マカロニえんぴつインタビュー|リアルを届けるロックバンドの良好すぎる関係 (2/3)

サウナの“耐える”感覚に着目

──そういう今の良好な空気感は、例えばアルバムの中だと「TONTTU」のような曲に表れていますよね。田辺さんが好きなサウナを題材にしたハードロックチューンですが、とにかく好きなことを笑いながらやっているというか(笑)。

はっとり そうですね(笑)。やっぱり、僕とよっちゃん(田辺由明)はハードロックがルーツなのでね。80'sのブリティッシュハードロック、ヘヴィメタルを、匂わせるんじゃなくて、もうプンプンなものをいつかやろうっていう話は昔からしていたんです。正直、「このアルバムのタイミングで入れるのはどうなんだろう……?」とは思ったんですけどね。あと新録は3、4曲しか入れられないという段階で、こういうオチャラケ要素を入れちゃうと、アルバムの癌になっちゃう可能性もあるから。……まあ、結果、なっているんだけど(笑)。

一同 (笑)。

はっとり でも、今やらないと、次にもっと良作ができたときに、もっとイヤな壊し方をすることになっちゃうから(笑)。メジャー1年目で、羽を伸ばして楽しんでやっている感じが伝わればなと思って、封を切りました。よっちゃんは大満足してますよ。

田辺 もう、大満足です。

はっとり あと、ここ2人(田辺、長谷川)は、サウナブームの波が来る前からサウナが好きだったから。

田辺 サウナ好きバンドマンってたくさんいるし、“サウナソング”を書くバンドもけっこういるんですけど、サウナに入って、リセットされて気持ちよくなった状態をフィーチャーした曲を作る人が多いんですよ。それが9割9分だと思う。でも、サウナって最初は熱さに耐えなきゃいけないんですよね。それを我慢したあとに、やっと気持ちよさが押し寄せてくる。僕らは、その“耐える”っていう感覚をフィーチャーしようと思ったんです。サウナの“熱さ”とハードロックの“熱さ”がリンクした曲ですね(笑)。

田辺由明(G, Cho)

田辺由明(G, Cho)

──なるほど(笑)。それこそ、この「TONTTU」もそうだし、「トマソン」も非常にマカロニえんぴつの自由さと歴史を感じさせる曲だと思うんです。先ほど、はっとりさんは「カッコいいロックバンドでいたい」とおっしゃいましたが、ロックバンドがチャートに存在することの意味って、どういった部分にあると思いますか?

はっとり 別に、「ロックバンドがチャートにいたほうがいい」とは誰も思っていないんじゃないですかね。ただ、「いたら面白いよね」というだけ。だって、本当のことをあんまり言わないじゃないですか、アイドルソングやダンスナンバーは。俺の中では「本当のことを言ってくれるんじゃないか」という期待がロックバンドに対してあるんです。目を背けるために飾った言葉を使うんじゃなくて、絶望と向き合ったうえで、目を逸らしてあげる……それができるのがロックバンドなんじゃないかと思う。「本当はしんどいでしょ?」とか「本当は負けっぱなしなんじゃない?」ということを、あえて聴き手に自覚させたうえで、「でも、そんなもんだよ」って言ってあげたり、「明日からは違うかもよ」と希望を見せてあげる。それが俺にとってのロックバンドのカッコよさ。一緒にダメでいてくれる。やっぱり本当のことを歌うのは、ロックバンドだと思うんですよ。そういう存在がチャートにいれば、面白いだろうなと思います。

マカロニえんぴつ
マカロニえんぴつ

絶望の淵に落として歌詞を書く

──例えば「ヤングアダルト」(2019年9月発売のミニアルバム「season」収録)の歌詞には、今はっとりさんが言った絶望への向き合い方が如実に出ていたと思うんですけど、僕は今回のアルバムで「ワルツのレター」を聴いたときに、「ヤングアダルト」の先にあるメッセージを感じたんです。この曲の歌詞はどのようなことを考えながら書かれましたか?

はっとり 曲を作っている時期に、獄外より獄中生活のほうが長いまま死んでいった受刑者のドキュメンタリーを観たんです。その受刑者は10代のときに法を犯して刑務所に入り、後悔と反省の日々の中で大人になっていった。寡黙で、周囲に自分のことを話さないから、「何を考えているかわからない」と言われて居場所のないような人だったんですけど、獄中で自ら言葉をつづるんです。それは誰に宛てたものでもない、自分を表現するために書いた手紙だったんですが、それを読んで、だんだん周りも気付くんです。「この人はすごい考えを持っている人なんだ」って。そのドキュメンタリーを観て、なんだかすごく胸が痛くなったというか。この人が自分らしくいられる場所が手紙にはあったのに、彼の本質を引き出す人や気付いてあげられる人が、罪を犯す前にいなかったのかって。誰かとつながるために自分を表現することのできる手段が、その人にとっては文章だった。僕も、表現するものとして音楽があったから、これだけ仲間に囲まれて幸せでいられる。今は表現を評価されているけど、もし居場所がなかったらおかしくなっちゃったかもしれないな、と自分に置き変えていろいろ考えていて。ちょうどそのタイミングで、報道番組(「news23」)のタイアップがきて、なんとなくそのドキュメンタリーと切り離すことができなかったんですよね。そこから、「ワルツのレター」というワードが不意に出てきたんです。その受刑者の人が、手紙の中で“踊っていた”感じが、すごく健気だった。

──なるほど。

はっとり 居場所って、すごく大事だなと思うんです。自分を好きになれる環境があること、自分が道を踏み外す前にそういう場所が見つかるってことは、すごく幸せなことなので。俺たちは幸せな立場なんですよ。だからこそ、その立場から見える幸せを歌ったところで、たかが知れているんですよね。「気付けなかったら、どうなってたんだろう?」とか、「あのときダメだったら、どうしてたんだろう?」とか、そういう想像をしながら書いていく。歌詞を書くときはどうしても、自分を絶望の淵に落としたくなりますよね。報われなかった日々を思い出しながら書きたい。今、居場所を見つけた喜びも歌で表現したいとは思うけど、そうでない人に向けて「あきらめるにはまだ早いよ」って、嫌味じゃない言い方で伝えられたらなって思う。

──まだ居場所を見つけられていない人たちに向けて歌を歌うことは、ある意味、メジャーのロックバンドとして背負うものでもありますか?

はっとり 結果的にそういう人たちに届いていたらいいですけど、背負いたくはないんです。期待はうれしいけど、重荷はイヤです。“国民的バンド”とか言われると、すごく委縮しちゃう。“国民的”って付くと、みんな何も考えずにありがたがるでしょう?(笑) 俺はそれがイヤなんです。ちゃんと判断したうえでマカロニえんぴつの音楽を聴いてほしい。

マカロニえんぴつ

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──でも確かに、「hope」の頃のほうが“背負う”ということに対して向かっていく感じはありましたよね。

はっとり あれは、コロナ禍の真っただ中というのも大きかったと思います。背負わざるを得なかったんだと思う。珍しく背負いたがっていました、僕は。

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売れるという確信