音楽ナタリー PowerPush - DREAMS COME TRUE
祝・デビュー25周年「ATTACK25」特集
中村正人インタビュー
ベースラインは最後に考える
──先ほど吉田さんの作詞法の話が出ましたが、中村さんの作曲法についても聞かせてください。やはり今まで聴いてきたいろんな音楽の蓄積は、楽曲に反映されていますよね?
まあ染み付いてますよね。フュージョンや前衛ジャズも好きだし、クラシックも映画音楽も民族音楽も大好きだし、全部が自分の中に入ってますから。だから曲を作るときには、今まで食べた音楽がすべて出てくるような感じがあって。逆に言えば、僕が経験してない音楽が出てくるということはないですね。
──なるほど。作曲時には歌以外の楽器の音も一緒に鳴っているんですか?
アレンジも同時ですね。
──じゃあ作曲のときはベースを弾きながらではなく?
ベースラインはあとから考えることが多いです。ほとんどのトラックの打ち込みが終わったあと「さあ、ベースどうしようかな」っていう感じで。
──えっ、ベースなしで上モノを全部入れちゃうんですか?
ベースがないとできない曲もありますけど、でも7割方ベースは最後ですね。一番楽しみなんです、ベースラインを考えるの。例えばちょっとひねくれて、ポップスとして成立するギリギリなとこでアレンジしてみたり、ポップな曲のときにベースラインはアバンギャルドに寄せちゃったりとか。コードに従わないでずっとワンノートでいっちゃったりとか。まあ普通の人はあまりベースは聴いてないですから(笑)。
──その攻めの姿勢が、ドリカムの新鮮さにつながっているのかもしれませんね。
そう言ってもらえるのが一番うれしいんですよ。例えば「ROMANCE」(1995年リリースの19thシングル)なんて、The Brecker Brothersみたいな、ヘンなコード進行をいっぱい使った曲ですよ。でも音楽的な理屈を知らない人が、それを聴いて「ああ! 気持ちいい!」って思ってくれたらそれが一番なんで。
アメリカで「勝てるわけもなかった」
──ドリカムはこの25年間第一線で活動を続けていますが、その間に迷ったり、危機感を覚えたりしたこともありましたか?
いっぱいありますよ(笑)。ドリカムはね、デビューしたときからプロだったんです。僕はもう30歳で、リハーサルの仕方も、セッティングの仕方も、アーティストとしてどう立ち振舞うべきかも、そういうことは全部知っていました。マネジメントもレコード会社の人たちもプロ中のプロだったんで、そういう意味ではパーフェクトだったと思うんです。それで一時は社会現象みたいになったりもして。でもそれがずっと続くわけではないので。
──1998年にはアルバム「SING OR DIE」を全米でリリースするなど、海外進出にもチャレンジしていますよね。
あのときは「進出」っていう言葉は使わずに、こっそりやって結果を出したいと思ってたんですけどね。
──アメリカでの勝算はあったんですか?
勝算とかじゃないです。ただ自分たちの音楽を信じてました。アメリカやイギリスの音楽で育った僕たちのことを、アメリカのマーケットでも誰かが見つけてくれるはずだって。
──でもマーケットの流れにはうまく乗れなかった?
乗れないどころか、アメリカには日本より何千倍も大きなシステムがあって、それぞれの州によってまた違っていて。そのシステム通りやらないと、リストにすら載れない。そのためにはまず膨大なお金が必要で、膨大な数のエージェントが必要でした。そこで勝てるわけもなかった。もっと賢くやらなきゃいけなかったんですね。
──自分と同じような思いを持った音楽好きのもとに届けられなかったわけですね。
もう全然です。入口にも立てなかった。
──あの当時はインターネットも普及していなかったですしね。
今だからわかるけど、あの時代では100%無理でしたね。YouTubeを通して音楽ファンと直接つながったり、アニメとか「KAWAII」とかそういうキーワードとともに入っていくことができる今の時代だったら、可能性はあると思いますけど。
ドリカムは一度終わった
──でもドリカムは、音楽的には海外でも受け入れられる要素は十分あったと思いますけど。
我々は、イギリスやアメリカから学んだ音楽がこんなふうに日本で消化されたっていうのをアメリカのマーケットに見せたかったんです。アメリカはその当時ヒップホップが全盛で、ロックもちょっとオルタナになってたんで。だからファーイーストなアーティストが70年代の伝統的な音楽をやってるっていう、それを持っていきたかったんです。そのためにレコード会社もヴァージンに移ったんですけど、でもそこで完全に終わりですよね。
──えっ、終わりというのは?
