ナタリー PowerPush - LACCO TOWER

“狂騒演奏家”がすべてをさらけ出した 激情的新作「続・短編傷説」

“狂騒演奏家”なる肩書きを持つ5人組ロックバンド、LACCO TOWER。2002年の結成から漢字ワンワードのタイトルを掲げた独自の世界観を放つ楽曲群でシーンにその名を刻んできた彼らは、昨年10月にチャットモンチーとのツーマンライブを行うなど、ライブバンドとしても大きな注目を集めている。

そんな彼らが、新メンバーである細川大介(G)を迎えて初の作品となるミニアルバム「続・短編傷説」をリリースする。それを記念し、ナタリー初登場となるインタビューを実施。紆余曲折あったというバンドのヒストリーから、メンバー全員ががっぷり四つで絡み合って臨むという制作スタイルのこと、そして本作にまつわる思いまでたっぷりと話を聞いた。

取材・文 / もりひでゆき インタビュー撮影 / 佐藤類

細川大介、正式加入日のライブでクビに!?

細川大介(G)

──6月15日に新ギタリストとして細川さんが正式加入されましたね。

細川大介(G) はい。去年の9月からサポートをやらせてもらってたんですけど、今回正式メンバーになりました。

重田雅俊(Dr) でも、正式加入した日の仙台のライブでクビになったけどな。

松川ケイスケ(Vo) うん。アンコールで「今日から大介が新メンバーになります」って話をして、ワーッと盛り上がったまま新曲をやったんですけど、ギターの音が出なくて。演奏を途中で止めたんですよ。

──なんで音が出なかったんですか?

細川 いやそれがまだ原因が判明してないんですよ。可能性が3個くらいあるんですけど。

塩崎啓示(B) まだ判明してないって適当すぎんだろ(笑)。

松川 で、そのときに「今日で辞めていただきます」っていうことになって。だから今はまたサポートです(笑)。

塩崎 ナタリーさんのニュースで取り上げてもらってもいいですよ。サポートから正式メンバーになって、そこからまたサポートに戻る最短記録。

重田 正式加入期間が約60分だからね。

細川 いやもうビックリですよ。「BANDやろうぜ」買って帰らないと(笑)。

どこかのジャンルに寄せられてればラクだった

──そんな細川さんはLACCO TOWERにとって3代目のギタリストになるとか。結成は2002年だし、かなりいろんな歴史をたどってきたバンドのようですね。

松川ケイスケ(Vo)

松川 活動はもう無駄に長いんですよ。オリジナルメンバーはドラム(重田)、ベース(塩崎)、ボーカル(松川)の3人で、最初はほかのギターのヤツがいたんです。で、そのギターが普通の男の子に戻り、そのあとにスーパーの店員やってたギターが新しく入ったんですけど、そいつも辞めてしまったので今回大介が入ってくれたという流れで。ほんと紆余曲折あったので、細かく話し出すと32時間くらいはかかりますね(笑)。

──そもそもどんな音楽性を目指して結成されたんですか?

重田 そこは漠然としてましたね。時代的にはメロコアとか2MCのバンドが多かったんですよ。あとは青春パンクとか。でも俺らはそのどれにも属さないというか。ミクスチャーでもメロコアでもハードコアでもないっていう。だからけっこう浮いてましたよね。どこかに寄せようっていう気も全然なかったですし、そもそも寄せようがなかったから。

塩崎 仲のいいバンドと一緒にツアーを回ったこともあったけど、そのあとが続かないっていうかね。

松川 たぶんどこかのジャンルに寄せられてればラクだったんでしょうけどね。でも周りがどうこうっていうのは昔からそんなに気にはしてなかったかもしれないです。

──じゃあ当初からLACCO TOWER独自の音楽性を貫いてきたと。

松川 そうですね。ただ、僕らっぽいスタイルがずんずん出てきたっていうのは、最初のギターが辞めたあとだと思うんです。そこで曲を作る人間がいなくなったっていうのが大きかったんですよね。

