「天才だ!」と思いました
──ちなみにアルバムの収録曲の中で、最初にお二人にデモを投げたのはどの曲になるんですか?
Furukawa 「Imagine」です。
──それがアルバムの1曲目にしてリードトラックなんですね。美しい。
Furukawa 最初、僕はリードトラックに「Silhouette」を推していたんです。ぶっちゃけ「Silhouette」はYutaka Furukawaのファンクラブ用に書いた新曲が元ネタになっているんですよ。そこからだいぶ変わったんですけど。ホントのことを言うと、ドーパンのために新曲を書くスイッチが入った曲は「Imagine」だったし、できたときに、ああ、まだ俺ドーパンの曲を書けるんだっていう感動があった。やっぱり、今回の10曲中、一番沸点が高かったのは「Imagine」だったんですよ、間違いなく。そんな話はしていないのに、タロティもHayatoも、付き合いの長いマネージャーも、「(リードトラックは)『Imagine』じゃない?」って言ってくれて。それが、正直むちゃくちゃうれしかったです。言われたときに、そんな顔はしなかったですけど。
──Furukawaさんらしい(笑)。結果的に全10曲のフルアルバムになりました。それは、ドーパンのための楽曲があふれ出てきたのか、それとも時間はかかったのか、どちらだったんでしょうか。
Furukawa 最初は、スケジュールが厳しいのでシングルかミニアルバムにしたいと話していたんです。ただ、いろんな経緯があったんですけど、またSR(Sony Music Records / gr8!records)でやれることになって、SRから「ぶっちゃけアルバムがいいです」って言われたんです。まあ、さんっざん迷惑をかけたSRがまたやってくれるというだけでも、すげえことだなと思って。僕らホントに問題児だったんで。僕らっていうか僕か(笑)。だから、恩返しという意味も含めて「ぜひアルバムでお願いします」って言っちゃったという……どっちかと言うと(笑)。
──「言っちゃった」んですね(笑)。
Furukawa でも、1カ月半くらいでデモをそろえてプリプロだったんですけど、結論から言うと、曲があふれ出ました。止まんなかったです、ホントに。
──すごい。
Furukawa 3曲ぐらい並行して作ったりして。本当に楽しかったですね。
──それはソロの音楽家としてではなくDOPING PANDAとして出したかった楽曲がずっと自分の中に貯まっていたのか、言われた瞬間にスイッチが入ったのか、どうだったんでしょう。
Furukawa 1つでかかったのは、ディレクターさんがしっかりとした制作の環境づくりをしてくれたこと。ソロになってからは、自分の家で録った音も音源に使わなきゃいけないなんてことも普通だったんですよ。僕に限らず周りでも、それが当たり前だったりして。今は音源を出すのが大変な時代じゃないですか。それなのに、こんな環境で、自分の頭の中に鳴っている音をメンバーと一緒に形にできるチャンスが、43歳にもなって回ってきたんだなって。それが自分にとって一番のモチベーションでしたね。だから、ここで全部を出し切らなければいけないって。ソロのフルカワユタカで手を抜いていたわけじゃないんですよ。でも、メロディとかアレンジとか、だいぶセーブしていたのかもしれない。いつか来る、こういうときのために取っておいたものが、実は山ほどあったんだなって。ホントに、すごかったですね。「天才だ!」と思いました。
──今の発言も、ソロとは違う、ドーパンのFurukawaさんのコメントですよ。
Hayato ははははは!
Furukawa 6畳ぐらいの作業場で、「天才だ!」って思いながらやっていましたよ。
以前よりYutakaのフレーズを多く取り入れました
──聴かせていただいても、タイトルにも掲げられているぐらい、紛れもなくDOPING PANDAのアルバムですよね。復活の作品に対して言うのはちょっと違和感があるのかもしれないですけど、名刺代わりというか。
Furukawa ほお、うれしい。
──今までで一番しっくりくる、一番好きなアルバムでした。
Furukawa それで言うと、二度と言わないですけど、2人には感謝です(笑)。
Taro・Hayato (笑)。
Furukawa やっぱりHayatoとタロティがいたからだと思います。だからドーパンだし、だから環境も手に入れられたし。作曲家としては、これ以上ないモチベーションをもらいましたね。
──あと、今はHayatoさんは東京を離れているし、どうやって作業を進めていったのかが気になります。先ほどデモをやり取りした話はありましたし、今日のインタビューもリモートで行っているし、会わなくてもどうにかなる時代ではありますが。
Hayato ミーティングは、こういうふうにオンラインでしていましたね。曲に関しては、Yutakaが「天才だ!」って言いながら作った曲が定期的に送られてくるんです。昔からそうですけど、Yutakaのデモは完成度が高くて。前だったら、それを元にスタジオで3人で音を出しながら練っていく時間が長かったんですけど、今回それは一切ないので、僕なりにアンサーを返すみたいな感じでした。性格的に、Yutakaが打ち込んできたものを完コピすることはできなくて。さっき言っていた通り、自分の人生をいかに叩き出すかという感じだったので。だからデモを覚えすぎずに、自分の中で固めていく。でも今回のアルバムでは、以前よりYutakaのフレーズを多く取り入れました。前は、意地になってわざと変えていたところもあったと思うんです。
Furukawa それもバンドだからね。
Hayato 「腹立つこいつ! こんなカッコいいフレーズ出してきやがって! 俺のほうがいいフレーズがあるはずだぜ」って。でも今は、カッコいいところは使う。こっちのほうがカッコいいんじゃないか?と思ったら提案するというふうに、地元の徳島のスタジオで、マイクを適当に2、3本立ててドラムを録って、Yutakaに「こんな雰囲気でフレーズ作ってるけど、いいかな?」って送って、「あ、全然いいと思うよ」「じゃあ、プリプロまでにもうちょっと練っておきます」というやり取りを、ほぼ全曲でして。で、プリプロはリモートではやりにくいので、僕が東京に行ってっていう。まあ、最初はプリプロもさせてもらえるとは思っていなかったので。ディレクターがプリプロの日にちをとってくれたのが、すごくありがたかったですね。あれがなかったら、こんなに完成度は高くなかったと思う。今回、本っ当にいろんなことが、ギリギリのわりにパーフェクトに進んだんですよ。
──制作に関して、Taroさんとは、また違ったやり取りがあったんでしょうか?
Taro 3人でスタジオに入れるわけではないので、結局徳島にいても東京にいてもやり方は同じで。僕もデモをもらって、自分が弾いたものを返すというやり取りでしたね。
──さっきは「プレッシャーがあったけど、みんなのためにがんばった」というお話をされていましたし、再結成に際するコメントもすごくピュアに「やったぜ!」「10年前にこんな素晴らしいバンドがいた」と出されていて。すごく私はグッときたんですけど。
Furukawa グッときちゃダメですって! 悪ふざけだから!
──(笑)。でも、そういうバンドの一員としてレコーディングに挑むって、並々ならぬ気持ちだったんじゃないんですか?
Taro プリプロのとき、カメラが入ってドキュメンタリーを撮ってくれていたんですけど、その時点で緊張していましたから。ずっと「緊張している」って話ばっかり、カメラに向かってしていました。