蓮沼執太×編集者 若林恵|同じ音楽を聴く、奏でるということ

昔の蓮沼さんが今の蓮沼さんを見たら怒りそう

──蓮沼さんは実験音楽とか現代音楽にも造詣が深いじゃないですか。もともと好きで聴いていたのか、勉強しようと思って聴いていたのかも気になってました。

蓮沼 例えば(カールハインツ・)シュトックハウゼンを聴いてそのすべてが面白いわけでもないですけど、作品背景やコンセプトを知ったうえで聴くと勉強的な意味合いを含め、新しい発見がたくさんありました。ポップミュージックとは大きさは違いますけど、音楽なので聴かないと面白さはわからないですよね。

若林 そういうのをヘビーに聴いてた時代もあるんですか?

蓮沼 大学生の頃は特に熱心に聴いていました。今でも機会があれば聴き直したりします。

若林 蓮沼さんはデビューした頃のほうがそういう影響とかコンテクストが見える感じがするじゃないですか? それが音楽的になっていく中で、ある種の参照点を失っていく流れになるのが面白いなと。普通は逆ですよね。だから「この人、何をやってるんだろう?」ってなる(笑)。

蓮沼 ですよね。

若林 かつては好きでなかったJ-POPへのアンチテーゼみたいな気分もあるんですか?

蓮沼 いやいや、音楽に対してアンチはないです。好きなJ-POPだってたくさんあります。ただ、自分がこういうスタイルの音楽を作るとは思っていませんでした。フィールドレコーディングして、プログラミングで電子音を作っていた人間がアンサンブルを組んで音楽をやったり。人生何があるかわからないな(笑)。

若林 昔の蓮沼さんが今の蓮沼さんを見たら怒りそう。「何やってんだお前」って(笑)。

蓮沼 今では歌ってるし。昔の自分に怒られるかもしれないですけど、昔は物事を表層的にしか見てなかったんだと思います。さっき「フィールドレコーディングは大きなリズム」って言いましたけど、今は人との関係性というエコロジーのリズムの中でどのように現代的な新しい音楽を作っていくかを実践しています。なので、特定のジャンルの音楽をやりたいっていうことでもない。当時の自分は「電子音をやるんだ! だったらこのマナーを守れ!」みたいな気持ちが強かったとは思いますけど。活動を続けていくにつれて、本質的に音楽を追求していく気持ちになっていったというか。

若林 人と出会い、コミュニケーションが発生するというダイナミクスがあって、それを使って音楽をやったらこういうことになるよねと。ラボと言うか、蓮沼さん自身コミットしてるけど、どこかですごく俯瞰して見てる感じなんでしょうか。

蓮沼執太

蓮沼 実験とかではなくて、一応仮説と実証は自分の中でやって、そのうえで「実際やってみなきゃ、どうなるかわからないぜ」という感じなので、結局は俯瞰できてないです。蓮沼フィルは、人を使って集合知で曲を作るプロジェクトみたいに思われがちなんですけど、今の作り方はもっとオーソドックスな方法で音楽を構成しています。楽器編成が変わっているのでユニークに見えるだろうけど、最近はバンドに近くなってきたようにも感じます。

若林 こういう言い方をすると語弊があるかもしれないですけど、どう聴いていいかわからない感じがして。逆にめっちゃ難しいと言うか。普通にギーッて電子音やられてたほうがわかる(笑)。だからわかりづれーなって思ったりします。

蓮沼 なんなんでしょうね。

自分はやっぱり
シンガーソングライターじゃない

若林 歌詞は自分で書いてるんですよね。歌詞って重要なコンポーネントなんですか? それとも音楽をドライブさせたりフロウさせたりする音の要素として捉えているんですか?

蓮沼 本質的には音の要素として捉えてます。ただ旋律に乗っかるので当然、意味性が出てくるし、意味のナラティブなものと、旋律が持っているナラティブな要素が重なって生まれるダイナミクスを音楽の中で使っているし、逆に使ってない部分もあります。もちろん大切な要素ではありますけど、作曲者の立ち位置から捉えると、それも楽器の1つとしています。

若林 日本のポップスに対する批評って音楽の話はあまりしなくて、歌詞に共感できるみたいな話が圧倒的に多い。例えば「ここにコップがある」っていう言葉が、音楽によってどれだけ意味が拡張できるかが試されてないと面白くないじゃないですか。そういう意味で、音の要素であるっていうのと意味が乗っかるっていうのはすごく複雑なことだなと。それも蓮沼さんは面白いところなんですよね? 言葉に意味が乗っかることで別のレイヤーができるのは。

蓮沼 僕の前のアルバムが「メロディーズ」という作品なんですが、自分はやっぱりシンガーソングライターではないんです。メロディと言葉が一緒にならない。別々なものなんです。「メロディーズ」は我流的なポップスのマナーで作ってみたアルバム。でもやっぱりその道のプロではないし、制作プロセスにもすぐに飽きちゃって。僕、散文を普段からノートに書いてるんですね。それは歌詞のために書いたものというより、コンセプトみたいなものの散文なんです。展覧会の作品作りに使えるやつとか、まあ普段考えていることを記述していて。今回はそこからそのまま歌詞にしてます。だから、歌謡曲的な作詞という感じではないんですね。つまりポップス批評からさらに遠いところへ(笑)。

──思いを歌にして乗せたいというタイプではない?

蓮沼 そうです。ただ、そういうコンセプトを込めた下書きになるリリックを自分で書いて、フィルに参加してくれている環ROYに渡すじゃないですか。彼には彼自身のフロウがあるから、僕が作ったドラフトを手直ししてラップするんですね。なので、蓮沼フィルのアルバムは歌詞だけではないんですが、メンバーが関わることでアウトプットのレンジは広がりますよね。

若林 なるほど。シンガーソングライターではないとすると、蓮沼さんは自分のことは何だと思います? 音楽家?

蓮沼 そうですね。

若林 自分としては、それは何を意味していますか?

蓮沼 分業されたそれぞれのエキスパートが集結することによってできあがるのが音楽だと思うのですが、僕の場合はその作業を分担してないと言うか。専門性が融解してしまっています。作曲するし、演奏するし、展示する作品も制作するので、便宜上から音楽家と、言ってます。でも、近代の欧米が作り上げてきた音楽制作の決まりごとを自分自身が緩やかに捉え直すには有効なやり方かな、とは思っています。