自分の人生を武器にする
──そして2013年には転機となる楽曲「W.W.D」がリリースされます。これまでのアイドルソングの常識をくつがえす問題作として話題になりましたね。
もふく ああ、でもそれうちらは「なんか言われてる?」くらいの感じで、そんなに気付いてなかったかもしれないですね。
みりん 私も特に感じなかった。メンバーによっては泣きながら歌ったみたいな子もいたから当時はあんまり言えなかったけど、実は「W.W.D」私はめっちゃうれしかったです。例えばいじめられてたって事実があるなら、それを歌えば同じようにいじめられてる人の心に刺さるじゃないですか。隠すのとか好きじゃないし、自分の人生を武器にできるなら使えるものは全部使っていこうと思ってた。
もふく 当時ヒャダインさんと話してて「自分たちのことを歌う曲にしたい」みたいなことを言ったのは覚えてる。それで自己紹介ソングを作ろうとしたら「W.W.D」になってしまったんだよね。ヒャダインさんにはメンバーそれぞれこんな子で、って伝えただけで別に誇張もしてないのに。
──じゃあそこはプロデュースの力じゃなくメンバーの個性ありきで?
もふく もちろんそうです。当時みりんちゃんは「自分には個性がない」って悩んでて「何言ってんの?」って感じだったんですけど。
みりん もふくちゃんが「みりんはゲーム好きなんだからゲームアイドルって名乗りなよ」とか言ってくれたんだよね。それはマジで今に生きてる。
もふく 秋葉原にいる人って自分がすごい武器とか個性を持ってることに気付いてないんですよ。アキバってヤバい人たちの吹き溜まりなのね。私は藝大がそういうところだと思ってたんだけど藝大生はやっぱりちょっとエリートで、みんな何かのプロで、悪く言うとスカして見えたんです(笑)。でもアキバの人たちは歌がヘタでも、ダンスがヘタでも、なんにもできなくても何かを「好き!」っていうパワーだけが研ぎ澄まされてめちゃくちゃ強くて、そのパワーだけで突き進む感じがすごく美しく見えたんですよね。自分がある意味、音楽的にはエリート人生を歩んできた中でみりんちゃんみたいな人に初めて出会って、その出会いがクリエイティブの根本──好きで表現したいことが根幹にあって、技術は二の次でもいいんだっていうことを思い起こさせてくれたの。
みりん 私ももふくちゃんみたいな人は生まれて初めて会った。それまでは学校にも友達いなかったしネトゲの知り合いしかいなくて、だから音楽とか歴史とかそういうことを語ってくれる人は初めてだったんですよ。それが私にはすごすぎて「私になかった世界をこの人はこんなにも持ってるんだ?」っていうのをめっちゃ思った。
──それでもふくちゃんについていこうと?
みりん そう、この人と一緒なら私も戦えるかもしれないって。とにかくおしゃれでサブカルですごい人だって思ったんです。
もふく 別におしゃれではないけどね(笑)。
──そうやってスタートした初期でんぱ組.incでの活動は今振り返ってみてどうでしたか?
みりん 楽しかったです。普通の感想ですけど(笑)。好きなことやれていっぱい新曲もらえて衣装もあって、私が思い描いてたアイドルの形とはちょっと違ったかもしんないけど、これが新しいしウケるんだっていうのは信じてたから。つらいとか辞めたいって思ったことも1回もなくて。
もふく みりんちゃんはずっと楽しそうだったよね。
テレビに出なくて正解だった
──そういえばでんぱ組.incは当時からよく怒っていたイメージもあります。「VANDALISM」のように怒りがテーマの楽曲や、ファンと言い争ったりすることもあり、怒っているアイドルはそれまで見たことがなかったから新鮮でした。
もふく そこは男性目線のプロデュースだと出てこない要素だったのかな。ストレートに自分たちの思いを吐露するなら怒りは絶対外せないから。それに当時は「恋愛の歌は歌わない」っていうのも意識していて、アイドルの歌の99%が恋愛っていう時代に恋愛を捨ててましたからね。
──それは恋愛ソングだらけの世の中へのカウンターとして?
