4人組バンド・Shiggy Jr.が4年の時を経て“再集結”──。このニュースに心を踊らせた音楽ファンは少なくないだろう。2019年9月に解散ライブを行い、多くのファンに惜しまれながらその活動に幕を下ろしたShiggy Jr.。解散以降、ソロワークや作家業、新たなバンドへの参加と、4人それぞれの道を歩んできた。
2023年9月、原田茂幸(G, Vo)はShiggy Jr.のメンバー4人でスタジオに入ったことをSNSで報告。今年3月に4人で再集結することを発表し、4月には新作EP「LIFE GOES ON -EP」をリリースした。6月に東京・WWWで行った再集結後最初のライブのチケットはもちろんソールドアウト。10月には東京・LIQUIDROOMで追加公演を行い、こちらも満員御礼となった。
そんなShiggy Jr.が1月12日に大阪・ビルボードライブ大阪、1月19日に神奈川・ビルボードライブ横浜にてワンマンライブ「Shiggy Jr. Billboard Live Sessions」を開催する。音楽ナタリーではこれに向けてメンバー4人へのインタビューを実施。再集結に至った経緯やその胸の内、ビルボードライブ公演への意気込みなどを聞いた。
取材・文 / 矢島由佳子撮影 / 曽我美芽
公演情報
Shiggy Jr. Billboard Live Sessions
2025年1月12日(日)大阪府 ビルボードライブ大阪
[1st]OPEN 14:00 / START 15:00
[2nd]OPEN 17:00 / START 18:00
2025年1月19日(日)神奈川県 ビルボードライブ横浜
[1st]OPEN 14:00 / START 15:00
[2nd]OPEN 17:00 / START 18:00
池田はやってくれるのかな?
──2019年9月の解散から約5年の時を経て“再集結”を決めた経緯を聞かせていただけますか?
池田智子(Vo) 解散してから、私だけみんなと会っていなかったんです。森さんだけは一度恵比寿でばったり会いました。結成記念日の12月5日にたまたま。だけどほかのみんなとはまったく会ってなくて、解散後初めて4人が集まった場は2022年10月の森さんの結婚式でした。
原田茂幸(G, Vo) そのあと11月にお世話になったエンジニアの関根青磁さんのお葬式で森以外の3人が集まって、帰り道に「続いていたら来月で10周年だね」という話になったんです。池田は帰っちゃったんですけど、諸石と俺と当時のマネージャーさんでお好み焼き屋さんに行って、マネージャーさんから「何かやるんだったら10周年なんじゃない?」「30半ば、40歳になって集まれるかな?」みたいな話が出て。「確かにそうですね」とか言いながらも「声をかけたとして池田はやってくれるのかな?」と思ったんですよね。諸石も同じように考えていて、「言うんだったらシゲからじゃない?」って(笑)。
諸石和馬(Dr) オリジナルメンバーで作詞作曲もしている……言うならばShiggy Jr.の中核を担うシゲから言うことに意味があると思った。しかもシャイで、普段あまり気持ちを伝えないし。そんなシゲが言わないと山は動かんと。
池田 私、山だったんだ……(笑)。
諸石 (笑)。解散後は会ってなかったから、今どういう状況なのかとか、何を考えているかが全然わからなくて。
池田 「誰が池田に言う?」みたいになってるのは全然知らなかった(笑)。お正月に茂幸くんから「あけましておめでとう」というLINEが来て、珍しいなと思ったら、そこに「10周年だし何かやらない?」と書いてあって。茂幸くんがそう言ってくれてすごくうれしかったです。読んですぐに「やろう!」っていう気になりました。
原田 俺らとしては、そんなに簡単に池田が「やろう」ってなると思ってなかったんだよね。
池田 みんなと会ったときに「こうやってまた普通に話せるんだ」と思ったんですよね。会ってない時間の長さを感じないし、逆に今のほうが素直に話せることがいっぱいあるなとも考えて。今だったら結成当初くらいのシンプルな気持ちでできるかもしれないなと思って、「やるやる!」という感じでした。
解散後、4人それぞれがShiggy Jr.に抱いていた思い
