コロナ禍で広がった音楽的視野
──皆さんは去年のコロナ禍以降、音楽や創作活動にどんなふうに向き合ってきましたか?
Yurin 家にいる時間が多くなったので、曲をとにかくたくさん作るようになりました。緊急事態宣言が発令された頃は先のことがまったく見えない状況だったので、スタジオでのレコーディングも難しくなるかもと想定して、エレクトロっぽい打ち込みの曲を作ったりもしました。あとは2020年の5月に、曲作りからミックスまですべて自分たちだけで完成させた曲をYouTubeにアップしたんです。
──知さんが作詞作曲された「これから」ですね。
Yurin そのとき、その瞬間に、自分たちができることはなんだろうと考えながら、模索していた時期でした。もちろん今後も、バンドとしてどう活動していくかは考えていかなきゃいけないことですが。あとは、ライブが全然できなくなってしまったことがすごく大きかったですね。僕らにとっては、お客さんと面と向かってコミュニケーションを取れる場はライブしかなかったから……その機会がなくなった状況で、ライブと同じくらいみんなに楽しんでもらえるようなことを考えていかないとなと。
──曲の制作中、自分がコロナ禍の影響を受けて変化していると感じる瞬間はありましたか?
Yurin めちゃくちゃありました。音楽的には、打ち込みやサンプリングを積極的に使うようになったし、歌詞については暗すぎる言葉やニュアンスを避けるようになったかもしれないです。以前は、世の中に対してのネガティブな気持ちを歌詞に書くことも多々ありましたが、そういうネガティブなものはちょっと言い回しを変えたり、表現の仕方を変えるようになったと思います。
──知さんはいかがですか?
知 コロナ禍に入る前は、自分にとっての理想のバンド像みたいなものがしっかりとあったんです。ライブで盛り上がって、お客さんが楽しんでいて、自分たちも楽しんでいて……そういうわちゃわちゃした一体感がある光景やバンドに憧れ続けてきたんですけど、コロナ禍の中で聴く音楽が変わって、これまで自分が理想に捉われすぎて視野が狭くなっていたことに気付いたんですよね。それによって、「あの人たちみたいになりたい」と他者を目標にするのではなく、「理想のサイダーガールになりたい」と自分たちのことを考えられるようになってきたというか。
──なるほど。
知 今まではどうしたら憧れに近付けるのかということばかりを考えて自分たちの活動を定めていた感覚だったんですが、僕たち自身にとっての理想は、メンバーそれぞれにやりたいことがあって、それを尊重しあったうえで、たまたま噛み合った瞬間がサイダーガールになることだなと気付いたんです。そうじゃないと、「僕らはこのバンドをやっているんだ」と胸を張れないなと思ったりして。
──その意識の変化は、どんな音楽がきっかけで生まれたものなんでしょうか?
知 前から好きだったルイス・コールの作品ですね。あとは映画の劇判や、GREEN ASSASSIN DOLLARさんの作品も。これまでは生音のバンドサウンドを中心に選んで聴いていたんですが、トラックメイキングを軸にした音楽をたくさん聴くようになって、自分たちのサウンドにもっと違うエッセンスを取り込めないかなと考えるようになりました。
フジムラ 僕も最近になってヒップホップのようなトラックものを聴くようになりました。それに、エレキベースだけではなくもっといろいろな楽器で表現できるようになりたいと思ってシンセサイザーを買ったり、ピアノを練習したりもしました。
──フジムラさんもコロナ禍の中で音楽との向き合い方が変わったということでしょうか?
フジムラ はい。そもそも僕がバンドをしたいと思ったのは、曲を作りたいというよりも「バンドのライブってカッコいい!」と思ったからなので、ライブをすること自体がバンド活動のモチベーションになっていたんです。正直、僕は曲作りが得意ではないと思っているんですが、それでもライブで披露するためにがんばろうという気持ちでこれまで曲作りにも挑戦してきました。でも、コロナ禍の影響で全然ライブができなくなってしまって……最初はただただ落ち込んで何もできずにいたんですけど、どうにか発信していかなきゃと思って、昔みたいにVocaloidを使って曲を作ったり、演奏動画を上げたりしました。そういうふうに試行錯誤した中で、今後自分はどうしていきたいかを改めて考えさせられる1年だったなと思います。
5年ぶりに作品を投稿しました。
— フジムラ (@moff_P) April 20, 2020
こんなご時世だからこそ、インターネットの力を利用すべく我が家のミクさんに歌ってもらいました。
かつては「もっふー」というへんちくりんな名前で活動していました。何はともあれ、1分だけお付き合いください。https://t.co/0S7Xd37fxx
フューリー弾いたで。録音ボタン押してソファーに急ぐ孤独感よ…。 pic.twitter.com/lEgLrrwTek
— フジムラ (@moff_P) April 24, 2020
バンドという家が欲しかった
──社会的なことや自分たち自身の理想と現実が見えてきた中で、皆さんは今、バンドという形態で音楽を作ることに、どんな意味や価値を見出していますか?
Yurin バンドは僕にとって原点なので、やっぱり“帰る場所”として必要だと思います。最初にドハマりした音楽はバンドだったし、中学生の頃に文化祭でバンドを組んで以降、何かしらの形でずっと携わってきて。ネットで活動していた時期は1人だったけど、自分はあのまま1人で音楽を作り続けることができたかと考えると、たぶん無理だったと思うんですよね。もちろん1人で曲を作って歌っていくこと自体は可能なんですが、自分の曲だけを作り続けることにどこかで絶対に飽きてしまう。僕の曲だけじゃなくて、2人が生み出す曲もあるというバンドとしてやっているからこそ、いつまでも新鮮な気持ちでいられるんだなと。ずっと1人で続けていくのは、僕にとってすごくきついことなんですよね。
知 僕は単純に、1人で音楽をするのは寂しいです。
──“寂しさ”は知さんの中に一貫して存在するテーマでもありますが。
知 そうですね。もともと僕はバンドを組みたくて上京してきたんですけど、すぐには組めなかったのでボカロで音楽を作っていたんです。だからボカロをやりながらバンド活動をしている方は、すごく羨ましかったし、僕もバンドという“家”が欲しかった。そういう意味でいうと、Yurinくんと近い感覚かもしれないです。
フジムラ うん、僕も一緒ですね。父親が趣味で僕の生まれる前からずっとバンドをしていたこともあって、音楽=バンドというイメージが昔から自分の中で固まっていたんです。ボカロも、バンドを組むきっかけになればと思って始めたので、今こうして活動するために必要なことだったんですよ。今だからこそボカロに回帰してみたいと思うこともたまにありますけど、ほかのジャンルの音楽から得たものを、自分が一番やりたいバンドに持ち帰るというやり方もあると思う。だから今はいろんな音楽に触れたいし、いろんなことをやってみたいですね。
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独りよがりな曲を書き続けちゃいけない