シンガーソングライター・ヒグチアイが、通算6枚目のフルアルバム「私宝主義」をリリースした。
前作「未成線上」から約2年ぶりのリリースとなった本作は、 今年7~9月に配信された“独り言三部作”「エイジング」「わたしの代わり」「バランス」に加え、ドラマ、映画、ゲームの主題歌、そして本作のために書き下ろされた楽曲など全11曲入り。喪失や赦し、自己肯定を表した等身大の言葉は、同世代の女性の実感に寄り添いながら、世代や性差を超える普遍性も帯びる。サウンド面ではサクライケンタやFUJIBASEら初共演のプロデューサー陣が参加。ピアノ主体の世界観に繊細なエレクトロニクスと浮遊感のあるリズムを溶け合わせ、生活感と深い内省を行き来する歌を多層的に支える仕上がりだ。
「『進撃の巨人』The Final Season 2」のエンディングテーマとして話題になった「悪魔の子」以降、環境の変化や世間の注目を感じながら“現実の声”に立ち返ったという今作。音楽ナタリーでは、ヒグチアイが模索した「幸せ」と「愛されること」の意味、そして「自分を宝物のように愛する」というシンプルだが力強いメッセージに込めた思いについて、アルバム書き下ろし曲を中心に紐解きながら語ってもらった。
取材・文 / 黒田隆憲撮影 / 斎藤大嗣
自分は愛されてきたのか?
──前作「未成線上」から約2年が経ちます。その間、どんなことを考えていたのか、またどんなテーマを掲げて今作を制作したのか、まずお話しいただけますか?
「未成線上」を制作していた頃は、ちょうど「悪魔の子」が世に出たタイミングで、自分の人生が大きく変わった時期でもありました。その変化を楽しみつつも、やはりどこか「引っ張られた」ような感覚があったのも事実です。今回は、そうした外的な影響に左右されることなく、自分の年齢や生活実感に立ち返りながら作った曲が並びました。35歳という今の自分、そして同世代の女性たちが感じていること──そうした実感のある場所に、自然と降りていった感覚がありましたね。
──それがこの「私宝主義」というユニークなタイトルに象徴されているわけですね。
そうですね。根底にあるのは「自分は愛されてきたのか?」という問い。もちろん愛されて育ってきましたし、愛されながら生きてきたとは思うんですよ。でも「あのとき、ああ言ってほしかった」「こんな言葉を望んでいた」みたいな気持ちって、多かれ少なかれ誰の中にもあるのではないかと……たとえ、今は幸せで満たされていたとしてもです。そういう「言葉のかけら」を、私自身はたくさん抱えていて(笑)。「そのせいで自分はこうなってしまった」とは思いたくないですし、でも同時に「愛されたかった」「愛されたい」と感じていた自分を否定もしたくない。だからこそ、もう埋められない部分はあれど、こうなった今、自分は自分を愛してあげよう、と。愛される量が多くても少なくても、それは誰かと比べるものでもなく、すべての人が「自分は宝だ」と思っていい。誰にも代えがたい存在として、自分自身を宝物のように思いたい。「私宝主義」は、そんなちょっとした決意や願いを込めた四文字なんです。
──誰しも、親との関係や過去の出来事によって空けられた“心の穴”を抱えているものですが、それを正面から描くアーティストはなかなかいないと思います。ヒグチさんの楽曲は、そうした“心の穴”から目を逸らさず、むしろ白日のもとに晒すようなところがありますよね。聴く側も痛みを伴いますが、同時にそれを認めることで救われていくような感覚があります。
たぶんそれが、私の一番やりたいことなんです。特技と言うと大げさですけど(笑)、そういう痛みを自分が矢面に立って発信することで、「そういう人間もいるんだ」と感じてもらいたい。すべてがキラキラしてきれいなものだけだと思ってしまいがちな世の中だからこそ、そうじゃない現実もちゃんと見せたい。それが自分の役割というか、仕事なのかなと思っていますね。
──「未成線上」について「終着駅の先にある風景」や「本当ならたどり着くはずだった先の景色」を描きたかったと以前おっしゃっていました。そうした思いは今作にも引き継がれていると思いますか?
重なる部分はありますね。というのも、「その先」に自分が立ってみて初めてわかることがたくさんあったんです。例えば、「もう戻れない」という感覚。20代の頃は、たとえ遠回りをしてもすべてがどこかでつながって、やり直せると思っていた。でも実際は、人生のいろんな場面で点を置いていくうちに章が変わっていく。第1章が終わり、第2章が終わり、第3章に入ったときには、もう第1章のことは書き直せない。そういうことが、「その先」に立った今だからこそわかるんです。
──そういえばヒグチさん、朝井リョウの「イン・ザ・メガチャーチ」は読みました?