──LINEのやりとりが2023年の年明けですよね。それまでの約4年間、森さん、諸石さんは所属するバンドやサポートメンバーとしてステージに立ち続けて、原田さんは作家業に専念、池田さんはソロワークをやりつつ会社員として生きてきました。その間、それぞれがShiggy Jr.に対してどんな思いを抱いていたのかを、1人ずつ聞いてもいいですか? Shiggy Jr.をまたやれたらいいなと思っていたかどうか、きっとそれぞれに考えがあったんじゃないかなと。
森夏彦(B) 僕は解散したあと、バンド(THE 2)やサポートをやっていたのもあって、またShiggy Jr.をやりたいかどうかについては考えてもいなかったです。この再集結について、僕としては「タイミングがすべてだった」という感じ。ちょうどTHE 2が解散して、所属するバンドがない状況になって、自分のバンドというものに対する思いにも気付いたタイミングで。THE 2をやっていたらShiggy Jr.の活動はできなかったと思うし、ちょうど10周年という節目も重なって、こうしてまた集まれた。本当にタイミングだったなと思います。
諸石 俺も解散してからはShiggy Jr.について考えることも曲を聴くこともほとんどなかったですね。俺の中では「前向きに生きていこう」というふうに切り替えて、Shiggy Jr.のことは過去として清算して、自分の今の立ち位置とかやりたいこと、やるべきことに集中して、必死に生きていたので。だからShiggy Jr.でまた活動することは想像していなかったし、一切予知できなかった。ひさしぶりにメンバーが集まって、Shiggy Jr.の影を感じたときに曲を聴いたら「やっぱりいいな」とは思ったけど、「いつかまたできるんだろうな」みたいな気持ちは正直なかったですね。
原田 僕は求められるものを作ることも、曲を作ること自体も好きだから、作家業もやりたいんですけど、それは歌ってくれる人がいないと成り立たない。それと同じでShiggy Jr.に対しては「みんながやるんだったらやろうかな」みたいな感覚ではいました。「絶対にアーティストをやりたい」「Shiggy Jr.をもう1回やるんだ」というよりも、「求められるんだったらやりたい」という気持ちが大きかったというか。そういう中で周りから後押しされて、意外と池田も乗り気だったので、ちょっとやってみようかなと思えたんですよね。
池田 そもそも解散は私が言い出したことなので、いろんな思いがあって、しばらくは胸が苦しくてShiggy Jr.の音楽を聴けなかったし、みんなと連絡を取ろうとも思えなくて。やっぱりShiggy Jr.は自分にとってすごく大きな存在だったから、辞めてから1年くらいは燃え尽きて、何もできない状態だったんです。みんなのように次のプロジェクトがあって考える暇がなかったというよりは、そこから抜けられない感じで、普通の企業で働きながら「ここからの人生をどうやって生きていこう」ということをすごく考えていた数年間でした。「もうやることやっちゃったな」みたいな、なんていうか……「余生」みたいな気持ちで毎日を過ごしていて(笑)。あれ以上にのめり込んだり、楽しいと思ったり、自分の全部をかけてやりたいと思うことって、今後出てくるのかなって。その見つけ方もわからないし、もはや東京にいる意味あるかな?とか、根本的なところを考えながら過ごしていました。
──バンド以上に感情を揺さぶられるものが、なかなか見つからなかったと。
池田 はい。でもそういう期間があったから「やろう」と言われたときに「やりたい」と言える自分になれたと思うし、誘ってもらえてすごくうれしかった。ずっと聴いていなかったShiggy Jr.の曲を聴いて、「やっぱり最高だな」と思えたこともうれしかったし……うまく言えないけど、そういうことの延長線上で、結成したときのような「またみんなと音楽ができてうれしい」という純粋な気持ちが続いている感じです。想像していなかったことではあるけど、今振り返るとすごく自然な流れだったと思います。
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