音楽ナタリー PowerPush -大滝詠一 ベストアルバム「Best Always」発売記念特集 曽我部恵一×OKAMOTO'S対談
曽我部とOKAMOTO'Sが覗いたナイアガラサウンドの深淵
大滝詠一初のベストアルバム「Best Always」がついに完成した。はっぴいえんど時代の楽曲から、彼にとって最後のレコーディング楽曲となった竹内まりやとのデュエット「恋のひとこと ~Something Stupid~」まで、レーベルの垣根を越えた35曲で構成された、文字通りのオールタイムベストアルバムだ。
唯一無二の“ナイアガラサウンド”を生み出し、老若男女が耳にした大ヒットソングも、マニアをうならせるディープな作品も作り上げてきた大滝詠一。ナタリーでは深淵かつ多角的な大滝サウンドの魅力の一端を紐解くべく、曽我部恵一とOKAMOTO'Sという世代の異なるアーティスト2組に話を聞いた。
また今回の特集では「Best Always」全収録曲の解説を掲載。これから大滝詠一の音楽に触れる読者に向けて、各楽曲の背景とその魅力を紹介する。
取材・文 / 臼杵成晃 楽曲解説 / 西廣智一 撮影 / 上山陽介
それぞれの大滝作品との出会い
──まずはそれぞれ、どのようなきっかけで大滝さんの音楽に出会ったのか教えてもらえますか?
曽我部恵一 僕は学生時代に聴いたはっぴいえんどですね。ボーカルがカッコいいなというのが第一印象で。「君は天然色」は子供の頃にヒットしていたし、それ以前から名前は知っていたんですけど、はっぴいえんどの大滝さんのボーカルがカッコいいなと思ったのが、深く興味を持ったきっかけですね。
──それまで聴いていた音楽、ボーカルにはない魅力を感じた?
曽我部 うん。なんか淡々としてるんですよね。熱演してない感じというか。
──OKAMOTO'Sの皆さんはどのように?
オカモトショウ 俺はコウキにはっぴいえんどを教えてもらったのが最初ですね。コウキは中学生の頃からはっぴいえんどを聴いていて。
オカモトコウキ 僕は音楽の入りがはっぴいえんどや村八分など、日本の古いロックだったんですよ。前のベーシストが小学校の同級生で、そいつに聴かせてもらって。そのあと大滝さんのソロの作品を聴いたんですけど、「NIAGARA MOON」(1976年10月発売のアルバム)なんかはちょっとコミカルな要素がたくさんあって、はっぴいえんどのカッコいい大滝さんから入ったので、その頃はあんまり興味が持てなかったんです。でも、のちにさまざまな音楽を聴き漁っていくうちに、大滝さんがオマージュしていた音楽に出会ったりして。たくさん音楽を聴いてやっと大滝さんのすごさがわかったという。
ショウ ロックやパンクを聴き始めた中学生当時の耳には、正直なところ大滝さんの音楽はちょっと刺激が物足りなかったですね。もっとThe Rolling StonesやThe Stooges、村八分なんかのほうがヤベえ気がする、みたいな(笑)。
オカモトレイジ 俺は「ラブ ジェネレーション」(1997年に放送されたフジテレビ系“月9”ドラマ)の印象ですね。「幸せな結末」。子供の頃にテレビで流れてる音楽として聴いてた。
ハマ・オカモト 聴き始めた時期はだいたい同じだけど、受け取り方はみんなバラバラだったよね。
尋常でないこだわり方が大滝さんの足場の強さ
ショウ 大滝さんの音楽がどんなものなのかを、自分の中で消化できるほど聴き込むことができるようになったのは、ここ3年ぐらいだと思います。
──つまり自分たちがプロとして音楽を始めたあと。
ショウ はい。いろいろな音楽を掘り進めていくうちに、The BeatlesやThe Rolling Stonesは何が好きでこんな音楽を始めたんだろう、という考え方になっていって。エルヴィス(・プレスリー)やクリケッツ(Buddy Holly & The Crickets)なんかを聴き込んでいくと、日本には実はこんな人がいて、そこからの影響をポップスに昇華してヒットさせて、さらにその影響から新しいポップスを作る人たちが生まれて……という大滝さんの歴史にぶつかるんです。それまでも「大滝さんは家にすごいマスタリング施設があって」「電気の質がいいからここに住んでる」と都市伝説のようなことを聞かされていたんだけど(笑)、単純に音楽としての素晴らしさが理解できたのは自分たちがプロになってからですね。同時に大滝さんは、自分のルーツミュージックを語って残してくれているから、いろいろな音楽が知りたい自分にとっての先生のような感じというか。この人に付いていったら間違いないっていう、大きい道を作ってくれた人だと思いますね。
