2022年1月28日、DOPING PANDAが再結成を発表した。
1997年に結成されたDOPING PANDAはロックとダンスミュージックを融合させたハイブリッドなサウンドで人気を博し、バンドシーンの一角を担っていた。しかし2012年4月に東京・TOKYO DOME CITY HALLで行われたワンマンライブ「DOPING PANDA 2012/4/19」をもって、バンドは惜しまれながら解散。その後、3人はそれぞれの道へと歩んで行った。
あれから10年の時を経て届いたDOPING PANDA再結成の知らせは、日本中の音楽ファンを歓喜させた。再び集った彼らがまず世間に放ったのは、10曲の新曲を収録したオリジナルアルバム。本作では3人それぞれがこの10年間で培ったものや思いによって進化を遂げたDOPING PANDAのサウンドが堂々と鳴っている。彼らはどのように再結成を遂げ、そしてどこへ向かっていくのだろうか? 音楽ナタリーではメンバー全員にインタビューを行い、彼らがここに至るまでの背景やアルバムの制作経緯、今後のビジョンまで話を聞いた。
取材・文 / 高橋美穂撮影 / Shinsuke Tanoguchi
奇跡だったと思います
──再結成に寄せてコメントを出されていましたが、短い文章の中にそれぞれのキャラクターや思いが出ていて、すごくいいなと思ったんですよね(参照:DOPING PANDA 再結成によせて。 - DOPING PANDA)。
Yutaka Furukawa(Vo, G) 本当に全員よかったですか?
Hayato Beat(Dr) あはははは!
──あのコメントだけでもだいぶ思いが伝わってきたんですが、ここではさらに深掘りできればと思います。まずは率直に、10年越しの再結成の理由から伺いたいんですが、決定的なきっかけみたいなものはあったんですか?
Furukawa これという大きなきっかけは、ホントにないんです。いろんなことが複合した結果なんですよね。アルバムのリリースも含めて、1月28日の発表に至ったのは、本当に奇跡だったと思います。理由に関してはいっぱいあるんだけど、1つは2020年の夏頃に、昔からお世話になっているマネジメントの河原田さんから僕とHayatoのところにメールが来て。タロティには来ていなかったらしいんですけど(笑)。「みんな元気にやってるか? ところでドーパンの可能性はあるのか?」みたいな。それが、みんなの心が動いたきっかけでした。
──そのメールを見たときに、Furukawaさんはどう思われたんですか?
Furukawa 僕はちょうどその前から……コロナ禍になって、緊急事態宣言が出されたりして、不安とまではいかないんですけど、この先どうなっていくのかなと思っていて。僕、その前年までの自分のソロ活動に納得がいっていたんですよね。バンアパ(the band apart)のまーちゃん(原昌和)とかYUTA(HAWAIIAN6)、ハヤシくん(POLYSICS)とコラボをやったり、周年のイベント(2018年にDOPING PANDAが一夜限りの復活も果たしたライブイベント「フルカワユタカ presents『5×20』」)も成功して、ツアーもうまくいって。2020年は、47都道府県ツアーをやろうと思っていたんです。でも、コロナの影響でそれがなくなって。ファンクラブをアプリで始めたり、自宅で新曲を書いたりしながら、これが合っているのか? 合っていないのか?って、ふわふわふわふわしていて。そういう中で、マネージャーとは飲み話の延長みたいな感じで「“スーパーDOPING PANDA”とかで復活どう?」みたいに話していたんです。現実味はなかったんですけどね。そんなときに河原田さんが……あの人は、昔っからそういうところあるんですけど、なんかしら考えているタイミングで提案してくるんですよね。盗聴とかされてんじゃないの?みたいな(笑)。だから最初はびっくりしましたけど、河原田さんっぽいなって思いました。それも、奇跡の中の1つですね。もうちょっと時間が経ったときに連絡がきていたら、どうしていたかはわからないですし。
──Hayatoさんは、河原田さんから連絡が来たときにどのように思われたんですか?
