかというとあっただろうし。10年後どうなっているかというと、その時々の情勢による閉塞感や、自分の気持ちの影はずっとあるものだと思います。だからこの時代がどうこうとはあんまり思わないんですが、映画にも通じるところで、やっぱり愛は勝つというか、誰かを強く思う気持ちというものは尊いんだなと。どの時代であれ、エンタテインメントであれ、現実であれ、最終的にはそこが残るんだなという感覚でずっといます。
──ミセスがそういった世界と真正面から対峙して、10代の頃から今日までずっと愛情や希望を歌い続ける理由はどういうところにあると思いますか?
大森 これはまるっきり僕の話になっちゃうんですけど……そういうことを10代から歌っているし大事にしているつもりなのに、やっぱり結局僕も人間なので、人に正しく愛情を伝えられなかったり、間違えてしまうことも、やっちゃったなと思うことも生きている限りたくさんあるんですよね。そのときの感覚を絶対に忘れないために、戒めのように書いているというか。こういうことを書きつづっている自分の音楽が、誰かの耳に届いて少しでも何かが伝わった瞬間に、ちょっとまっとうな人間になれたような気がして。
──自分のために書いている部分も大きいと。
大森 そうですね。何かを届けようというよりは、自分に対して書き記してるんだと思います。例えば、10代の頃にはそのときしかなかった感覚があるはずで、当時の1stフルアルバム「TWELVE」の楽曲は今の僕には絶対に書けない。改めてあの頃作った曲を聴き返してみると、当時は何を今より大事にできていて、逆に当時より今のほうが何を大事にして生きているのかという振り返りにもなる。そういうことをずっと続けている感覚ですね。いち人間として戒めのように書いてるんだと思います。
──フェーズ2に入ってから「自分に対して書き記す」というところが強くなっている感覚はありますか?
大森 フェーズ2に入ったからというよりは、単純に自分が26歳になってそういうことを考えるようになっちゃった、みたいなほうが近いですね。16歳でバンドを始めて「よっしゃ、うちら最強でしょ!」で行けていたのが、自分らのいろんな部分での弱さや足りない部分をいち人間として考えることが多くなって。それがたまたまフェーズ2の時期とぶち当たっただけなのか、図らずもフェーズ2がそういうことになっているのか、どっちが先かはわからないですけど、やっぱり確実に時間が経過しているなという感覚はあります。
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表裏一体の強さと弱さを描いた「私が最強」