──やっぱり学生時代にリスナーとして聴いていた感覚と、同じプロの音楽家の先輩としての感覚では、見え方、受け取り方は違ってきますよね。
曽我部 ここまで本気で音楽やんなきゃいけない、っていうのは見せてくれてるよね。ちょっとどうかしてるぐらいだから、ホントに。僕は大滝さんのルーツとかにはあんまり興味ないんですよ。大滝さんのルーツを聴いてピンとこないものもあるけど、あの掘り下げ方と尋常じゃない執着心が僕にとっては大事で。そこまでやんなきゃいけないんだなあ、厳しい世界だなあというのはある。マスタリングもさ、ADコンバータってのがあるでしょ。アナログからデジタルに変換する機械があるんだけど、それのいいのを見つけると、大滝さんは何台も買うんだよね。個体差があるから。色も「ボディの色で音が違う」って(笑)。
ハマ ヤバいッスね(笑)。
曽我部 その尋常でないこだわり方が大滝さんの足場の強さというか。そこが後輩として、姿勢を正してしまうところなんだよな。
──こうして2枚組のベストアルバムとして聴き返してみると、改めて立ち上る異様なオーラを感じますよね。同時に「耳当たりのいいポップスのベストアルバム」としても成立するのが大滝作品のヤバさだと思いますけど。
曽我部 マッドだよね。でもポップスの人はみんなマッドなんだよね、きっと。フィル・スペクターとかもそうだしさ。
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- 大滝詠一 ベストアルバム「Best Always」/ 2014年12月3日発売 / Sony Music Records
- 「Best Always」
- 初回限定盤 [CD3枚組]4320円 / SRCL-8010~2
- 通常盤 [CD2枚組]3780円 / SRCL-8013~4
大滝詠一(オオタキエイイチ)
1948年生まれ7月28日岩手生まれ。1970年代にはっぴいえんどのボーカル&ギターとして活躍し、解散後は自身のレコードレーベル「ナイアガラ」を創設。1981年発表のソロアルバム「A LONG VACATION」は日本のポップス史に残る名盤となった。その後も松田聖子「風立ちぬ」、森進一「冬のリヴィエラ」、小林旭「熱き心に」など数多くのヒット曲のプロデュースを担当。1997年には自身のオリジナル曲「幸せな結末」が月9ドラマの主題歌として大ヒットを記録した。2013年12月30日解離性動脈瘤により死去。2014年12月3日に初のベストアルバム「Best Always」がリリースされる。
曽我部恵一(ソカベケイイチ)
1971年生まれ、香川県出身のシンガーソングライター。1990年代からサニーデイ・サービスの中心人物として活躍し、バンド解散後の2001年からソロアーティストとしての活動を開始する。精力的なライブ活動と作品リリースを続け、客演やプロデュースワークなども多数。現在はソロのほか、再結成したサニーデイ・サービスなどで活動を展開し、フォーキーでポップなサウンドとパワフルなロックナンバーが多くの音楽ファンから愛され続けている。2004年からは自主レーベル「ROSE RECORDS」を設立し、自身の作品を含むさまざまなアイテムをリリースしている。3児の父。
OKAMOTO'S(オカモトズ)
オカモトショウ(Vo)、オカモトコウキ(G)、ハマ・オカモト(B)、オカモトレイジ(Dr)の4人からなるロックバンド。バンド名およびメンバー名は、彼らが敬愛する岡本太郎に由来する。抜群の演奏力とアグレッシブなライブパフォーマンスに定評があり、2010年3月にはアメリカのショーケースイベント「SXSW」に出演。続けて行われた全米ツアーでも高い評価を受けた。次世代のロックシーンを担うホープとして注目を集める中、2010年5月に1stアルバム「10'S」でメジャーデビュー。2011年7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '11」に初出演を果たし、10月には初のアジアツアーを開催した。2014年はCDデビュー5周年を掲げ8月にRIP SLYME、奥田民生らを迎えてコラボレーションアルバム「VXV」をリリースし、秋にアニバーサリーライブツアーを実施した。