Hayato メールが来る前の話になっちゃうんですけど、バンドって、面白いもんでっていうか、皮肉なもんで、解散した途端に「次いつやんの?」って言われ出すんですね。3人とも経験したと思うんですけど、ちょっとふざけて、挨拶代わりにそれを言われるという。僕はそれを払拭したくて、一生懸命にマネージャーをやっていたんです。
──Hayatoさんは、解散後はチャットモンチーのマネージャーをされていたんですよね。
Hayato はい。そんな中、河原田さんとはマネージャーとして同じ会社で働いていて、顔を合わせると「そろそろ(ドーパン)どうだ? スネア買ってやるぞ」とか、ふざけて言われたりしていたんです(笑)。だけど、1回も響きはしなかったというか、「またまたー」と言って終わって。でも、まあ、確かになあ……Yutakaの話を聞いていて、僕もそうだったと思ったんですけど、そろそろ何かをやりたいタイミングだったというか。この10年、ずっと何かをインプットしてきたんですよね。マネージャーをやりながら、リハーサルスタジオや本番で一流のドラマーをめちゃめちゃ間近で見てきて、「ドラマーとして俺だったらどうするだろう」と考えたり。それが、僕の中でだいぶ大きくて。得たものをアウトプットしたいという気持ちが出ていた時期ではあったんですね。ブログやYouTubeでアウトプットするのか、どこに俺の居場所があるのか、何か新しい場所を作れるかなと考えていたところだったんです。そんなときにメールが来たので、ここは乗っかっておいたほうが楽しそうだなって、素直に思えたんですよね。
──Hayatoさんはずっと裏方に徹しようと決意していたわけではなく、何かきっかけや変化があったらまた表に出ていきたいという気持ちがあったんですか?
Hayato 最初は全然なくって。むしろ、ドーパンをやってた自分がマネージャーやってるってカッコいいな、ぐらいに思っていたんです。マネージャーとしてプロになりたかったし、社長になれたらいいなって思っていたぐらい本気だったんですよね。表舞台に立ちたいと思ったことも、1回もなかったです。ただ、気付くと気持ちがドラムに向かっていて。なんかね、僕は生活すべてをドラムで答え合わせしているということに気付いたんです。
──表とか裏とかっていうより、ドラムと離れられない関係性だったんですね。
Hayato そうです。この前、メンバーとミーティングの空き時間に話していて、Yutakaに言われて気付いたことがあるんですけど……僕はずっと、自分のことを器用だと思っていたんです。どちらかというと器用貧乏で、広く浅くなんでもできて、マネージャーとかもそつなくこなしていくほうだって思っていた。でも結局、ずーっとドラムのほうに行っちゃうから、すげえ不器用だったんだって気付いたってYutakaに言ったら、「いや、そうでしょ。Hayatoは昔っからずっと不器用だったよ」と言われたんです。ああ、そうだったのか、みたいな。ホントこの年になって、やっと自分の不器用さ、ドラムしかできないことに気付いたんですよね。
──離れていた時期も長いですけど、FurukawaさんはHayatoさんのことを理解しているんですね。
Furukawa いや、僕も不器用ですからね(笑)。バンドもやってきたけどソロもできると思ったし、なんならもっと昔、サラリーマンでもうまくいったと思うし、何やったってうまくできると思っていた時期があって。そういうことを言うと、周りのみんなに「お前がなんでもうまくできるわけないじゃないか」って言われて。だから僕は、器用だと思っていたけれど、不器用だって気付いた人間の先輩なんですよ。人って、自分のことを器用だと思いがちですよね。だから、Hayatoの気持ちはすごくわかります。不器用だからバンドやっていたんだよっていう。
Hayato だから俺、再結成がなかったら、結構やばかったと思います。
Furukawa そんなことはないよ。
Hayato でも、それぐらいありがてえなって思いました。自分が気付いたタイミングで、またバンドができたのは、すごくありがたいことですね。
──順を追っていくと、そこからTaroさんに連絡がいって、3人が集まったのかなと思うのですが、その過程について教えていただけますか?