やっぱり反逆者ですから。いわゆる“業界の掟”を破ったわけで。
──日本の音楽業界から飛び出したということですか。
しかも義理も人情もなくね。あのときのドリカムにとって、それはやっちゃいけないことだったんです。
──リスナーからは見えにくい世界ですね。
だから当然干されましたよね。テレビ局からは閉め出されるし。ラジオでも我々の曲はかからない。そこで一度、ドリカムは完全に死にましたね。
──そこからどうなったんですか?
東芝EMIの担当が、僕がいるニューヨークに飛んできましたよ。「もうどうしようもないです」って。「どこのラジオ局に行っても『中村がいる限りドリカムはうちの局ではかけない』って言われる」「中村さんが土下座して回ってくれ」って言われましたから。
──中村さんが悪役になってしまった。
まあしょうがないですね。ドリカムを知ってもらいたいと思って一生懸命やってたつもりだったんですけど、たぶんいい気になってたんだと思うんです。レコード会社と別れて後ろ盾がなくなったら、その反発が一気に吹き出してきた。それで僕は自分のバカさ加減に気が付いて、そのとき吉田が「事務所が守ってくれなくてマサさんが悪者になるなら、もう私たちでやろう」って言ってくれたんです。
──それでいったんアメリカのマーケットからは撤退して、日本で改めて事務所を作ったわけですね。
自分たちで事務所を作って、インディーズのレーベルを立ち上げて。まあキツかったですね。もちろんテレビには出してもらえないし、ラジオもかけてくれないし。
──そういう状況の中、どこから突破口を見つけていったんですか?
まずはお詫びです。各社の担当の方に2年間謝り続けました。
──「すみませんでした。またよろしくお願いします」みたいな?
いやいや! そんな軽くないですよ! ただただお詫びです。誠心誠意やってきてくれた方はものすごく怒っているし、とにかく時間をかけて、僕が心を入れ替えたということを説明していきました。最初の2年はひたすら謝り続けて、だんだん状況が変わってきたのが5年目ぐらいからですね。本当につい最近のことですよ。
──たいへんな状況だったんですね。
しかもやっとうまく転がり始めたかなと思ったとき、吉田に不幸があったりもして。ビジネス的にもバンド的にも、ドリカムを生存させるだけで精一杯でしたね。
──でもバンドは活動を止めなかった。
キツいところは表には見せないようにしてきたので。休止せず、できるだけ続けることが大切だと思ってました。
──こちらからは、ずっとマイペースに動いてる感じがしていましたが。
よかったです。その動いてる感じを出すのが大変だったので(笑)。
無茶苦茶なバンドのこの先
──紆余曲折はあったものの、今のドリカムはいい状態のようですね。
どうかな(笑)。僕がやっとビジネスに関して学習して、今はスタッフとも心をあわせて仕事ができてるので、そういう意味ではやっとスタート地点に立てたかなと思ってますけど。規模もすごく小さくして、吉田を頂点とするちっちゃなピラミッドができたので。まあそうですね、今はすごくいいと思います。結果が出るのは何年か先にはなると思うんですけれど。
──このアルバムは、バンドがいい状況じゃないとできない作品だと思います。後半の8曲はもちろん素晴らしいし、前半8曲はバンドの可能性を感じさせるし。
そうですね。そこはやっぱり吉田の強い意志です。「ATTACK」っていうタイトル通りで、攻め続けるんだっていう意志。それが保守派の僕を引っ張ってくれる。
──そのへんのロックバンドよりも、音楽に向かう姿勢はずっとロックで激しいですよね。
うん、どんなロックバンドより根性入ってるつもりだし、どんなメタルバンドよりも吉田は歌い上げるしね(笑)。ほんとに「テメーこの野郎!」って気持ちでライブやってますから。一度は干されたバンドだし、全然いい子ちゃんじゃないんですよ(笑)。
──確かにそうかも(笑)。
まったく無茶苦茶な……ひどいバンドですよ。この先どうなりますかね。
