音楽ナタリー PowerPush -大滝詠一 ベストアルバム「Best Always」発売記念特集 曽我部恵一×OKAMOTO'S対談

曽我部とOKAMOTO'Sが覗いたナイアガラサウンドの深淵

都市伝説と「部活の先輩」

──曽我部さんはそうやって大滝さんの現場を覗いたり、1990年代には対談もされていますよね。

曽我部恵一

曽我部 俺が好きすぎたから、認識しちゃったんだと思うんですよね。若いやつで俺のことがめっちゃ好きなのがいるって(笑)。それであるときラジオ局で偶然お会いしたときに話しかけてくれて。そこからたまに「スタジオ見学に来い」みたいな声をかけてくださるようになったり、「飲み会があるから来い」とか。

レイジ 飲み会があるんですね(笑)。

曽我部 好きすぎてしゃべれないですけどね。尊敬しているし、自分にとって神様のような人だから。黙ってじっと話を聞いたりしていただけだけど。

──初対面のときのことは覚えてます?

曽我部 覚えてます覚えてます。当時ラジオのレギュラーをやってて、狭いスタジオで収録してたんですよ。そのときたまたま大滝さんが別のスタジオで特番を録っていらっしゃって。うわーと思ってたら向こうのスタッフの方が紹介してくださって、話しているうちに「お前らのラジオ出てやるよ」みたいなことになって(笑)。倉庫みたいな狭いスタジオに来てくださって。7inchレコードいっぱい持ってきて「かけようぜ」みたいな。

ショウ すげー! ヤバいなあ……。

──「ロンバケ」以前をリアルタイムで知らない人にとっては、基本的にライブやテレビで観ることができない、仙人や神様のような存在だから、そういう生身の大滝さん情報はすべて都市伝説みたいな感じなんですよね。

曽我部 そうそう。人となりは知らなくて、都市伝説だけが入ってくるから(笑)、勝手に怖い印象を持ってたんだよね。でもお会いしてみたら普通に部活の先輩みたいな、軽音部の顧問みたいな感じでしたけど。

──大滝さんに最初にお会いした際、当時のサニーデイ・サービスの音楽についてはどういう感想を?

曽我部 なんにも言わない。音楽について「いいね」とか「ここをこうしたほうがいいよ」とか「がんばれ」とか、一切言われてないですね。ライブに来てくださって、ライブ終わって楽屋でダラーッとしてたら大滝さんが入ってくるみたいな(笑)、そんなこともありましたけど。

──そういう話を聞くと、OKAMOTO'Sとしてはつくづく残念ですね。

ショウ いや、とてもお会いしたかったです。俺らの音楽にどう反応してくれるのか……反応しないのか。認知はしているのに反応しないパターンがあることを今初めて知ったので(笑)、それはそれで体験したかったです。

世間にしっとり浸透している大滝さんのすごさ

──今回のベストアルバムには、はっぴいえんどの時代から最後の公式レコーディング作品となった竹内まりやさんとのデュエット「恋のひとこと ~SOMETHING STUPID~」(2003年10月に発売された竹内まりやのカバーアルバム「Longtime Favorites」に収録)までさまざまな楽曲が並んでいますが、それぞれ思い入れの強い1曲を挙げるとしたら? もちろん長年のフェイバリットでも構いませんし、改めて聴き返して新たな発見があったものでも。

曽我部 なるほど、難しいなあ。僕はやっぱり後期の作品に発見が多かったな。「オリーブの午后」とか。微妙にビシッときてなかった曲が、改めてこうしてベストとして選曲されるときますね。

ショウ いいですよね。

ハマ もう何を挙げてもそういう反応になっちゃうよね(笑)。

曽我部 本人が歌う「夢で逢えたら」はこれが初めてなんですよね。

ショウ シリア・ポールのときの仮歌ってことですか? オケは同じ?