Furukawa 河原田さんはまず俺に連絡をくれて、次に「Hayatoに連絡をしてみる」と言ってくれて。そのあと「タロティどうする?」ってきたんですよ。「どうする?」じゃないでしょ、なんでタロティにはメールしないんだよって思いましたけど(笑)。「じゃあ、タロティとはちょこちょこ会ってるから、俺から言います」と。それで、大学の後輩も含めて、3人でメシに行って……でね、(再結成の話を)パッと言えると思ったんですよ。でも、なかなか言えなくて。最後に会計して、タロティがトイレに行っている間、先に後輩に言いましたからね。「実はさ……今日はこれを言おうと思って来たんだけど」って。
──告白ですか?(笑)。
Furukawa 言えないもんだなあって(笑)。それで、トイレから帰ってきたタロティに言って。そうしたら「全然いいけど弾けないよ」ってキッパリ言われました。
──(笑)。Taroさんは、言われたときの率直な心境を覚えていますか?
Taro Hojo(B) Hayatoには河原田さんが連絡したと聞いて、なんで俺には来ないんだって思いましたけど、まあ、返信するのも面倒くさかったからいいかって(笑)。そのとき、ちょうどヴァン・ヘイレンが亡くなった時期だったんです。「ヴァン・ヘイレンが亡くなったから飲みに行こう」っていう、わけのわからない誘いがきて(笑)。
Furukawa そうだった(笑)。
Taro 「俺、ヴァン・ヘイレンそんなに知らないぞ?」って思いながら、のこのこ渋谷に行きました(笑)。それで、しばらく後輩も交えてヴァン・ヘイレンとかメタルの話を聞かされていたんですよね。そうしたら帰り際にYutakaから再結成の話を切り出されて。最近は速いフレーズも弾いていないので、できることしかやれませんよとは釘を打ちました。
Hayato 釘を刺したのね(笑)。
Furukawa 打ってどうすんだ(笑)。
バンドってこんな楽しくっていいの? ズルくない?
──そこからは、とんとん拍子で進んだんですか?
Furukawa いやいやいや、全然ですよ。ヴァン・ヘイレンが亡くなったのが、2020年の10月で。その後、僕たち3人の気持ちは2020年の年末には固まっていたんですけど、いざリリースやツアーを決めて、2022年1月28日に発表するまでには、紆余曲折がありました。コロナ禍というのもでかかったですけどね。
──ライブからの復活ではなく、全曲新曲のフルアルバムを引っ提げての復活というのも大きかったと思うんです。そこには、3人の意思や周りの方の意向があったのでしょうか?
Furukawa 個人的には、10年1人でレコーディングとかをやってきて、Hayatoはマネージャーをやりながら現場を見てきて、タロティもベースを弾いてきて、その3人が同じ温度感で物を作るというのは……きっとライブも一緒なんでしょうけど、怖いところもありました。Hayatoがマネージャーをやって知ったメソッドや曲作り、聴いてきたえっちゃん(橋本絵莉子)の声、プロデューサーやエンジニアとのやりとりの中で、1つ正義ができていたとしたら、自分はそこに寄り添っていけるのか?って。以前のドーパンは、3人が頭から体からすべてドーパンのために使っていたので。今、そんな10年前のドーパンに勝てるものを作れるのかなというのもあったんです。だから、最初はすげえ消極的で、新曲は作りたくなかったんです。でも、マネージャーと上司に「それだと、同世代でずっとやっているACIDMANとかアジカンとかテナーとかと一緒にやるときに、自分たちだけ懐メロバンドになっちゃうよ」って言われて。それが響いたんですよね。「向こうは成長が見える曲をやっているのに、自分たちだけ10年前の曲で一緒にステージに立つってなかなか大変だし、それじゃ勝てないよ」と。確かにな、って。バラバラだったけど、バラバラなりに過ごしてきた10年を形にしないと、彼らと同じステージに立つ権利はないのかなって思ったんですね。まだアルバムを作るというところまではいっていなかったですけど、新曲を引っ提げた再結成をしなければいけない、と思ったのはそのときです。2人がどう思っていたかは、まだ聞いていないところではあるんですけど。
──そのあたり、Hayatoさんはいかがでしたか?
