DAOKO|挑戦を続ける彼女が突き詰めたアイデンティティ

DAOKOのメジャー4作目となるニューアルバム「anima」が6月24日に配信され、7月29日にCDで発売される。2018年12月にリリースされた前作「私的旅行」以来となる本作は、DAOKOが片寄明人(GREAT3、Chocolat & Akito)と共同プロデュースを手がけ、制作に深くコミットした作品となった。DAOKOもトラックメーカーやミュージシャンと共に作曲に関わり、新たなチャレンジを重ねながら作り上げたアルバムは、多様な音楽性と鋭い言葉を放ち、彼女の存在感にさらに強烈な光を当てたような色彩にあふれている。

音楽ナタリーでは常にアップデートを続けるDAOKOにアルバムに至るまでの過程と変化、新作「anima」について大いに語ってもらった。

取材・文 / 佐野郷子(Do The Monkey)

「私的旅行」から水面下で動いていた

──DAOKOさんは、新型コロナウイルスによる自粛要請期間はどのように過ごしていましたか?

基本的には“STAY HOME”していました。私の「二〇二〇 御伽の三都市 tour」の東京でのライブが2月10日に行われたときくらいがギリギリで、そのあとにコロナの影響でライブがどんどん中止や延期になってしまって。

──ライブのMCでも「みんな、うがい、手洗いはしっかりね」と注意喚起していましたね。

そうでした。もうマスクは手放せない事態でしたが、あの頃はまだ満員のお客さんの前でライブができたので、もうずいぶん前の出来事のような気がしますね。

──そのライブでも今回のアルバム「anima」に収録された曲をすでに披露していましたが、アルバムの制作はいつスタートしたのですか?

2月の時点ではだいたいできあがっていて、3月に仕上げることになっていたんですが、今回はアルバムの制作期間を設けてその間に作るというのではなく、前作「私的旅行」以降、水面下で動き始めていたんです。今までのように「このプロデューサーとやってみたらどう?」という提案を受けるのではなく、自分が好きだったり、興味がある音を作っているトラックメーカーに声をかけたりしながら1人で進めていました。

──昨年、個人事務所「てふてふ」を設立したのも関係しているんでしょうか?

そうですね。個人事務所を作ってから動きやすくなった面はありましたけど、今回のアルバムの曲の中には小袋成彬さんと共作した「御伽の街」のようにそれ以前に録った曲もあるので、アルバムはけっこう時間をかけて作っていった気がしますね。小袋さんとは10代の頃から面識はあって、個人的に遊んだり、「あのアーティストがヤバいね」とか音楽の話をしたりするような間柄ではあったんですよ。そんなノリで「一緒に作ろうか」ということになったんです。

バンドメンバーのおかげで見せられた素の自分

──昨年は、初めて生バンド編成でライブを行うなど、DAOKOさんにとって変化が訪れた年でもありましたね。

6月に個人事務所を設立して、7月にWWWで開催したライブで初めて鍵盤に網守将平さん、ギターに永井聖一さんという3人編成でライブをしたんですが、そこからライブの考え方が変わっていきましたね。秋にはドラムに大井一彌さん、ベースにLITTLE CREATURESの鈴木正人さんを含むバンドでのツアーもあって、より音楽を楽しめるようになってきたのは大きくて、そのことを実感しながら作ったアルバムでもあります。

──2月のライブでは、今までミステリアスな存在だったDAOKOさんの素の部分が垣間見えたように思いましたが?

それまでのライブはイヤモニでクリックを聴きながらだったので、自分が間違えちゃいけないという緊張感があったんです。でも、生のバンドだともし私がミスをしたとしても演奏でサポートしてくれるところがあるから、気負わず自然にできたんだと思います。そこでグルーヴを感じるってこんな瞬間なんだな、と初めて感じたんです。お客さんとのやり取りも含めて、今まで経験したことがない充実感がありましたね。

DAOKO「二〇二〇 御伽の三都市 tour」東京・LIQUIDROOM公演より。(撮影:馬場真海)

──そこでも新しいチャプターが始まった?

そう。今までも楽しくやってきたけど、これからはもっと好きなことを追求していきたい、自分の気持ちの旬を大切にしたくなった。「これがやりたい」と思ったときに作品を作る瞬発力やスピード感を大事にしているのは、自分が既存のジャンルに入るタイプとは違うからなのかもしれない。

──それは今までとは異なるフィールドから出てきたDAOKOさんの出自とも関係している?

そうだと思います。表向きはラッパー、シンガーと称していますが、いわゆるヒップホップの文脈ではないし、ロックでもない。クラブミュージック的な要素はあるけれどそれだけではないし、音楽的に振れ幅が広いというか、1つのジャンルに収まらない。長い音楽の歴史の中で、お手本や見本になる人がいないから、自分なりのやり方でやっていくしかないんだと思います。

──15歳のときに動画配信サイトに投稿を始めてから、独自の表現方法を探ってきたと思いますが、さらにその先に進む時期が来たと。

そうですね。私がデビューした頃から、動画配信や定額制の音楽配信サービスが急速に普及し始めて、そんな時代に合った新しい表現をみんなが求めていたと思うし、自分もそうだったと思うんです。10代でデビューした頃はよくわからないこともたくさんあったんですが、だんだん自分ができることが増えて、今はようやく自分の方法で前に進むことができる気がするんです。