ナタリー PowerPush - 筋肉少女帯
オーケン&うっちーが振り返る4半世紀
バンドマンの全稼働時間って10分の1ぐらいだと思う
──大槻さんがタレントとして一番忙しくしてた頃って、内田さんはどういう感じで見てたんですか?
内田 バンドブームの頃、90年はホントに覚えてないぐらい。わりとピンク・レディー状態で。
──忙しくて記憶にないってヤツですね。
内田 かなり忘れてるんですよ。その頃、「![ai-ou]」とか出てるからね。
大槻 うん、そうだよ。映画、主演でね。
──映画に主演してた時代。
内田 大変だよね。忙しいよ!
──永井豪原作「ドス竜」とかならわかりますけど、普通にああいうトレンディな感じの映画に、大物俳優と同じ格で並ぶっていうのはありえないですよね。
大槻 「ドス竜」ね(笑)。「![ai-ou]」の方は秋元康プロデュース、堤幸彦監督、柴田恭平主演で私も主演ですよ。時代ですね。ただ、あれだけ忙しいときにいろいろやってたっていっても、バンドマンってほかのタレントさんとかに比べるとぜーんぜん暇なんだよ。たぶん普通のお仕事をなさってる方、バンドマン、すごい稼働してるタレントさんといたら、バンドマンの全稼働時間って10分の1ぐらいだと思う。
本番5秒前までゲームやってて、終わるとまたゲームの前に座る
──ボーカルは歌詞を書いたりすると忙しいでしょうけど、レコーディングが始まると暇だし、それがないとさらに暇ですもんね。
大槻 Mr.デンジャーこと松永光弘選手が、プロレスラーは実はどんだけ暇かっていうのを書いてたじゃん。ダラダラやって、タッグマッチで1日賞味5分出ればいい、みたいな。バンドも、よっぽどしゃかりきに売り出してもらってるバンドと、あとライブ依存症で徹底的にやってるバンド以外は、みんな余った時間でコツコツ掘ってけば、青の洞門が掘れるくらい時間があると思う。
内田 忙しい合間にずっとゲームまでやってたんだよ、僕。
──ツアーにも持って行ってたんですよね。
内田 そうだ!
大槻 マックが出始めた頃、内田くんが二宮金次郎のように背中に背負って(笑)。
──当時のマックって、ものすごいデカいですよね。
大槻 そうそう、あれを背負ってツアーに来たの。
内田 ものすごい高いので、ニューヨークにトラックダウンに行ったとき、担いで帰ってきたんですよ。で、二宮金次郎のように背負ってツアーに行ったら、1回で懲りましたね。
──重いですからね(笑)。
内田 ノートパソコンがない頃なんでね。それで「シムシティ」やってましたね。「シムシティ」、最初はマッキントッシュだったから。モノクロ画面で。
──モノクロ時代のマックを持ち歩いてたわけですか!
内田 そうです。そうか、忙しいけど遊んでたんだね。
──結局、自分のペースを守らないとおかしくなっちゃうから、家でのリラックス状態を保つためにゲームを持っていくようにしたいとか言ってましたよね。
内田 そうだ、超過密で、1回ツアー中に「どうしても帰らせてくれ」って言って、1日しか家にいられなかったんだけど、京都から帰った記憶がありますね。自分の部屋が恋しくなって。
──大槻さんはそういう内田さんを見ててどう思ったんですか?
大槻 また話を盛ってるって言われるかもしれないけど、内田くんは本番が始まる5秒前までゲームやってて。で、「もう行くよ!」って言うと止めて、ライブやって、終わってステージからそのままゲームの前に座ってパッとスイッチ入れたのを見たときに、カッコいいなと思いました。ある意味「ロックだな、おい」って(笑)。
内田 たぶんそれもマックの「シムシティ」で、ライブやってる間も人口が増えてたんですよね。
──ああ、なるほど(笑)。
内田 それは別に本番中にずっと「シムシティ」のことを考えてるわけではないんですけど、切り替わりというか。
大槻 その切り替わりが必要だったよね、あの頃。30カ所ツアーとかやってて。
──たぶん毎晩大酒を飲んだりのロックンロールライフに対応できる人とできない人がいるわけじゃないですか。対応できない側の2人がツアー中にどうやって過ごすのか、みたいなことで生み出したやり方なんでしょうね。
内田 そうだね。もともとデビュー前のナゴムのインディーズ時代の筋少って、ロフトとかでライブが終わるとみんなでファミレスに行ってごはんを食べたり、コンビニでなんか買って誰かの家でごはん食べたり。やっぱりみんな東京の人だから、おうちがあるんで、家に帰ったほうがいいよってタイプだったからね。
大槻 それが全国何十カ所とかのロックツアーに駆り出されたわけですよね。でも、内田くんは飲まないから。今になってあれは悪いことしたなと思ってて。飲まない人が飲む人たちのところにいても、なんにも面白くなかったでしょ、打ち上げ。
内田 いや、そんなことはないよ。
大槻 そうかい?
内田 よく言われるけど。ごはん食べたら帰っちゃうし。どうぞご勝手にって感じで。
──大槻さんも打ち上げは苦手でしたもんね。
大槻 うん。でも、だんだんお酒の味がわかるようになってきて、けっこう飲んでたな。若かったから飲めたし。
- ニューアルバム「公式セルフカバーベスト 4半世紀」/ 2013年5月29日発売 / 3000円 徳間ジャパンコミュニケーションズ TKCA-73905
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収録曲
- 中2病の神ドロシー ~筋肉少女帯メジャーデビュー25th記念曲
- 妖精対弓道部 ~「妖精対弓道部」主題歌
- 日本印度化計画
- 踊るダメ人間
- 釈迦
- 香菜、頭をよくしてあげよう
- 機械
- 再殺部隊
- 蜘蛛の糸
- キノコパワー
- パノラマ島へ帰る
- くるくる少女
- 孤島の鬼
筋肉少女帯(きんにくしょうじょたい)
1982年に中学の同級生だった大槻ケンヂ(Vo)と内田雄一郎(B)によって結成。インディーズでの活動を経て、1988年にアルバム「仏陀L」にてメジャーデビューを果たす。1989年に橘高文彦(G)と本城聡章(G)が加入し、「日本印度化計画」「これでいいのだ」「踊るダメ人間」などの名曲を発表。特に「元祖高木ブー伝説」はチャートトップ10入りを記録し、大きな話題に。大槻による不条理&幻想的な詩世界とテクニカルなメタルサウンドが好評を博すものの、1998年7月のライブをもって活動を凍結。各メンバーのソロ活動を経て、2006年末に大槻・内田・橘高・本城の4人で活動再開を果たす。2007年9月には約10年ぶりのオリジナルアルバム「新人」をリリース。日本武道館公演や「FUJI ROCK FESTIVAL」「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」といった大型イベントへの出演など、精力的なライブ活動を展開する。2013年にはメジャーデビュー25周年を記念して、新録音によるセルフカバーベストアルバム「公式セルフカバーベスト 4半世紀」を発表した。