LACCO TOWERインタビュー|ベスト盤でたどる20年の歩み「回り道したことさえもよかった」

今年結成20周年を迎えたLACCO TOWERが、12月7日にオールタイムベストアルバム「絶好」をリリースした。

「絶好」はインディーズ期からメジャー期まで、バンドの全キャリアの中からメンバーがセレクトした計50曲を収録したCD4枚組の作品。DISC 1、2の“メジャーサイド”には新曲である「棘」「魔法」「非公認」やメジャーデビュー曲「非幸福論」など26曲、DISC 3、4の“インディーズサイド”には「藍染」「斜陽」「後夜」「未来」の再録バージョンやライブ定番曲「林檎」「柘榴」など24曲が収められ、LACCO TOWERの歴史をたどることのできる内容になっている。

音楽ナタリーではメンバー全員へのインタビューを実施。細川大介(G)がある発表を行った7月開催の20周年特別公演「狂想演奏史~史上のハタチ~」、そして10月から12月にかけて開催されたツアー「LACCO TOWER 20th TOUR 2022『絶好旅行』」の話題を皮切りに、20年の歩みを振り返りながら、ベストアルバムに込めた思いをじっくりと聞いた。

取材・文 / もりひでゆき撮影 / 石垣郁果

長距離走的な目線で一緒に乗り越える

──今年で結成20周年を迎えたLACCO TOWERは、7月18日に東京・LIQUIDROOMで結成20周年特別公演「狂想演奏史~史上のハタチ~」を開催しました。大きな節目でのライブはいかがでしたか?

重田雅俊(Dr) そこまで20周年を強く意識していたわけじゃなかったけど、ライブで演奏していると「あ、この曲を作ったとき、こんなことがあったな」と、けっこういろんなことを思い出しました。振り返れば、あっという間の20年だったなと。まだコロナ禍ではあるけど、本当にたくさんの方々が観に来てくれたので、すごくいい節目になったなと思えた1日でしたね。

松川ケイスケ(Vo) 20歳のお祝いの日でありつつ、同時にそこで(細川)大介が大きな発表をしたんですよ。だから、いろんな意味で節目を感じるライブになりました。

松川ケイスケ(Vo)

松川ケイスケ(Vo)

──細川さんは約4年前に局所性ジストニアを発症、これまで闘病生活を送っていたこと、そして今後はレフティギタリストにスイッチすることをステージ上で発表されました。

細川大介(G) はい。最初に病気のことから話し始めたので、客席に泣いてる方がすごく多くて。でも、そこから「左でやります!」と言ったときに大きな歓声をいただけたのがうれしかったです。単に「20周年おめでとう」で終わらせるのではなく、しっかりと21年目以降に視線を向けたライブにできたのはよかったなと思いますね。自分としても、「またここからLACCO TOWERとしてやっていくんだ」という思いを改めて強固なものにできた1日でもありました。

塩﨑啓示(B) あのライブのあと、仲のいいバンドマンや関係者の方々から「勇気をもらえた」という声をたくさんいただくことができて。それはきっと、大介の強い思いがライブを通してしっかり伝わったからだと思うんです。そういう意味でも、未来に向けた大きな節目の1日になりましたね。

真一ジェット(Key) 年を取るにつれて誕生日がうれしくなくなる感覚ってあるじゃないですか。バンドの周年も実はそれと一緒で。ただ続けているだけだと、そこに喜びをあまり感じなくなってしまうものだと思うんです。でも今回の20周年は、ベスト盤リリースの発表もできたし、大介の未来に向けた発表もあったし、この先の22年目、23年目がさらに楽しみになってくる感じがあって。心からうれしいと思える周年になりました。

──細川さんが病気の発症からレフティギタリストになることを決意するまでの流れをつづったブログ「告白」によれば、一度はLACCO TOWERという船を降りる決断をした時期もあったそうですね。そこを乗り越え、この5人のまま活動を継続していくことになって本当によかったです。

細川 僕もすごくうれしいです。メンバーのみんなが引き止めてくれなかったら、今またこうやってナタリーさんにインタビューしてもらうこともなかったわけですから。そこはもう感謝の気持ちしかないですね。

──その後、10月にはベストアルバムの発売に先駆けて全国ツアー「LACCO TOWER 20th TOUR 2022『絶好旅行』」がスタートしましたが、松川さんの喉の不調により現状、宮城、愛知、広島、福岡公演が延期になっています。今日はインタビューを受けていただいていますが、具合はどうですか?(取材は11月中旬に実施。その後、11月19日の大阪公演も延期となった。)

松川 正直、まだ完全には回復していないです。延期の原因を作ってしまった当人なので、やっぱり申し訳ないという気持ちになってしまいますよね。ただ、こういう状況になってしまったからこそいろいろ考えることはあるし、逆に言えばそれは今しか考えられないことでもあって。そう思えば必要な時間だったのかなって気がしてくるというか。自分の気持ち的にもだいぶ取り戻せてきた感覚はありますね。