え、ちょうど昨日「イン・ザ・メガチャーチ」の話をしてたんですよ(笑)。ある人に「絶対読んだほうがいい」って言われて。「あなたがそれを読んだらどう感じるか知りたいから、ぜひ読んで」と。
──あまりネタバレにならないように話しますが、冒頭で「人生とは、これまでやってきたことが還ってくるものだと思っていた。(中略)これからは違うのかもしれない。今後還ってくるのは、これまでやってきたことよりも、これまでやってこなかったことのほうなのかもしれない」という、登場人物の1人の独白があって。今のお話を聞いて、それを思い出しました。
もうグサグサくる話ですね(笑)。若い頃に先輩たちが「若いうちにやっといたほうがいいよ」と言っていた意味が、今になってようやくわかることとかもたくさんある。しかもそれ、今から始めたところで遅い場合も多いというか。もちろん年を重ねてからもできることはあるけど、そのときの感覚でしかできないことは確かにある。とはいえ、それを下の世代にわざわざ伝えようとは思わないんですよ、私は。結局のところ、自分で見付けていくしかないと思うから。
今の自分が出せる答え
──アルバム構成で言うと、“独り言三部作”の3曲に加えて、「未成線上」以降のタイアップ曲、そして書き下ろしの新曲が収録されています。本格的にアルバムを作るモードになったのはいつ頃ですか?
確か今年の夏くらいだったと思います。夏前から「そろそろ自分の曲を書かなきゃ」と思い始め、そのタイミングでアルバムの話も出て。「ああ、アルバムか。じゃあ曲を作らないと」みたいな(笑)。そこから“独り言三部作”も動き出しました。「静かになるまで」だけは1年半ほど前のライブのアンコールで歌っていたので、時系列でいうとこれが一番古い。タイアップ曲を除けば、今回収録された中では最初に作った曲です。それ以外の曲は、“独り言三部作”とほぼ同時期に書きました。
──アルバムの全体像が見えてきた、と感じたのはどの曲ですか?
「花束」ですね。今回のツアータイトル「ただわたしがしあわせでありますように」を決めたあと、それを歌詞にそのまま入れようと思ってこの曲が生まれました。作り方としては、いつもとは逆というか、先にテーマがあって、それに音楽を合わせていった感じです。「花束」を作りたい、この曲ができればアルバムが完成する、と思ったことがアルバム作りの原動力になったとも言えます。
──「花束」の歌詞「歯医者の壁にかかっているような 大きな花束のパズルが心だとして」をもじるわけではないですが、アルバムというパズルの最後のピースのような曲だったと。
そうですね。「こういうことを書きたい」という思いはずっとあったけれど、それをちゃんと曲にできていなかったんです。実際「花束」を書いたことで、ツアータイトルやアルバムタイトル、作品全体のコンセプトが一気にピタッとハマった感覚がありました。
──この曲は、欠落や喪失といった感情を抱えながらも、それを少しずつ許し、救っていくような、そんな優しさを感じる曲でした。
あんまり好きじゃないけど「親ガチャ」という言葉があるように、親は選べない。つまり「自分がどこに生まれたか」からすでに勝負が始まっているわけじゃないですか。その現実を、実家を整理しているときにすごく感じたんです。過去に何かつらい経験をして、「それがあったからこそ、今の自分がある」とも言えるけど、「あれがなければもっと幸せだったかもしれない」という思いも拭いきれない。それを自分自身にどう納得させればいいのか、ずっと考えていました。考えても答えは出ないし、「答えが出ない」ということ自体が答えなのかもしれないとか。そんなふうに、今の自分が出せる答えをそのまま歌ったのがこの「花束」です。
──「大きな花束のパズル」というモチーフはどこから来たのですか?
なんだったかな……確か、実際に歯医者で見たんだと思いますね。壁に地中海っぽい風景画が飾られていて、「なんでこういう絵がどこの歯医者にもあるんだろう?」とずっと考えていたんですよ。で、ふと「あれがもしパズルだったら」と考えたところから広がっていった気がします。
──遠目で見たらきちんとしていても、よく見ると欠けていたり不ぞろいだったり。それって現代を生きる誰もが思い当たることだと思います。
そうなんですよね。ちゃんとしているように見えても、どこか欠けているところがみんなある。人に言えない部分かもしれないし、自分でも気付いていないところかもしれない。でも「なんか生きづらいな」と感じたときに、「あのときのあれが原因なのかもしれない」と思えるほうが楽なこともある。理由があったほうが、人は少し安心するんですよ。そして、あえて「今の不幸」の中に留まろうとする人もいる。そういう生き方も、理屈では理解できてしまうんですよね。「不幸でいるほうが、小さな幸せもちゃんと幸せだと感じられるでしょ」と言われたら、ムカつくけど確かにそうだなと。
──「自分は不幸である」と毎日決意しながら生きていく人に対しては、「このまま、ないものを探して 足りないことをいつも嘆いて 正しいことだけを求めて 不幸纏って生きていくの?」「このまま、憎しみを抱えて 優しさをいつも疑って あなたがいることを忘れて 孤独に見せて生きていくの?」と問いかけています。
そこに気付けているならまだいいんですけど、気付かずにいると、いつまでも抜け出せない。だからこの曲でも「選べた人生を 選べなかったことも 誇って許して解いてあげたい」「本当はもっとはみでた人間だと 名札をつけてもいいのよ」と歌っているんです。それが幸せへの道だと思うから。20代の頃は「全部ひっくるめて、それがあったから今の自分がいる」と素直に歌えたけど、今はそれがどれほど綺麗事かもわかってしまった。今の自分の年齢だからこそ、「花束」みたいな曲が書けたのだと思いますね。
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不幸を選ぶ決意