もふく それもあるけど一番はやっぱりオタクだからだと思う。秋葉原で生きてると恋愛に対する忌避感みたいのが自然と出てくるんですよ。「リア充爆発しろ」なんてネットミームが流行るぐらい、当時のオタク文化においては恋愛なんてクソだって空気が強かったんで。
──今思うとかなり攻めたスタンスだった気もしますが、そんなでんぱ組.incがどんどん人気を拡大して、2014年には初の日本武道館ライブを実現させるまでに成長します。
みりん あの頃めちゃくちゃ忙しくなってたけど私はもうひたすら楽しかったですね。「一生ネクストブレイクアイドルって呼ばれてるな?」というのはあったけど(笑)。
──テレビにバンバン出るみたいな方向には行かなかったですもんね。
みりん テレビの歌番組にたくさん出て、お茶の間で人気の芸能人になりたいみたいなことも当時はちょっと思ってたけど、今考えると出なくてよかったですね。トークとかに苦手意識があったし、たぶん向いてなかった。ライブはすごく練習するからできるんですけど。
もふく あの時期テレビにホイホイ出てたらもっと早くに消費されてとっくに解散してたんじゃないかな。事務所としてもそっち方面への営業に手間を取られてライブの制作が疎かになったりするし。どっちもできればいいんでしょうけどね。
やるべきことは見えていた
──そうしたライブ重視の姿勢が功を奏したのか、2013年には「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」や「SUMMER SONIC」への出演も果たします。ロックフェスにアイドルが出る流れの先駆けになりましたよね。
みりん 初めてロッキンに出た日は手応えしかなかったですね! 音楽好きな人たちがたくさん集まって受け入れてくれて「私たちが輝ける場所はここだったんだ!」と思った。私はバンドさんのこともあんまり知らなかったし、そもそもロックフェスっていうものがあること自体知らなかったんですけど。
もふく ゲーム以外のことはだいたい知らないんだよね(笑)。
──ロックフェスでウケるのはもふくちゃん的には想定内でしたか?
もふく むしろ100年遅いわと思いながら見てました。当時はまだジャンルの縛りみたいなものが今よりずっと強くて、アイドルはアイドル、ロックはロック、ヒップホップはヒップホップみたいな時代だったんですよね。だからその中ででんぱ組.incはどんどんジャンルを横断していこうと思ってて。
──クロスカルチャーみたいなことが今ほど理解されず、アイドル現場からはサブカルなんでしょ?と言われロック界隈からはアイドルだよね?と言われる。でんぱ組.incはそんな状況を力技でねじ伏せてきたイメージがあります。
もふく 「私たちがやるべきはこれだ」っていうのがはっきりと、モーゼの海がパーンって割れるみたいに見えてたから「はいはい、ここをまっすぐ行けばいいのね」みたいな感じでしたね。アートとアイドル、ファッションとアイドル、バンドとアイドル、ヒップホップとアイドルって1個ずつ項目を埋めていけばそれが全部新しいって言われた時代だから。当時は何をやってもだいたい初めてで、金髪ショートカットのアイドルも、メンバーカラーがミントグリーンのアイドルすらいなかったんだもん。だからでんぱ組.incがアイドル初!みたいなことをどんどんやって時代のコマをぐいっと前に進めたんですよね。
──なぜでんぱ組.incにそれがやれたんでしょうか?
もふく でんぱ組が“芸能人”じゃなかったからじゃないですか? 企画書上で作ったアイドルじゃなくて、その時代の熱をそのまま伝達できるインターネットの成熟具合も土台にあり、すべての条件がそのとき初めてそろったからだと思います。「歌ってみた」「踊ってみた」などで素人が何かするのを楽しむという文化が生まれた時代だったというのも大きいと思います。
──そこでプロが作った芸能界に野生の素人をぶち込んでみたわけですね。
もふく 秋葉原で見つけた素人のほうがずっと輝いてたし面白かったから。
みりん 私はプロ志向だったんですけどね。できなかっただけで(笑)。
もふく でもその代わり芸能界にないものを持ってたからね。みんな歌もダンスもやったことないのに「私たち何かになりたいんです!」って言ってて、「ごめん、生まれ変わってから来て」みたいな感じだった(笑)。でもやりたいんだ、それでも夢を見たいんだって言うから、じゃあどうしたらいいんだろうって考えて、何もできない素人が夢を見てそれを叶えていく姿には高校野球的な応援の楽しさがある、それがアイドルの次の形だなって気付いたんです。当時ももクロちゃん(ももいろクローバーZ)を石丸電気で観た影響も大きかったですね。彼女たちはやっぱエリートだけど成長していく過程を見せてくれてたから。
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