不幸を選ぶ決意
──「一番にはなれない」は、不倫について歌った曲ですね。
友達が不倫していたときの話で、「曲にしていいよ」と言ってくれたので書きました(笑)。相手にどんどん飽きられていくのをわかっていながら、どうしてもその関係を断ち切れない。その姿を見ていて、痛いほど気持ちがわかったんです。好きだから離れられない。関係性は間違ってるとわかっていても、そこに居続けてしまう。そこには、「花束」と同じように「不幸を選ぶ決意」みたいなものがある気がします。
──だからこそ「不倫」というテーマを超え、普遍的な痛みとして多くの人が共感できるのだと思います。
不倫じゃなくても、恋愛には「飽きられる」「すがる」「報われない」みたいな構図が生まれやすいですしね。それに、世間的には決して褒められるような関係ではなかったとしても、歌の中ではそれを責めたくないんです。むしろ光を当てたい。なぜなら、そこには確かに「人を愛する気持ち」があるから。そこまで誰かを愛せるというのは、ある意味「才能」でもあると思っているんです。どんな関係の裏にも、そうならざるを得なかった理由や、誰かを深く愛する力がある。彼らを「正しい」「間違ってる」で裁くのではなく、「そんなふうに弱かったり、ずるかったりしても、あなたはもう宝物なんだよ?」と伝えたいんですよね。「やめなよ」と忠告するのは確かに正論かもしれないし、長い目で見たらその人のためになるのかもしれない。でも、私は今、弱かったりずるかったりしているその“瞬間”に寄り添いたいんです。そんな気持ちでこの曲を書きました。
自分の目で見て、自分の頭で考えて、自分の意思で判断して
──「静かになるまで」は弾き語りで、アルバムの中でも特にシンプルでむき出しの曲ですよね。SNSでの「誰かが誰かをジャッジする空気」への違和感も、背景にあるのかなと思いました。
解釈はいろいろあると思います。誰かが何かを言って、それによってほかの人が意見を変えたり、立場をコロッと変えたりするのを見ると、どうしても苦しくなるんですよ。私は、その人自身が自分の目で見て、自分の頭で考える状態でいてほしい。誰かの言葉で動くんじゃなくて、自分の意思で判断してほしい。そんな気持ちが込められています。
──つまり「自分の物差しを持つ」ということですね。
そう。おごった言い方になるかもしれないけど、結局“人を見る目”みたいな話なんですよね。自分が「この人いいな」と思うならそれでいいし、「何も思わない」でもいい。芸能人のこととかもそう。他人なんだから、わざわざ評価しなくてもいいわけで。全部を知った気にならないでいたい。ちなみにタイトルは、例えば騒がしい教室に先生が入ってきて、「静かになるまで何分かかりました」っていうあの感じ。私は、今の騒がしい世の中を眺めながら、いつもそんなふうに思っているんです。「いったいいつになったら静かになるんだろう?」って。全部が静かになったときに、ようやく自分の声や本当の気持ちが聞こえてくる、そんな感覚を歌にしてみました。
大切なものを守るための戦い
──「ぼくらが一番美しかったとき」だけ、一人称が「ぼく」になっています。
これは、スマホゲーム「アークナイツ」の周年企画のために書き下ろした曲です。そのゲームの世界観が「自分の街を守るために戦う」というもので、誰かを攻めるのではなく、侵入してきたものを退ける防衛的な戦いなんですよ。その構図が、自分の理解できる「戦争」の感覚とすごく近くて。私も、攻めに行くことは一生ないと思うけど、大切なものを守るためなら戦うことはあるかもしれない。そういう感覚がしっくりきたんです。
──「守るための戦い」というモチーフが、恋愛や人間関係にも通じているように感じます。
書いていた頃は地震などの災害が重なっていた時期で、もし自分が誰かを助ける立場になったらどうするだろうと考えていました。恋人や家族を助けたいと思っても、状況によっては全員を救えないかもしれない。そんなときに、そばにいる人、今助けを必要としている人を真っ先に助けられる人でありたいと思ったんです。その姿を遠くにいる家族や恋人が、誇らしく感じてくれる。そんな関係が理想だなって。たとえもう一生会えなくても、「あの人はきっと、誰かのために優しさを注いでる」と思えたら、それはそれで幸せなのではないかと。お互いが別々の場所で、それぞれの使命を果たしている、その一瞬の輝きを曲名にも込めました。一人称を「ぼく」にしたのも、自分の性別からも距離を置いて描きたかったんだと思いますね。
──サクライケンタさんやFUJIBASEさんといった初共演のプロデューサー陣が参加しているのも印象的です。
サクライさんは、スタッフの方から薦めてもらったのがきっかけです。10曲ほど聴いた段階で「ものすごく引き出しの多い人だな」と思いました。私は人を驚かせるタイプの音楽があまり得意ではないんですけど、サクライさんの書く曲は、ちょっとダークめでありながらその「驚かせ方」がユーモラスで上品なんです。音の重ね方や意外な音の選び方など、聴くたびに発見もある。そのバランス感覚が素晴らしく、とても信頼しています。
──FUJIBASEさんとの出会いは、Instagramがきっかけだったとか。
そうなんですよ。私がFUJIBASEくんの曲をストーリーズに「すごく好きです」と投稿したら、本人から「ありがとうございます!」とDMが来て。普段、自分から「アレンジをしてください」と言うことはほとんどないのですが、やりとりしていくうちに「一緒にできたらいいね」みたいな話になり、実際にお願いしてみたら「こんなに早くオファーをもらえるとは思わなかったです」と言われました(笑)。彼の作る曲はどれも好きなのですが、音の質感や余白の取り方に特に惹かれましたね。音楽性は近くはないのですが、共鳴するところがたくさんありました。
今の自分の“現実の声”に一番近いアルバム
──「私宝主義」は、これまでのキャリアの中でどんな位置付けの作品になったと感じていますか?