スタッフ 仮歌ではないんですよ。レコーディング自体は少し後だったと思います。オケはちょっと違う。

ハマ ちょっと違う(笑)。

──その「ちょっと違う」がリイシューのたびに表面化するのも大滝作品のらしさですよね(笑)。

ハマ どういう経緯で録ってたのか気になるよね。

ショウ 俺はどの曲だろうなあ。「青空のように」がよかったですね、改めて。初期の作品だと「NIAGARA MOON」が好きで、1980年代の「ロンバケ」やナイアガラ・トライアングルみたいな音も好きだけど、「NIAGARA CALENDAR」(1977年12月発売のアルバム)がすごくいいなって思っていて。最近は(笑)。そういうタイミングでもあったし、あえて選ぶならこの曲かな。

オカモトコウキ

コウキ 僕は「Cider」シリーズですね。「Cider '77」はすでに80年代の大滝さんのサウンドに近付いていて、この実験を繰り返しながら「ロンバケ」で完成したんだろうなという感じが伝わってきますよね。70年代と80年代ではガラッと音が変わったなと思っていたんですけど、こうやって並べて聴いてみると、楽曲自体の質が大きく変わったというよりも、音作りが理想に追いついてきたんだろうなって。

ショウ エンジニアを立てた影響も大きかったのかな。笛吹銅次(エンジニア、ミキサーとしての大滝の別名儀)モードで録られた音もすごく好きなんですけど、80年代はもっとシンガー、プロデューサーとしての役割を強くしたのかな。

ハマ はっぴいえんどは僕らが2枚目のアルバム(2010年11月発売「オカモトズに夢中」)を作るときにすごく研究した思い出もあったりするんですけど、「12月の雨の日」を聴くと、ここからこの周辺の人たちの歴史が始まったんだという感慨深いものがありますよね。はっぴいえんどを聴いたのも最初は細野(晴臣)さんに興味を持ったことがきっかけだったし、周囲の人たちも含めて大好きなので。大滝さんの歌い方は周りの人たちに影響を与えてると思うし、絶対的エッセンスとして大滝さんと同世代の人たちにも影響が広がってると思うんですよね。そういう意味でも、ここに1曲はっぴいえんどが入っているというのはいいなと思うし、俺ら世代の人にもぜひ聴いてみてほしいですね。

レイジ 俺は「幸せな結末」ですね。今話してて思ったんだけど、どの時代にもコンスタントにヒット曲があって、俺ら世代の人たちに聴いてほしいと言っても、「幸せな結末」なんて子供の頃にもう聴いてるんですよ。それって改めてすごいことだなって。この曲は歌い出しの「髪」を「かみ」(頭にアクセント)って歌ってるじゃないですか。それが面白いなって聴くたびにいつも思います。神様のこと言ってるみたいな感じで女性の髪について歌っているみたいで。

ハマ この職業をやってる人間や、のめり込んで聴いてる人は自分の責任でどんどんこの狂った世界に入り込んでいけばいいと思うんだけど、こういう話ばかり聞いて取っ付きづらい音楽なのかなと先入観を持たれるのは損だと思うので、このインタビューも読んだ上で何も考えずに聴いてもらいたいですね(笑)。曲を聴いて気になったらほかのアルバムも聴いてみて、そのときに「ああインタビューで曽我部さんやショウが『空っぽな感じ』って言ってたな」ってぼんやり思い出してくれるぐらいでいいと思うんですよ。

ショウ 難しいことに、この人について説明しようとすればするほど、聞いている人を弾き返しちゃうようなところがある(笑)。

──どの角度から光を当てるかによって見え方も変わってくるみたいな。ここまでに出てきた話も大滝さんの数ある要素のごく一部でしかないという。

ハマ せっかくの「Best Always」ですから、まっさらな感じで聴いたほうがいいんじゃないかなって。さらっとも聴けるのがこの作品のすごさというか、世間にしっとり浸透している大滝さんのすごさですよね。

正体不明のヒーロー

曽我部 あとさ、大滝さんの曲って田舎っぽいんだよね。小林旭さんの「熱き心に」(作・編曲を大瀧詠一が担当。1985年11月にシングルでリリースされ大ヒットした)とかその究極形で、牧歌的な田舎の風景が広がるんだよね。(山下)達郎さんとかだとそんなふうにはならないんだけど、大滝さんははっぴいえんどの頃の歌い方もそうだし、「幸せな結末」もそうなんだけど、なんか田舎の牧歌的なムードを勝手に感じちゃう。そこが好きなんですよね。

左から曽我部恵一、OKAMOTO'S。

ハマ あと、大滝さんは残ってる写真が少なすぎるんですよ。それが勝手な仙人みたいなイメージにつながってるんだと思います(笑)。達郎さんなんかも「いや全然コンビニとか行くんだよ」って言いますよね。勝手に浮世離れしてるみたいに言うなって。写真の少なさと、その数少ない写真の醸し出す仙人感がハンパないから。

