ナタリー PowerPush - 鴉(からす)
秋田が生んだ激情スリーピースが全国進出 バンドの軌跡と1stミニアルバム制作秘話を語る
鴉が3月4日に初の全国流通作品となるミニアルバム「影なる道背に光あればこそ」をリリースする。鴉は2001年に近野淳一(Vo,G)を中心に秋田で結成され、現在も秋田を拠点に活動を続けるスリーピースロックバンド。エモーショナルかつ重厚なサウンドと心を突き刺す叙情的な歌詞で、支持を集めている。
今回ナタリーではメンバーの近野淳一、一関卓(B)、渡邉光彦(Dr)の3人にインタビューを敢行。バンドの成り立ちや、ミニアルバム制作時のエピソードについて聞いた。
取材・文/中野明子
この3人で面白いことができそうだと思った
——はじめにバンドの成り立ちを教えていただきたいんですが、いつ頃結成されたんですか?
近野 2001年に僕が始めたのがきっかけですね。2003年に卓さんが加入して、2007年にナベさんが入って現在の編成になりました。
——一関さんと渡邉さんはどんな経緯で加入することになったんですか?
一関 俺の場合は、淳一がバイト先の楽器屋にちょくちょく遊びに来てて。もともと鴉の存在は知っていて、何か一緒にできたらいいなと思ってたので「一緒にやろうよ!」って口説いて、メンバーチェンジを機に加入した感じですね。
渡邉 僕は2人から「鴉のドラマーにならない?」と誘われて入りました。
——楽曲の世界観もアンサンブルも固まっているので、現在の編成になってから1年程度というのが意外です。
近野 3人のフィーリングが合ってるので、それが音に現れてるんでしょうね。
一関 練習しているときに自分が違和感を感じたら、2人も同じように感じてることが多いし。お互いが求めてる音が近いんだと思います。
——初めて音合わせしたときのことを覚えていますか?
渡邉 それまで鴉のライブを観てて「カッコイイバンドだな」と思っていて、いざ一緒にやってみたら圧倒されましたね。「面白いことができそうだな」と思った記憶があります。
——音楽的に影響を受けたアーティストがいたら教えてください。
近野 高校時代にeastern youthにハマって。それまでは編成にこだわりはなかったんですけど、それからは「スリーピースってカッコイイな」と思うようになりました。鴉がスリーピースなのもeastern youthの影響です。
一関 中学時代はX JAPAN、高校に入ってからはMotorheadとかBlack Sabbathとかメロディックデスメタル系を好んで聴いてました。でも、 初めて組んだバンドはJUDY AND MARYのコピーバンド。並行して自分が好きなヘヴィ系のバンドも掛け持ちしてましたけど。
渡邉 僕はX JAPANが病的に好きで、一時はX JAPANとかLUNA SEAが僕にとっての音楽でした。YOSHIKIのドラミングには影響されましたね。
近野 へぇ、そうなんだ(笑)。知らなかった。
衝動のままに叫んでいた結成初期
——バンド名は漢字一文字でかなりインパクトがありますが、どなたがつけられたんですか?
近野 結成したときに僕がつけました。やってる音楽が明るくないのは当時から自覚していて、サウンドにあう名前を考えているときにとっさに浮かんで。鴉って真っ黒でカワイイ感じではないし、僕らの雰囲気にあうと思って。日本人だし漢字一文字というのがいいなと。
——名前をつけた当時は鴉が8年間も続くと思いましたか?
近野 いや。物事を計画的にやるタイプじゃないので、何も考えてませんでしたね。こうやって取材とかで「8年目なんですよね」って言われるとびっくりします。
——近野さんが鴉を結成したときに鳴らしていた音は、現在の音に近いのでしょうか。
近野 根本は同じですけど、初期はもっと激しかったし叫んでましたね。ハードコアとかメタルも好きだったのでそれに憧れていたし、当時は叫びたい衝動のまま演奏していた気がします。エネルギーがあり余ってたんでしょうね。
——その衝動は鬱屈した思いに由来していたんですか?
近野 そうかもしれないですけど、単にステージで叫んでたらカッコイイだろうなと思ってた程度で。20歳くらいのガキだったんで、とにかく強そうな音楽がやりたかったんです。
鴉(からす)
近野淳一(Vo,G)、一関卓(B)、渡邉光彦(Dr)からなるスリーピースバンド。2001年に近野を中心に秋田で結成。エモーショナルかつ重厚なサウンドと叙情的な歌詞世界で、地元で絶大な支持を集める。2008年頃より関東地区でのライブ活動を開始。2009年1月にTSUTAYA限定シングル「時の面影」を発表、同年2月に「時の面影」がiTunes Store「今週のシングル」に選ばれ各方面で反響を呼ぶ。2009年3月、初の全国流通作品となるミニアルバム「影なる道背に光あればこそ」をリリース。