G-FREAK FACTORY|「VINTAGE」に収められた“beforeコロナ”最後の言葉たち

今の時代の中で光らないといけない

──そんな中、3年4カ月ぶりとなるフルアルバム「VINTAGE」がリリースされます。その間、シングルのリリースとそれに伴うツアーがあったせいか、アルバムが3年も出ていなかったことに驚きました。

ね。何かと理由をつけてライブしてたから。俺ら「休んでいいよ」って言われたらとことん休んじゃうんで、スパルタ事務所でよかったなと思うわ(笑)。リリースして全国を旅して……って当たり前にできていてよかったなあ。

──メンバーチェンジがあったり、初の日比谷野外大音楽堂でのライブがあったりと、大きなトピックスの多い3年間でもありました(参照:新ドラマー加入したG-FREAK FACTORY、6月にニューシングル発表 / ローカルバンドの最高傑作・G-FREAK FACTORY、晴れの日比谷野音に立つ)。振り返ってみていかがですか?

茂木洋晃(Vo)

そうだねえ。野音のライブは、あの霞が関という場所で“届かないけど吠えてる”みたいな感じが本当に贅沢だったな。野音は俺らがバンドを始めるよりもずっと前からあそこに根っこを張ってる会場で、大先輩の数々の歴史があって。そういう場所はやっぱり背筋が伸びるよね。続くって、すごいことだよなあと重みを感じた。

──それこそ「ヴィンテージ」でも“続けること”がテーマとして歌われていますよね。この曲には、長くバンドを続けてきたG-FREAK FACTORYだからこその説得力があるなと思いました。

「ヴィンテージ」は一晩で書き上げたんだよ。このアルバムは、3年間ライブをしながらレコーディングをしてゆっくり作っていったの。一度のレコーディングで3曲ずつ録っていく形だったんだけど、あるターンのときにどうしても2曲しかできあがらなくて。レコーディング前日の夜にスタッフやエンジニアに「すみません、明日2曲でお願いします」と伝えたんだけど、迷惑をかけてしまうことが本当に悔しくて、夜中に殴り書きのように書き上げたのがこの曲。清書もないし、言ったらデモのまんまの状態で。そのぶん、嘘がないんだよね。時間があったら、例えば韻を踏んだり、バンド以外の音を入れたり、もう少しきれいに整えてたと思うんだけど、20年田舎でやってきたローカルバンドが放てるものという意味では、こういうものを出してもいいのかなと思った。

──G-FREAK FACTORYらしいというか、歌詞がまさに茂木さんがライブで言っている言葉のようで、すっと入ってきます。

実は、この曲をレコーディングしたのは「FLARE / Fire」(2019年5月発表のシングル)の前。「FLARE / Fire」のツアーのときにはすでにできてたのね。だから、ツアーではいつもこの曲のAメロの歌詞を「ダディ・ダーリン」の前に言い続けてたの。「あれがこうなったか!」という見せ方をいつかしたいなと思っていて。

──どおりでどこか聞き覚えがあるわけですね。

現場ではぼやけてたものが、こうやって音とか文字になって届くという試みは今までやったことがなかったから、面白いかなと思って。

──この曲に「ヴィンテージ」というタイトルをつけたのはどうしてですか? アルバムのタイトルでもありますが。

バンドとして「今の時代の中で光りたい」と思ってるんだよね。コロナが広がる前から、今は悪い時代だと感じていたんだけど、そういう時代の中で「光らないといけない」って。だったら思い切って、自分たちで自分たちのことを「ヴィンテージ」と呼んでやろうと。今までは遠慮してたというか、自分たちに対してそんなこと言えなかったんだけど、結成して2、3年のバンドには書けない曲だろうなと思ったし、「言っちゃえ!」って。

