G-FREAK FACTORY|「VINTAGE」に収められた“beforeコロナ”最後の言葉たち

G-FREAK FACTORYが7月15日にニューアルバム「VINTAGE」をリリースする。

1997年に結成されて以降、群馬県が生んだ“ローカルバンドの最高傑作”として邁進してきたG-FREAK FACTORY。ボーカルの茂木洋晃は新型コロナウイルス感染拡大防止のための外出自粛期間中も群馬で生活を送り、地元のよさを再確認しつつ、今後の活動に思いを馳せていたという。音楽ナタリーでは茂木への単独インタビューを行い、「“beforeコロナ”の時代に何を考えていたか、どんな顔で笑っていたか、どんなことで泣いていたか」が詰まっているという「VINTAGE」について、そして“with コロナ”の時代に対する決意を語ってもらった。

取材・文 / 小林千絵 撮影 / 斎藤大嗣

心から地元が好きになった

──ここ数カ月の外出自粛およびライブハウスの営業自粛期間中はどのように過ごしていましたか?

改めて、群馬という自分の地元を好きになる時間と捉えていて。今まで地元で見過ごしていたようなものを見るようにしてた。具体的に言うと、俺はね、毎日近くの川に行ってたの。

茂木洋晃(Vo)

──川ですか。

今回のことでさ、みんなオンラインとオフラインの使い分けができるようになってきたと思うんだよね。インタビューもほとんどリモートだったし、仕事のジャンル的にリモートでできることがあると気付いた人もいたと思う。一方で、秘密の話なんかはオフラインじゃないとできなかったりする。そういう中で、俺は“贅沢なオフラインの空間”を群馬で作ってみようと思ったんだ。川を清掃して流木を使って橋をかけてみたり、キャンプ道具をそろえて料理に挑戦してみたり。田舎だからもともとソーシャルディスタンスは取れてるし、人に会わないから密でもないし。これまであった「東京でなければダメだ」という錯覚みたいなものがなくなった今、これまでとはまったく違うローカリズムに挑戦してた。

──G-FREAK FACTORYはこれまでもずっとローカルバンドとして群馬に根を張って活動していましたよね。今までとはまた違う意識が芽生えたということですか?

うん。これまでは、どこか無理やり「地元最高だ」と言ってたところがあってさ。ちょっと自虐めいたところもあったし。群馬に限らず、北関東の人ってみんなそうだと思うんだけど、心の中では半信半疑で、「俺たちの地元が一番」と言っていないと倒れちゃうみたいなところがあった。だけど俺は今回、本当に心から群馬が好きになったね。「東京にも週3くらいで行けるし、自分の庭みたいな川があって自粛しながらBBQもできるし、最高じゃねえか!」って。

とにかくへこたれないように

──音楽活動の面ではいかがでした?

音楽も川でやってたよ。ちょうど、ギターを弾く、ハーモニカを吹くという新しい役割が増えたところだったから、その修行みたいなことをしてた。川にBluetoothスピーカーを持っていって「どの曲が川にハマるか?」と考えたり、川の音を録音して、家に帰ってその音に合う曲を探してみたり。なんなら今までよりも音楽に触れてたような気がする。川で昼寝してたらリリックが降ってきて「よっしゃー!」って慌ててギター弾いたりさ。

──アルバムの表題曲「ヴィンテージ」のミュージックビデオでも茂木さんがアコースティックギターを弾いていて驚きました。担当するパートが増えたのはどういう経緯からだったんですか?

エレキギターは作曲するときにはいつも使ってたんだけど、アコギは持ってなくて。そしたらTOSHI-LOW(BRAHMAN、OAU)に「ギターを弾きながらアコースティックライブをできるくらいになったほうがいいから、とにかくギターを買え」って言われたんだ。「わかった。じゃあ、その代わりに責任取れよ」ってギターの後ろにサインを入れてもらって(笑)、それがアコギを始めたきっかけ。レコーディングでは原田(季征 / G)がアコギを弾いてるんだけど、MVでもあの質感を再現したいという話になって「茂木やれ」という話になって。アコギを買ったばかりで「弾けるかな?」と思ってたときに自粛が始まったの。だからギターを練習するための時間ができたなと思うようにしてる。

──意図せずに生まれてしまった時間をうまく使っていたんですね。

そうだね。あとは「これからどうすべきか?」と考えてた。とりあえず緊急事態宣言は解除されたけど、今までとはまったく違う日常で、ライブも思うようにできないから。

──ライブハウスも少しずつ営業を再開していますが、それこそG-FREAK FACTORYのようなパンクバンドにはなかなか厳しい条件ですよね。

本当に。正直な話、お客さんを満タンに入れて、飛沫なんか気にしないライブだって、やろうと思えばできるんだよね。でも、「俺はいつ死んでもいいし、コロナなんて関係ねえ」とは言えない。お客さんに何かあったら困るし、それでまたライブハウスが槍玉にあげられたら、俺ら以降の世代のバンドにも迷惑がかかる。震災のときは悲しい思いをした人や直接被害にあった人と、そうじゃない人が支え合う形だったけど、今回は全国的、全世界的な問題だから訳が違う。エンタテインメントは2011年以降、災難に対する向き合い方を模索しながら進んできたけど、今回は「公演をやっちゃいけない」というところにたどり着いてしまったんだよね。しかも俺らはこの20年間、現場メインでやってきて。その現場を取り上げられたら、どこで誰とどうつながったらいいんだ?っていう。でも突破口は絶対にあるし、そこに向かっていないとダメだなとは思ってる。

──今の時点で、突破口は見えていますか?

茂木洋晃(Vo)

基本的に俺は、ただの配信ライブを続けるのはちょっと違うなと思っていて。「俺ら生きてますよ」ってことは伝えられるけど、デバイスによって見え方も違うし、コールもレスポンスもない。俺らはずっと現場でやってきて、現場を“試合”だと思ってるわけ。「俺は先週のライブからここまで強くなったんだよ」というのをお客さんに見せて、観に来たやつらも「俺は前回のライブからこういうことがあって」という思いをぶつけてくる。その顔が見えて、その熱量を感じて、しのぎ合うことで現場が作られてきたんだよね。だから一方通行になってしまう配信ライブに慣れてしまうのは嫌だなと思ってる。今考えているのは、例えばVJを入れたCGありの生配信ライブ。ライブハウスで体感するライブとはまったくの別物として、“観ること”に特化した配信ライブならアリかなと。それができるようになったら、ライブハウスが通常営業に戻ったあとも、週末は各地のライブハウスでライブをやって、平日はオンラインで配信ライブをするという感じで続けていけるだろうし。とにかくへこたれないようにしようと思ってるよ。