一同 あはははははは(笑)。

ショウ だいたい機材かレコードに囲まれてるんだよね(笑)。

ハマ それが1つ大きな要因だと思うんですよ。それも本人の戦略というか、考えてるからこそ残ってる写真だと思うんですけど。せっかくの機会だから、パジャマ姿の写真でも1枚あれば安心すると思うんですけどね。

──そうですね。残っているのが楽曲と数少ない写真と、都市伝説めいた逸話の数々で。これからもさらに大きな謎が発見されるのかもしれない。

スタッフ やっぱりどこか作家としての匿名性が欲しかったんだと思います。本人が語っていたことですけど、大滝さんの理想は「詠み人知らず」ですから。歌としては100年、1000年と残ってほしいけど、それを誰が作ったのかは関係ない。曲が残ればそれでいいという発想を持った方だったので。

ハマ だとしたら本人としては万々歳でしょうね。

ショウ ここ数年のラジオを聴いていても「大滝さん最近何やってるんですか?」「最近はレコード聴いてるね」としか言わないじゃないですか(笑)。ずっと一緒じゃん!みたいな。

ハマ ……変わり者ですよね、つくづく。

──同じ音楽家の後輩として何かを引き継ぐと言っても、そのままをやることは到底できないでしょうし。

曽我部 音楽を一生懸命、聴く人のために作っていたところは自分もマネしなきゃなと思うよね。ファンのことをすごく考えてたと思うし。だからこそ何回も何回もマスタリングして、自分が一番いいと思う音を追求し続けていたわけで。世間と離れた孤高の人、という感じはしないんです。

レイジ ちょっとヒーロー感もありますよね。仮面のヒーローというかスーパーマンというか。誰も素性は知らないんだけど、みんなが知っていて、みんなが助けられてる感じ。

曽我部 うん、月光仮面的な何か。言葉では言わないけれども音で伝える。匿名というよりも、正体不明のヒーローだね。

大滝詠一 ベストアルバム「Best Always」/ 2014年12月3日発売 / Sony Music Records
「Best Always」
初回限定盤 [CD3枚組]4320円 / SRCL-8010~2
通常盤 [CD2枚組]3780円 / SRCL-8013~4

全曲解説はこちら

大滝詠一(オオタキエイイチ)
大滝詠一

1948年生まれ7月28日岩手生まれ。1970年代にはっぴいえんどのボーカル&ギターとして活躍し、解散後は自身のレコードレーベル「ナイアガラ」を創設。1981年発表のソロアルバム「A LONG VACATION」は日本のポップス史に残る名盤となった。その後も松田聖子「風立ちぬ」、森進一「冬のリヴィエラ」、小林旭「熱き心に」など数多くのヒット曲のプロデュースを担当。1997年には自身のオリジナル曲「幸せな結末」が月9ドラマの主題歌として大ヒットを記録した。2013年12月30日解離性動脈瘤により死去。2014年12月3日に初のベストアルバム「Best Always」がリリースされる。

曽我部恵一(ソカベケイイチ)

1971年生まれ、香川県出身のシンガーソングライター。1990年代からサニーデイ・サービスの中心人物として活躍し、バンド解散後の2001年からソロアーティストとしての活動を開始する。精力的なライブ活動と作品リリースを続け、客演やプロデュースワークなども多数。現在はソロのほか、再結成したサニーデイ・サービスなどで活動を展開し、フォーキーでポップなサウンドとパワフルなロックナンバーが多くの音楽ファンから愛され続けている。2004年からは自主レーベル「ROSE RECORDS」を設立し、自身の作品を含むさまざまなアイテムをリリースしている。3児の父。

OKAMOTO'S(オカモトズ)

オカモトショウ(Vo)、オカモトコウキ(G)、ハマ・オカモト(B)、オカモトレイジ(Dr)の4人からなるロックバンド。バンド名およびメンバー名は、彼らが敬愛する岡本太郎に由来する。抜群の演奏力とアグレッシブなライブパフォーマンスに定評があり、2010年3月にはアメリカのショーケースイベント「SXSW」に出演。続けて行われた全米ツアーでも高い評価を受けた。次世代のロックシーンを担うホープとして注目を集める中、2010年5月に1stアルバム「10'S」でメジャーデビュー。2011年7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '11」に初出演を果たし、10月には初のアジアツアーを開催した。2014年はCDデビュー5周年を掲げ8月にRIP SLYME、奥田民生らを迎えてコラボレーションアルバム「VXV」をリリースし、秋にアニバーサリーライブツアーを実施した。