──メンバー全員がしっかりと未来を見据えて動いている今のLACCO TOWERの状況を考えれば、あまり焦る必要もない気がします。しっかり治していただいて、万全の状態でツアーを完走することが大事なのかなと。

松川 ありがとうございます。

細川 昔の自分たちは短距離走をしているような感覚だったんですよ。自分たちの目指すゴールに向かって、とにかく思いっきり、無理をしてでも走り続ける感じで。でも年齢を重ねた今は、どうしたらこのメンバーで長く続けていけるかを一番に考える、ある意味、長距離走的な目線になってきたんですよね。無理をすることで歌えなくなったり、楽器が弾けなくなったりするのが一番怖いことですから。なので、メンバーとしては、あまり悲観しないで、一緒に乗り越えようという気持ちです。

細川大介(G)

細川大介(G)

決して順風満帆に来たわけではない

──では、改めて20年の歩みを振り返りながら、ベストアルバム「絶好」のお話を聞いていこうと思います。最初期からのメンバーは松川さん、塩﨑さん、重田さんの3人ですね。当時は20年後の自分たちの姿を思い描いたりしていましたか?

塩﨑 LACCO TOWERは同じ専門学校に通っていたメンバーで組んだんですよ。気の合いそうなメンツを誘って、ファミレスで朝まで話したり、スタジオに入ってみたりしながら、「面白そうじゃん、やろうよ!」というところからのスタート。だから音楽性が漠然としていて、それぞれがカッコいいと思うものを寄せ集めてやっていた感じだし、10年後や20年後のことなんてまるで見えてはいなかったです。

塩﨑啓示(B)

塩﨑啓示(B)

重田 振り返ると、自分らのバンドは決して順風満帆にここまで来たわけではないと思うんですよ。結成当時はまだみんな若いから尖ってたし、それぞれの強い個性がぶつかり合うこともよくあった。でも、そんな尖った石同士がぶつかり合うことで、だんだん角が取れて丸くなってきたというか。20年経った今……(ドヤ顔で)ダイヤモンドに近くなってきてるかなとは思いますね!

細川 急に最後、意味がわかんなくなったけど(笑)。

塩﨑 話がすげえデカくなってどうしようかと思った(笑)。

重田 バンドとして強固に、硬くなったってことですよ。メンバーの絆も、演奏も、楽曲自体も。

重田雅俊(Dr)

重田雅俊(Dr)

──松川さんはどうですか?

松川 前のアルバム(2021年12月リリースの「青春」)に収録されている曲の歌詞でも書いたんですけど、昔に思い描いていた自分たちと今の自分たちが寸分違わず同じかと言ったら、たぶん違う。でもそれは決して悪いことではなくて。結局は、走っているうちにみんなが目指す最終地点がどんどん変わってきんだと思います。立ち止まって後ろを振り返ったときに「あれ、違ったかな?」ではなく、「ああ、この道もいいよな」と常に考えられる。それがバンドマンとしては一番の宝。それこそ結成当初は、メジャーレーベルに所属して、こうやって取材をしていただけている未来なんてまったく想像してなかったですから。思い描く場所にたどり着くまでのスピードはそれぞれですけど、LACCO TOWERに関してはトータルでいい歩みをしてきたと思いますね。いろいろ回り道してきたことさえもよかったなと思えます。

──2009年にはメンバーチェンジがあり、真一さんが加入されました。

真一 初代ギタリストが抜けて、2代目のギタリストとほぼ一緒に僕も加入しました。当時のLACCO TOWERは傍から見てても勢いのあるバンドだったんですけど、初代が抜けたときに、けっこう周りがざわついたんですよね。「あ、LACCO終わったな」って。僕が加入してからもしばらくはそんな声が多かった。なので、「絶対に俺がこのバンドを終わらせねえ!」と強く決心したんですよ。バンド内でのメインコンポーザーになろうとがんばっていた時期でもありました。

真一ジェット(Key)

真一ジェット(Key)

──初期のLACCO TOWERは初代ギタリストの方がメインで作曲を担っていたんですよね。だから真一さん加入前と後では楽曲のテイストもだいぶ変わった印象があります。

塩﨑 そうですね、うん。正直、真一が入った当初は初代ギターが作った曲はやりたくなかったんですよ。とにかく新しい5人で新しい曲を作りまくって、それまでのLACCO TOWERを超えようと。その一心でやってました。そこでけっこうバンドが大きく変わったような気がします。

松川 しんちゃん(真一)が加入して以降、バンドとしてのアイデンティティ、LACCO TOWERの楽曲のアイデンティティみたいなものが徐々にできあがってきて。今回のベストアルバムのジャケットのように、曲のタイトルのモチーフとして果物を使うとか、そういった部分もだんだん確立されていったんですよね。