Hayato Yutakaの周年ライブがあったときに、一夜限りの再結成をして。そのときも周りの人から「このまま再結成するのか?」みたいに言われたんですけど、僕は、新曲もないのに再結成は嫌だなと思っていました。新しい今の形を見せられないなら、あまりやりたくない気持ちがあった。シングルでも、ミニアルバムでも、どういう形でもいいから新曲は欲しいとは思っていました。
──先ほどお話されていたように、10年間インプットしてきたものをアウトプットする機会が欲しかった、という意味合いもありますよね。
Hayato そうです。やっぱり、昔のものを叩くというよりは、今の自分の気持ちをドラムで表現したかったので。僕、鬱病になって、3年ぐらいやばい時期があったんです。そこからだんだん元気になってきて今があるんですけど。再結成が決まった頃は、たまに鬱っぽい日もあれば、元気な日もあって。そういう状況だったので、毎日のように人生哲学を考えていたんですよね。だから、人のことよりもまず自分のこと、自分がどうするか、イコール自分がどういうドラムの音を出すかで頭がいっぱいで。新曲じゃないと、どうしても表現できない、拠りどころがないという感じでした。
──今、そういうお話を伺うと、再結成に際して出されていたコメントの「こんなに楽しくバンドが出来る日がくるとは思わなかった」という言葉が、よりグッときますね。
Hayato ああ……バンドが解散する頃って、苦しかったんですよね。毎日ドーパンをやりたい気持ちもあるけれど、それでも苦しくてしょうがなくって。バンドってこんなに苦しいんだなって、何年か思っていて。で、マネージャーになったら、めちゃめちゃ楽しかった。そして、チャットモンチーが、めちゃめちゃ楽しそうにバンドをしていたんですよ。えっ、バンドってこんな楽しくっていいの? ズルくない?って思ったぐらい。
──違った角度からバンドを見られたことが大きかったんですね。
Hayato そうです。裏方で、ほかのバンドもたくさん見せてもらったので。だから、再結成するならこうしたい、という気持ちは強くありました。そういうのもあったから、自分がこんなに楽しくバンドができるってすげえなって思いますね、しみじみと。
──Taroさんにも伺いたいんですが、先ほど「弾けないよ」とお返事したという話もあった中で、新曲をやることになって、どのように思われたんですか?
Taro 去年プリプロもあったんですけど、その前のデモが投げられてきた段階から、超プレッシャーですよね。
Furukawa できないっつったのに、話が違うっていう(笑)。
Taro ただ、自分からやりたいっていうよりは、誰かが喜んでくれるならドーパンをやろうという気持ちになっていたから。新曲で喜んでくれる人がいるなら、弾けないのをなんとかしないとな、がんばらないとなって。結果、いいものができたと思うので、周りも納得してくれているとは思います。今度はライブに向けてプレッシャーを感じていますけど。
Furukawa 僕のデモにタロティがベースを入れて戻してくれたり、Hayatoがドラムを入れて戻してくれたりしたんですよ。1曲返ってくるごとに、不安がなくなっていきました。しかも、タロティは現場にもいなかった人なので、どこまで現場感がなくなっているのかなって思っていたんですけど、デモに対してちゃんと返してくれたので、ああ、大丈夫だって。レコーディングが楽しみになりましたね。
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