やっぱり、自分の内側を書かないとシンガーソングライターではないなと改めて思いました。ここ最近は「こう思いたい」「こうなりたい」という理想を強めに書くことも多かったけど、今回は目の前にある現実をそのまま見つめて書いた感じ。背伸びもしていないし、落ち込んでもいない。すごく等身大で、今の自分の“現実の声”に一番近いアルバムになったと思いますね。
──そして「私宝主義」を携えた全国ツアーが控えています。
ライブでまだ一度もやっていない曲が多くて、しかもバンド編成と弾き語りがあるので、どっちでどうやるかを考えるのが大変です。バンドのほうがアレンジ面では大変かもしれない。ギターが難しい曲やコーラスの多い曲もあるので、どこまで生演奏でやるか、どれくらいオケを使うか、あるいはサポートを入れるかなど、まだ悩んでいます。
──弾き語りのほうはどうですか?
私は曲を作るとき、基本的にピアノと歌なので弾き語りのイメージは自分の中ではできているんですが、お客さんはピアノアレンジを初めて聴くわけじゃないですか。「そう来たか!」と驚かせたいですね! とにかく、バンドセットにしても弾き語りにしても、アルバムの曲たちを初めて披露する瞬間に立ち会ってもらえることが、今からとても楽しみです。
公演情報
HIGUCHIAI solo/band tour 2025-2026
“ただわたしがしあわせでありますように”
-solo-
- 2025年11月23日(日・祝)東京都 日本橋三井ホール
- 2025年11月24日(月・振休)宮城県 エル・パーク仙台 スタジオホール
- 2025年11月29日(土)兵庫県 KOBE QUILT
- 2026年1月10日(土)広島県 広島CLUB QUATTRO
- 2026年1月11日(日)香川県 高松オリーブホール
- 2026年1月17日(土)福岡県 RESOLA HALL
- 2026年1月24日(土)北海道 モエレ沼公園 ガラスのピラミッド
- 2026年1月31日(土)長野県 千石劇場
-band-
- 2026年2月13日(金)東京都 Zepp DiverCity(TOKYO)
- 2026年2月22日(日)大阪府 GORILLA HALL OSAKA
- 2026年2月23日(月・祝)愛知県 名古屋ReNY limited
- 2026年3月15日(日)韓国 Shinhan Card SOL Pay Square
プロフィール
ヒグチアイ
1989年11月28日生まれ。香川生まれ長野育ち。2歳からピアノを習い、18歳でシンガーソングライターとして活動を開始。大学進学に伴い拠点を東京に移す。年間150本以上のライブを行い、年齢や性別を問わず、幅広い層の支持を獲得。2014年2月に初の全国流通盤となるアルバム「三十万人」をリリースし、2016年11月にアルバム「百六十度」でメジャーデビューを果たした。2021年にポニーキャニオンへ移籍。2022年1月に配信された「『進撃の巨人』The Final Season 2」のエンディングテーマ「悪魔の子」が話題となる。近年は香取慎吾、のん、青山吉能、ChroNoiRら他アーティストへの楽曲提供を行うほか、アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の主題歌を含む多数曲の作詞を“樋口愛”名義で手がけている。2025年2月よりアフロ(MOROHA)とのユニット・天々高々としても活動中。10月に6thアルバム「私宝主義」をリリース。11月には弾き語りソロセットとバンドセット、それぞれの形態による全国ツアーをスタートさせる。
ヒグチアイ (@higuchiai.1128) | Instagram





