ナタリー PowerPush - 筋肉少女帯
オーケン&うっちーが振り返る4半世紀
契約書を端から端まで読むバンドマンは橘高くんだけ
内田 一番そういう方向で思ってたのが橘高で、橘高がバンドっぽさを持ち込もうとしてたよね。
大槻 彼はゼロか100かって人で、酒をやめたときも「よくやめられたね」って言ったら、「俺はゼロか100かなんだ!」って言ってたね。「バンドやるのかやらないのかどっちかだ! やるなら死ぬまでやるんだ!」みたいな熱い人なんですよ。
──それが解散するなら解散する、復活するなら俺が復活させるみたいな機動力にもなった、と。
大槻 復活するときは橘高さんがグイグイ引っ張ってくれたなって思いますね。契約ごととか、彼はすごいんですよ。僕、絶対そっちで相当な財を成すんじゃないかって思うぐらい、契約コンサルタントとかやればいいのにと思います。だって契約書を全部読むんだよ!
──普通なのかもしれないですけどね。
大槻 いや、普通は読まないよ! 安岡力也が「不良番長」って映画で、梅宮辰夫に「兄貴、ヤバいですよ、地井武男が台本読んでますよ、シメちゃいましょうか?」って言ったっていう、あの感覚ですよ。バンドマンで契約書を端から端まで読むヤツなんかいませんよ! それを橘高くんはやるからね。それで「ここの何%のフィーを何%ここから持ってきてできるんじゃないだろうか」とか、レコード会社とかメーカーの人とかいるところでバーッと言うのカッコいいよ。で、みんな黙っちゃうの。
──賃上げ闘争を1人でやってたらしいですよね。給料上げろとか。
大槻 彼は最初の事務所でいろいろあったから、そのあと勉強したらしいんだよ。もともと名門高校の出身だから頭がいいんですよ。計算ごとが早い。僕らはお坊ちゃまだからダメなの。
内田 わかんなーい。
大槻 ホントわかんない。
──お金で苦労したことない2人ですからね(笑)。
大槻 俺、フィーのパーセンテージ知らねー。僕も内田くんもハングリースピリットはないと思うんですよ。で、僕は不安感だけがある。内田くんはそれはそんなに多くはない。そこが僕らの違いかもしれない。でも、アレだね。橘高さんはいないところであんまり語ると、「そこは違う!」ってまた熱く語り出すので、あんまり言わないようにしよ。
テレビの世界を見たら、バンドの世界が小さく見えてしまった
──ゲーム観の相違でだんだんバンド内がギクシャクしていったとき、これはヤバいことになったなっていうのは内田さんも気付いてたわけですよね。
内田 よかれと思ってゲームを持ってきた頃ね。確かにその頃、8年ぐらいバンドをやっていくと、やっぱり惰性にもなってきて。なかなか突然デジロックにはなれないバンドだったんで。バンドのメンバーの個性が際立っているので、「メタル!」「ボーカル!」みたいな。
──ボーカル(笑)。
大槻 なんだよボーカルって。「アングラ!」「ナゴム!」みたいな。
内田 そこで逆にできないこともあるっていうことを言ってたよね。メタルギターを弾くから別な音楽性っていうのがどうしてもできないっていう足枷もありつつ、今はそういう枷を……。
──あえて率先してはめてみるという。
内田 そういうバンドとしての悩みとかもありつつ。でね、雰囲気が悪くなるというのはちょっと感じていたんですけど。
──会話が減ってきたなとか。
内田 何がどうこうってうまく言えないですけどね。
──同時に、大槻さんの精神状態があまりよろしくなくなっていくわけですよね。