──初代ギタリストの方がソングライティングを担ってたんですね。

松川 はい。そいつが辞めてしまったので、僕が詞をゼロから書き始めてみたりとか、みんなで曲作りをし始めたんですよ。あとはもともと知り合いだった真一ジェットに加入してもらったのもそのタイミングで。そこからですね、スタイルが固まってきたのは。最初はちょっと手伝ってくれっていう感じで真一には入ってもらったんですけど、あれよあれよという間に制作にも思い切りかかわってもらうようになったんで。

重田 今じゃ真一が制作の核ですからね。

真一ジェット(Key) 手伝ってくれって言われて最初に会ったときは「こりゃダメだ」って思いましたけどね(笑)。

重田 俺らはもう曲の作り方がわかんねえって感じだったからね。制作の方向性も固まってねえし(笑)。

真一 うん。でもまあちょっとがんばんないとなと思って、やっていく中でどんどんスキルアップしていった感じだと思います。

カッコつけたい年頃の子たちにカッコいいと思ってもらいたい

──バンドに鍵盤が加わったことも大きな意味があったんじゃないですか?

塩崎 そうっすね。最初、まだ真一がサポートの段階ではほんとにサラッとしか鍵盤を使ってなかったんですけど、それがどんどん変わっていきましたからね。

真一ジェット(Key)

真一 僕が正式メンバーになってからはアレンジがすごく変わったと思います。

細川 昨日レコーディングした曲なんかは、8割9割が鍵盤の音ですからね。弾きまくってますよ。

──今やLACCO TOWERが描き出す世界観に鍵盤の音色は欠かせない要素になっていますもんね。

松川 たぶん最初は探り探りやってくれてたと思うんですけど、もう今はある程度ふっきれたというか、いい持ち味になってると思いますね。

──では、現段階で感じているLACCO TOWERのカラーはどんなものだと思います?

松川 まず、僕が英語を話せないってのはもちろんあるんですけど、日本人に生まれたからには日本語というものでしっかり表現したいなって思ってるところはあって。で、その中で歌ってることは誰しもが感じられるようなほんとにちっさいこと、普遍的なことなんですよ。僕自身、人間的に尋常じゃないくらい薄っぺらいですからね。オカモトのコンドームなんか話にならないくらい薄っぺらいんで(笑)、自分のわかっていること以外のことを書こうとしても書けないっていう。

──比較対象がアレですけど(笑)、変にカッコつけず、ありのままを表現している感じですよね。

松川 そうそう。で、それを中2、中3くらいのカッコつけたい年頃の子たちに、カッコいいなって思ってもらえたらいいなって思うんです。楽曲やライブを通して、あいつら本気でフザけててかっこいいな、みたいな。僕が叫んでいる姿とか、真一ジェットが鍵盤の上に乗っかって弾くこととか、こいつら(塩崎&重田)がすぐ裸になるとことか、大介が速攻サポートに戻ったこととか(笑)、そういうこと全部をひっくるめてカッコいいなと思ってもらえる、それがLACCO TOWERというものであったらいいなっていうのは常に思ってますね。

LACCO TOWER(らっこたわー)

2002年に結成されたロックバンド。自ら“狂想演奏家”を名乗り、結成当初より楽曲タイトルはすべて「日本語ひとつの言葉」にこだわり続けている。ロック、パンク、ポップス、歌謡曲など特定のジャンルにカテゴライズされない、ソウルフルかつエモーショナルなサウンドが魅力。その叙情的な世界観とは裏腹に、攻撃的なライブパフォーマンスで都内、群馬を拠点に活動を続けている。現在のメンバーは松川ケイスケ(Vo)、塩崎啓示(B)、重田雅俊(Dr)、真一ジェット(Key)、細川大介(G)の5名。2013年7月に新編成となって初のミニアルバム「続・短編傷説」をリリースする。