──特にG-FREAK FACTORYと同世代の人たちの励みになりそうな曲ですよね。

人間って、年々フレッシュさがなくなっていく代わりに、違うものを手に入れられると思うんだよね。野球選手だって、若い頃は豪速球を投げてた人が、変化球を覚えていく。その変化球が豪速球に見えたりしてさ。人間、歳を重ねるとそういう魔法みたいなものが手に入ると思うんだよ。老いていくことってめちゃくちゃ怖いし、嫌。だけど「怖いな、嫌だな」って閉じこもってたらすげえもったいないと思う。歳を重ねたからこそできること、究極のやりがいみたいなものを見つけることが大事なんじゃないかな。そういう思いがこの曲には入ってる。

茂木から見た東京の街

──いただいた資料によると、9曲目「乞え~KOE~」では東京でのレコーディング期間に見ていた景色を歌詞にしたそうですね。

そう。リリックが思い浮かばなくて「どうしようかな」と考えながら東京の街を歩いてたときに、「ホテルとスタジオの往復だけのこの数日間で感じたことを書こう」と思い付いたんだ。

茂木洋晃(Vo)

──茂木さんの目に、東京はどのように映りましたか?

すごく寂しそうだった。その寂しさも東京の魅力の1つになっているのかもしれないけど。みんなイヤフォンして、下向いて、「これが普通だ」という顔しながら満員電車に乗って。偏見もあるんだろうけど、夜になると信号機が点滅して自由に道路を走れるような田舎から出てきた俺は、「みんな、この街に疑問はないのか?」と思っちゃって、ものすごく寂しさを覚えたね。

──寂しさ、ですか。

だってさ、それこそ地元では「あそこん家、バンドやってるんだぞ」「ライブハウス行ってるみたいだけど、大丈夫かね?」みたいな風評被害を受けたくらいで。東京じゃお互い干渉し合わないのがマナーみたいなところもあるよね?

──そうですね。私は隣人がどんな人か、何の仕事をしている人なのかまったく知りません。

マジで!? 地震来たらどうするの? もし俺が東京に住むことになったら、マンションの住人全員に挨拶するよ。「群馬から来ました」って。なんなら「バンドやってます」ってG-FREAK FACTORYのタオルも配る(笑)。でも干渉し合わないというのが、都会で生きる術なんだろうね。田舎は街灯も少なくて、もともと寂しいんだよ。だからそこにみんなで明かりを灯そうとがんばるんだよね。ただ、どっちがいいとかどっちが正解ということはないし、自分が「これが幸せなんだよ」と言い切れるように生きていけばいいんだけど。

音楽をやっててよかったと思いたい

──アルバムの最後を飾る「呉々も日の暮れと」についても聞かせてください。この曲ではG-FREAK FACTORYには珍しく、孤独が歌われています。

去年の春先、プライベートでいろいろあって、もうボッコボコだったの。「ARABAKI ROCK FEST.19」とか「SATANIC CARNIVAL'19」の開催の時期だったんだけど、楽屋にも入らず、移動も1人にしてもらって、隅っこでひたすらスマホ見てさ、正直ライブできるような精神状態じゃなかった。でも、ライブが終わったときの爽快感はずっと変わらなくて「ライブに救われてるんだ」と思って……という繰り返し。で、今書けることはこれしかない、と自分の身の上のことを含みつつ書いたのがこの曲。傷口がようやくかさぶたになって、でも剥がしたらまだ全然乾いてないじゃねえかよっていう状態をそのまま書いただけなんだけど。今でもあるんだよ。川に行って「ああ、きれいな夕日だなあ」と思って帰れる日だけじゃなく、きれいな夕日に殺されそうなくらい寂しくなるときが。そういうときはひたすらギターに向かうのさ。

──ライブや音楽に救われた茂木さんが作る曲だから、救いのある優しい曲になったのかもしれないですね。

そうかもしれない。俺は「音楽をやっててよかった」と思いたいんだよね。音楽に限らず、やってきたことが正解だったと常々思えるように生きなきゃいけない。だから、自分の傷を曲にして、それが誰かにとっての救いになったらうれしい。それこそコロナもそうだよね。「コロナがあってよかった」くらいのことを言ってやりてえ。「コロナがあったから、これができたんだよ」って。結果オーライになるようなものを、これからも作っていかないとなと思う。