大槻 僕は「レティクル座妄想」っていうアルバムを出したツアーの直後から、ちょっと頭おかしくなっちゃった時期があって。けっこうそれはつらかった。それもあったのかもしれないね。とにかくその頃、俺は鬱で。井上陽水さんの「青空、ひとりきり」って歌で「楽しいことならなんでもやりたい 笑える場所ならどこへでも行く」ってあるんだけど、まったくその気持ちだったの。筋肉少女帯は長いこともあるし、多少ギクシャクしてきた部分もあったので、打ち上げなんかでもだんだん居場所がないっていうか、ワーッて楽しいところがないっていうのが心の底からつらくなってきたの。だからソロでわりと楽しくできる、ワイワイできるメンバーと(笑)。その頃、川井健っていうパーティ野郎みたいなキーボーディストがいて、彼はいつも楽しくしてるんですよ。だからカワケンとかとバンドやって。そしたらそのあと、カワケンはその楽しい部分が気に入られたのか、大塚愛さんのディレクターみたいなことやり始めたんだけど、面白がられたんだろうね。大塚愛のライブの最後にラーメン屋の格好で上がってきて、出オチ役やってた(笑)。そんなことはいいとして、それはあったな。打ち上げがつらかったね、あの頃。「レティクル座妄想」以降。
内田 「レティクル座」を出してちょっと休みがあるんだよね。
大槻 そう。あの頃完全におかしくなってたから、俺。で、ソロもやってたじゃん。
──リハビリ的な意味でソロをやってるんだけど、それがほかのメンバーにはそういうふうに見えなくなってたわけですよね。
大槻 僕もその頃はタレントがっつりな頃で、筑紫哲也さんと高田純次さんと「27時間テレビ」かなんかのメインパーソナリティをやったような頃で。テレビの世界を見てしまうと、お金もかかってるし、まだバブルな感じもあったし。バンドの世界っていうのが小さく見えてしまう部分があるのよ。「64出てるのにまだスーファミかよ!」みたいな気持ちになっちゃうんですよ。ちょっと驕っちゃう気持ちがあって、それをバンドに持ち込んでしまったのが申し訳なかったかなという気が今はします。「なんでもっと大きい世界のことをやろうとしないんだ!」みたいな気持ち? そういうきらびやかな世界を見ちゃうと、わりとみんななるんだよね。ライブハウスでバンドやってる人がすごく大きい音楽の現場に行って帰ってくると、「なんでまだこんなスーファミみたいなことやってんだ!」みたいになるのあるじゃん。
- ニューアルバム「公式セルフカバーベスト 4半世紀」/ 2013年5月29日発売 / 3000円 徳間ジャパンコミュニケーションズ TKCA-73905
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収録曲
- 中2病の神ドロシー ~筋肉少女帯メジャーデビュー25th記念曲
- 妖精対弓道部 ~「妖精対弓道部」主題歌
- 日本印度化計画
- 踊るダメ人間
- 釈迦
- 香菜、頭をよくしてあげよう
- 機械
- 再殺部隊
- 蜘蛛の糸
- キノコパワー
- パノラマ島へ帰る
- くるくる少女
- 孤島の鬼
筋肉少女帯(きんにくしょうじょたい)
1982年に中学の同級生だった大槻ケンヂ(Vo)と内田雄一郎(B)によって結成。インディーズでの活動を経て、1988年にアルバム「仏陀L」にてメジャーデビューを果たす。1989年に橘高文彦(G)と本城聡章(G)が加入し、「日本印度化計画」「これでいいのだ」「踊るダメ人間」などの名曲を発表。特に「元祖高木ブー伝説」はチャートトップ10入りを記録し、大きな話題に。大槻による不条理&幻想的な詩世界とテクニカルなメタルサウンドが好評を博すものの、1998年7月のライブをもって活動を凍結。各メンバーのソロ活動を経て、2006年末に大槻・内田・橘高・本城の4人で活動再開を果たす。2007年9月には約10年ぶりのオリジナルアルバム「新人」をリリース。日本武道館公演や「FUJI ROCK FESTIVAL」「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」といった大型イベントへの出演など、精力的なライブ活動を展開する。2013年にはメジャーデビュー25周年を記念して、新録音によるセルフカバーベストアルバム「公式セルフカバーベスト 4半世紀」を発表した。