──まずはアルバムの反響が楽しみですね。
あの、最初にも言いましたけど、ヒットフォーマットを外したアルバムを初めて作ったので。これがどう評価されるのか。そもそも忙しい皆さんが70分超えの作品を果たして聴いてくれるのか。自信はあるんですけど、僕らも楽しみです。
──そうですね。
あとはやっぱりドリカムっていう名前を抜きにして聴いてもらいたいなって。特に音楽ファンは聴く前から「ああ、ドリカムでしょ?」っていう感じがあると思うんで。後半の8曲も前半の8曲も、これがドリカムじゃなかったら「けっこういいじゃん」って必ず言ってもらえると思うんです。
──これまで積み上げてきたブランドが邪魔をしてる部分もあるのかもしれないですね。
だからナタリーを読んでる人には、ドリカムという名前を忘れて、この音楽を聴いてほしいなって思ってます。モノノフの人もぜひ。(百田)夏菜子ちゃんを泣かせたオッサンがやってるバンドがどういうものかを、聴いてもらえたらうれしいですね(笑)。
- CONTENTS TOP
- 中村正人×百田夏菜子(ももいろクローバーZ)対談
- 中村正人×ハマ・オカモト(OKAMOTO'S)対談
- 中村正人×亀田誠治対談
- 著名人アンケート「私の好きなドリカム」
- 中村正人インタビュー
- ニューアルバム「ATTACK25」 2014年8月20日発売 / UNIVERSAL SIGMA
- 初回限定盤 [CD+DVD] / 4104円 / UMCK-9725
- 通常盤 [CD] / 3240円 / UMCK-1525
CD収録曲
- THE CHANCE TO ATTACK WITH MUSIC
- ONE LAST DANCE, STILL IN A TRANCE
- あなたにサラダ以外も
- I WAS BORN READY!!
- MONKEY GIRL - 懺鉄拳 - (懺鉄拳の懺は懺悔の懺)
- 軌跡と奇跡
- FALL FALLS
- MORE LIKE LAUGHABLE
- さぁ鐘を鳴らせ
- 愛して笑ってうれしくて涙して
- 想像を超える明日へ - Album Version -
- MADE OF GOLD ―featuring DABADA―
- この街で
- MY TIME TO SHINE
- 愛がたどりつく場所
- AGAIN - Album Version -
初回限定盤DVD収録内容
撮り下ろし&レア映像満載の豪華85分。25周年を記念したスーパーでスペシャルな架空テレビ番組「THE CHANCE TO ATTACK WITH MUSIC」。なんと!あの日本テレビ系列の人気音楽番組「LIVE MONSTER」の制作チームが全面協力!アタックマン、チャンスウーマンの2人が登場し、さまざまなレアコンテンツを紹介!
DREAMS COME TRUE(ドリームズカムトゥルー)
吉田美和(Vo)と中村正人(B, Arrangement , Programming)による2人組バンド。1989年にメジャーデビューし、1992年発売の5thアルバム「The Swinging Star」は当時の日本記録となる300万枚以上のセールスを記録する。その後もシングル、アルバムともにミリオンヒットを連発し、ソウル / R&Bを基軸にしたサウンドが老若男女問わず幅広い層から支持されている。2014年にはデビュー25周年を迎え、同年8月20日に通算17枚目のオリジナルアルバム「ATTACK25」をリリース。8月23日からは全国13都市32公演におよぶ全国アリーナツアーをスタートさせる。なお1991年より4年に1回のペースで「史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND」と題したイベントを実施しており、エンタテインメント性を追求した内容で多くのファンを魅了し続けている。
2014年8月19日更新